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情熱店長ブログ

〈小説「新・人間革命」〉 力走 五十を読んだ感想 島 幸弘

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天宮四郎は、土佐の「いごっそう」を自負していた。ひとたび信心を始めたからには、徹しきってみようと腹を括った。学会の指導通りに朝晩の勤行を励行し、真剣に唱題を重ねた。苛立ちは失せ、酒を飲んで妻にあたることがなくなった。そして、腹部の痛みが消えた。健康は次第に回復していった。
 “すごいぞ! この信心は本物や!”
 その喜びが、夫妻を弘教へと駆り立てた。
 しかし、知人も、親戚も、皆、信心には、反対するのだ。学会を目の敵にする建設関係者も多く、仕事を回してもらえなくなった。やむなく、小さな河川の修復工事などをして食いつなぐありさまだった。
 しかし、信心によって、心身ともに窮地を脱し、こうして汗水たらして働けるようになったという体験が、彼らを支えた。
 天宮は、不思議でならなかった。
 “これまで、ほかの宗教には反対せんかった人が、創価学会いうたら、途端に血相を変えて、感情的になって非難し始める。ところが、いろいろ言うわりには、学会が、どんな教えかも全く知らん。入会したことがあるわけでもない。それやのに、とんでもないもんと、頭から決めてかかっちょう。学会の人が、正しい教えやからこそ皆に反対されると、語っていた通りだ”
 彼は、いよいよ確信を強くした。
 “俺は戦争で死ぬはずの人間やった。しかし、生き残って信心に巡りおうた。広宣流布のために生きちょうようなもんよ! 幡多の、大月町の広布に生涯をかけるんじゃ!”
 こう決意した彼は、地域で信頼を勝ち取るために、仕事にも誠実を尽くした。彼の手がけた仕事は、顧客の誰もが喜んでくれた。また、どんなに忙しかろうが、徹夜を重ねても納期を守った。天宮を見る周囲の目は、次第に信頼と尊敬の眼へと変わっていった。
 仏法即社会である。広宣流布のためという生き方の芯が確立されれば、社会生活への取り組み方や振る舞いも、おのずから変わっていく。信心の勝利は、生活の勝利となる。(聖教新聞より転載)

「信心は自分が幸福になるためにある、当然ただ拝んでもダメだ、自分自身が世のため人のために一生懸命に生きて行こうとお題目をあげていくと自分の命が感じ、そのための行動をしていくようになる。やがて信頼の輪が広がり仕事もうまくいくようになる、その結果自分自身の命に感謝の気持ちが湧き上がる、信心とは自分が貢献の人生を生きられる存在である事を自覚でき、その結果が実証として現れる。自分自身の存在に対して感謝できるようになる事でもある」

 

〈名字の言〉 2016年5月22日を読んだ感想 島 幸弘

 漆器に施した金箔の輝きが、気品にあふれるのはなぜか。その訳を漆塗り職人の友に教わった。「あれは『白檀塗り』という技法で、金の上に、もう一度、漆を薄く塗るんです」▼仕上がった時の表面は黒い。それが3年、5年とたつうち、漆が透けて、下の金箔が、単なる華やかな輝き以上の、奥深い光沢を放つという。本来、金は光ろうとし、漆は輝きを抑えようとする。「金そのものだけでは出せない、いわば、漆があってこその『金色』ともいえるでしょう」▼実家のある九州に避難していたが、この夏、復興住宅への引っ越しが決まり、5年ぶりに福島に戻る婦人がいる。生まれ育った九州の故郷を愛しつつも、40年以上、同志と学会活動に励んだ福島を、愛情を込めて“信心の本籍地”と呼ぶ▼避難当初、本部幹部会の中継行事で東北の歌「青葉の誓い」が流れた。唱和できたのが会場で自分一人だった時、福島から遠く離れたことが実感され、涙した。だが、励ましを惜しまない九州の友のおかげで、試練を乗り越えた。この「5年」が、信心を一段と磨いてくれたと、婦人は感謝する▼漆に覆われることで、漆器の金色が映える。苦難に覆われ、それを破ろうとする挑戦があってこそ磨かれるのは、人間の器量も同じである。(白)(聖教新聞より転載)

「人生を生き抜く事で、現世でも過去・現在・未来世を体験できる。過去どんなことがあろうと現当二世の信心で新しい自分自身の人生が、過去の悲惨を乗り越え現当二世として輝く事が必ずできるのがこの信心、まさに漆と金の譬えのように・・

〈小説「新・人間革命」〉 力走 四十九を読んだ感想 島 幸弘

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伸一は、丁重にあいさつした。
 「多大なご尽力をいただき、大変にありがとうございます。四郎さんとおっしゃるんですね。いいお名前です。熱原の三烈士の神四郎を思わせます。昭和の神四郎となって、地域の同志を守り抜いてください」
 天宮は、瞳を輝かせて「はい!」と答え、伸一が差し出した手を握り締めた。小柄ではあるが、気骨を感じさせる壮年であった。
 彼は、研修道場のある土佐清水市の隣・幡多郡大月町で建築業を営んでいた。
 十四歳で大工の道に入った。やがて太平洋戦争が始まると、特攻隊を志願した。しかし、出撃となった時、乗り込んだ戦闘機のエンジンが不良のため、延期となった。同じことが三度も続いて、終戦を迎えた。
 戦後は、再び大工の修業を始め、やがて結婚。故郷の大月町で工務店を開いた。夢は大きく膨らみ、営業にも力を注いだ。
 努力の末に、仕事が軌道に乗ると、夜のつきあいも連日のようになり、酒量も増した。
 腹部に痛みを感じるようになった。それでも我慢しては、つきあい酒を重ねた。遂に、我慢も限界に達し、病院に駆け込んだ。腎臓病と診断された。“いよいよ、これから”という時である。描いていたバラ色の未来が、一転して暗黒に変わった。続く腹部の痛み、募る苛立ち……。それを忘れるために、さらに酒を飲んでは、妻の繁美にあたった。
 見かねた繁美の姉から入会を勧められ、藁にも縋る思いで、夫妻は信心を始めた。一九六二年(昭和三十七年)十月のことである。
 信心とは、人生のいかなる暗夜にも黎明をもたらす、希望の光源である。(聖教新聞より転載)

「人の心は常に揺れ動き留まることが無い、この信心は自分自身の変化する心の動きを良き方向へ良き方向へとコントロールできるようになる」

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 四十八 を読んだ感想 島 幸弘

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この八日の勤行会でも、山本伸一は、あいさつのあとにピアノを演奏し、終了後には、参加者のバスを見送った。乗車を待つ同志の列の中に入り、声をかけ、さらに、乗車した人たちとも、窓越しに握手を交わした。
 同行の幹部らは、満足な休息もとらずに動き続ける伸一の体が、心配でならなかった。
 幹部の一人が、遠慮がちに、「少しはお休みになってください」と伝えたが、彼は、全力で激励を続けた。
 “激風の吹き荒れる今、私が同志を励まさずして、誰が励ますのか! 今しかないではないか! 励ます側にすれば、何百人対一人であっても、同志にとっては一対一なのだ。激励には、手抜きなどあってなるものか!”
 彼の心は、激しく燃え盛っていた。(聖教新聞より転載)

「常に真剣・常に誠実、誠意を尽くし誠の限りを尽くす。私もそんな人生を送っていこう!」

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 四十七 を読んだ感想 島 幸弘

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伸一は、四国長の久米川誠太郎に尋ねた。
 「今日一日で、何人ぐらいの同志にお会いすることになるかね」
 「だいたい二千人だと思います」
 「そうか。私の気持ちとしては、高知の全同志とお会いしたいんだ。来られる方は、一人でも多く参加できるように工夫してほしい。私と会員の皆さんの間には、壁なんかないんだ。また、絶対に、そんなものをつくってはいけないよ。権威、権力になってしまったら、既に日蓮大聖人の仏法ではないもの」
 伸一は、この勤行会でも、あいさつだけでなく、万歳三唱を提案したり、自らピアノを弾いたりするなどして、参加者の激励に心を砕き、力を注いだ。
 翌八日も、午後一時過ぎから勤行会が開かれた。これには、地元の高知県だけでなく、愛媛県からも南予の代表が参加した。
 ここでは、高知が指針の一つとしている、「水の信心」について言及していった。
 「水の流れるように信心を実践していくには、十年、二十年、三十年と、長期の視点に立ち、粘り強く精進を重ねていくことです。そして、生活を確立し、家庭を盤石にして、足もとを固めることが大事なんです。
 さらに、学会の組織、同志から離れないことです。また、信心の基本となる教学を、しっかり身につけていくんです。たとえば、御書全編を拝読する気概で、真剣に教学に取り組んでください」(聖教新聞より転載)

「人生は長いようで短い、そして人生は波乱万丈だ。自分自身の行動パターンが同じだと同じところでつまずくだろう。信心の基本とは人間性の基本でもある、朝晩の勤行、学会活動、教学の研鑽をしながら、自分自身が常に人生の苦境の時にこそ人間革命をできるようにして行きたい!」

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 四十六を読んだ感想 島 幸弘

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「黒山芳次さんです。研修道場の整備に尽力され、しだれ梅や椿、桜の木などを寄贈してくださいました」
 伸一は、黒山の手を握りしめて言った。
 「ありがとうございます」
 黒山は、目を潤ませて語った。
「先生! ずっと、お会いしたいと願い続けておりました。嬉しいです」
「私の方こそ、お会いできて嬉しい。今日は、奥さんはご一緒ではないのですか」
「家におります」
「奥さんも一緒に来られたらよかったのに。今度、お宅へ、御礼にお伺いします」
「めっそうもない。わしの家は、イノシシ小屋のようなものですから」
「でも、イノシシ小屋でも、御本尊様は、御安置してありますよね」
「はい……」
「それならば、お宅は常寂光土であり、大宮殿です」
「そうですね」
明るい笑いが広がった。
黒山が寄贈してくれた樹木の植えられた場所は彼の名を冠し、「黒山庭園」と名づけられた。翌年、伸一は、自著『忘れ得ぬ出会い』が発刊されると、句を書いて贈った。
「いのししの 小屋を忘れじ 不二の旅」
同志の心遣いに、最大の真心で応えるなかに、創価の魂の連帯が築かれてきたのだ。(聖教新聞より転載)

「真心には真心を、人として大切な事それは常に平等であるとの心根、そしてユーモアあるコミュニケーション」

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 四十五を見た感想 島 幸弘

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伸一は、昇りゆく足摺の旭日が、広宣流布の天空に躍り出た創価学会の姿を、象徴しているように感じられてならなかった。
 学会に偏見をいだき、その実像を見ようとしない人びとから、そして、信徒支配をもくろむ宗門の僧から、学会は、どれほど攻撃を受けたことか。しかし、われらは威風も堂々と、今日も、わが使命の軌道を悠然と進む。(聖教新聞より転載)

「人生は人とのかかわり合いの中で動いています。そのかかわりを持った人の数だけの様々な考えや目論見があり、もちろん自分の考え方とは違うもの、そのために大切な事はコニュにケーション、信用、信頼と言っても誠実なコミュニケーションを日々心がけて行きたい」

 

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 四十四を読んだ感想 島 幸弘

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研修道場にせよ、会館にせよ、使用していくうえでは、近隣や周辺の方々に、ご理解、ご協力をいただかなければならない。
 それには、常日頃から交流を図っていくとともに、何か大きな行事を開催するような時には、必ずごあいさつに行くことです。事前に何を行うかお知らせし、ひとことお断りしておけば、安心していただけるものです。
 近隣の方々に、“学会の会館ができ、大勢の人が集まっているが、何をしているか全くわからない。不安である”といった思いをさせてはいけません。
 仏法即社会なんですから、周囲の方々が、“学会の会館ができてよかった。地域も発展するし、安心できる”と思っていただくように努力していくことです」
 また伸一は、幡多地域にある宗門寺院に、「研修道場に来ております。いつも、お世話になり、ありがとうございます」との伝言とともに、土産の品を届けてほしいと頼んだ。
 懇談した幹部たちは、皆、間断なく奮闘する伸一を目の当たりにして、彼の体調を気遣っていた。
 皆の心を察したように、伸一は語った。
 「私は真剣勝負なんです。先のことはわからない。もう二度と、ここへは来られないかもしれない。だから、悔いのないように、幡多地域の、そして高知の未来のために、一切の布石をしておきたい。結局、戦いも、人生も今しかない。今、何をやるかなんです」(聖教新聞より転載)

「過去世・現世・未来世、仏法では三世を説いている。過去世は変わらないが、現世を変える事はできる。現世を変える事ができれば未来世が変わる。人間革命と言っても、今現在を一生懸命、悔いないように精一杯生ききる事だ」

 

〈池田SGI会長 四季の励まし〉 「開かれた心」で縁を絆に 

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広宣流布とは、
 「友情の拡大」である。
 「幸福の華の拡大」であり、
 「正義の光の拡大」である。
 それは、「人のつながり」で決まる。
 「法」といっても、
 目には見えない。
 見えるのは、「人」である。
 ゆえに、広布とは、
 「善なる人の連帯」を、
 どこまでも広げ、
 強めていくことである。
 
 動かなければ、何も生まれない。
 語らなければ、何も始まらない。
 仏とは戦い続ける命だ。
 苦しみ悩む人間群の中に分け入り、
 汗まみれ、泥まみれになって、
 友のために尽くし抜く人こそ、
 最も尊貴なのである。
 その仏の陣列が、
 わが広宣の同志である。
 
 私どもの最上の武器は
 「信心」である。
 そのうえで、大切なことは、
 「誠実」である。
 仕事においても、
 折伏、弘法においても、
 外交においても、
 「誠実」によってのみ、
 深く人の心をつかむことができる。
 これこそが
 最終の真実の勝利のカギである。
 
 ささやかな出会いであっても、
 そこに縁を見出す。
 それが仏法の眼である。
 そして縁を強め、
 より深き縁を結んでいく。
 それが仏法の智慧である。
 川の流れのように、
 一人また一人と
 心に染み入る対話を
 続けていくのだ。
 この対話の道が、
 麗しき人間共和の大道へと
 開かれゆくと信じて!

 はためく創価の三色旗。緑の向こうに、朱色の屋根の沖縄池田平和会館が立っている。1999年(平成11年)2月、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が、恩納村の沖縄研修道場で撮った。
 道場内にある、核ミサイルの発射台の跡地は、SGI会長の提案で「世界平和の碑」に変わった。ここから生命尊厳の哲学を発信し、最も戦火に苦しんだ沖縄を「平和の宝島」にと、励ましを送り続けてきた。
 沖縄の「イチャリバチョーデー(出会えばみな兄弟)」という、開かれた世界市民の心。それは「仏法の精神と深く深く響き合っている」と、SGI会長はつづる。あらゆる「縁」を「絆」へと結ぶ友情の拡大へ、さあ、沖縄を先頭に、進みゆこう。(聖教新聞より転載させて頂きました)

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 四十三を読んだ感想 島 幸弘

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玄関の横には、ピンク色の花を咲かせた山茶花の木々が植えられていた。伸一は、その木を見ると、こう提案した。
 「きれいに咲いているね。庭の手入れをしてくださっている方の真心が胸に染みます。ここを『山茶花庭園』としてはどうですか。
 また、せっかく木を植えたんだから、高齢の功労者から十人を選んで、その方々の名前を、それぞれの木につけませんか。そして、木の横に名前を書いて、功労を讃えていくんです。悔し涙をこらえながら、懸命に広布の道を開いてこられた勇者たちだもの」
 それから、森川一正や島寺義憲ら四国、高知の幹部に言った。
 「幹部は、励ましに徹することです。
 どうすれば、広宣流布のために苦労し、頑張ってこられた方々が喜んでくださるのか。その功労に報いることができるのか――と、常に考え続けていくんです」(聖教新聞より転載させて頂きました)

「人は励ましを受けて自らの存在を確認することができる。一人の人を大切にする事それは人間尊厳の第一歩でもある」