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情熱店長ブログ

3月9日が「王城会の日」に決定。地元古河文化会館王城かいとして決意しました!

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3月9日が「王城会の日」に決まった。
 各地の実情に合わせて順次、結成されてきた同会。2009年3月9日、全国組織に整備され、会館警備を担当する壮年部の人材グループとして出発した。新体制にあたりSGI会長は、信心の姿勢として、守りではなく前進だとの激励を送った。この歴史を永遠にとどめる。
 王城会の4指針「師弟勝利の王城会」「学会厳護の王城会」「会員第一の王城会」「地域と社会の柱 王城会」を胸に、藤村王城会委員長を中心に「絶対無事故」の任務を果たしていく。

「結成当初より地元古河文化会館の王城会として無事故の着任をしてまいりました。いよいよの思いでさらにお題目根本で広布の牙城を守ってまいります」

(聖教新聞から転載させて頂きました)

 

「きょう壮年部結成50周年 不撓の黄金柱たれ」〈池田SGI会長 四季の励まし〉

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わが壮年部が意気軒昂であれば、婦人部が喜んでくださる。青年部も快活に続く。
未来部も強く元気に育つ。地域も社会も刮目する。「黄金柱」とは、一切を黄金に変えゆく柱だ。大変であるほど、題目だ。この無敵の師子吼で雄渾なる大生命力発揮し、断じて勝ち抜くのだ。たとえ年齢を重ねても、元気のない声ではいけない。
生き生きと語るのだ。壮年部は、凱旋将軍のごとく胸を張って、朗らかに進もう!
青年と一緒に、全力をあげて戦おう!その人こそが、若い生命になる。その人が幸福なのである。だれが見ていようといまいと、自ら決めた人生の道を、いよいよ勢いを増しながら、荘厳なる完成へと生き抜いていく。信心と人格のうえでも、社会人としても、あらゆる面で一歩も退くことなく、向上の坂をたくましく上り続けていく。そこに価値ある“壮年”の生き方がある。私と最も長く、今世の人生を共にしてきた、わが戦友の壮年部よ!宿縁深く、共戦譜を綴りゆく真金の君たちよ!金が朽ちないように、何があろうが、厳然と庶民を愛し、護り、輝かせゆく「黄金柱」たれ!その尊き生涯を、これからも私と共に、同志と共に、広宣流布の大願の実現に尽くそうではないか!(写真・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

〈小説「新・人間革命」〉 常楽 五十四 を読んだ感想 島 幸弘

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仏法の真実、創価学会の信仰の正義は、一生を通じて、一個の人間の生き方を通して証明していくべきものなんです。七十代、八十代、九十代となっても、青年時代の信念をいささかも曲げずに、喜々として広宣流布に生き抜いている。その姿を見れば、後輩たちは、“この信心は本物なんだ。生涯をかけて悔いない信仰なんだ”と、安心して信心を貫いていくことができる。反対に、昔は、華々しく幹部として頑張っていたが、いつの間にか、活動にも参加しなくなってしまったという人もいる。それを見た後輩たちは、どれほど、わびしい思いをするか。先輩の責任は重いんです。ゆえに、信心は、生涯、全うしていかなければならない。よろしく頼みます」「はい! 頑張ります」浅田は、既に七十六歳であったが、その声には、若々しい闘志があふれていた。「嬉しいね。まるで青年のようではないですか。幾つになろうが、この心意気が学会精神なんです。“永遠の青春”ですよ」

「永遠の青春!この心意気、美しい人生を自分の使命のままに」(絵・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

〈小説「新・人間革命」〉 常楽 五十三 を読んだ感想 島 幸弘

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学会活動は、現代における最高の仏道修行です。仏道修行というのは、己との対決であり、自分の限界を打ち破って、心を強く、大きくし、境涯を開いていくためのものです。したがって、人の目を意識し、格好だけ取り繕っても、根底にいい加減さがあれば、人間革命はできません。しかし、真剣であり、一途な人、誠実な人は、必ず、大きく成長していきます。
 信心が惰性化していくと、この根底の真剣さが萎えてしまい、一生懸命やっているように見せかけて終わってしまう。そうなれば、どんな幹部であろうと、信心の歓喜はなくなり、人を触発することもできません。

「惰性化して行く、自分では気がつかずいつの間にか歓喜が無くなっている。その時は自分の信心が減退している証拠だ!毎日歓喜の人生を歩んでいるのか?日々、問続けよう!」

(絵・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

 

〈小説「新・人間革命」〉 常楽 五十二を読んだ感想 島 幸弘

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「指導者として大切な要件はたくさんあるが、今日は次の諸点を確認しておきます。広宣流布のリーダーにとって、強盛な信心に立つことが最も大事であるのは当然ですが、そのうえで、広く、深く“教養”を身につけていかねばならない。
 学歴や知識が、そのまま教養になるわけではありません。学んだものが、知性、見識となって発揮され、人格の輝きとなってこそ、真実の教養です。それには、多くの書を読んで、学び考え、自らを高めていく努力を、日々、続けていくことです。第二には、広宣流布という遠征のために、“健康”でなければなりません。健康を守るのは、基本的には自分自身です。暴飲暴食を慎み、食事の取り方を考える。疲れがたまったなと思ったら、工夫して早く休むようにする。毎日、体操を続ける。また、手洗い、うがいを励行し、定期的に健康診断を受けるなど、基本的なことを怠らずに行っていくことが大事なんです。仏法は道理です。信心をしているから、不摂生な生活をしていても、大丈夫だなどと考えるのは間違いです。“健康になるぞ!”と深く決意し、唱題に励み、聡明に、規則正しい生活を送っていく。それが信仰者の姿です」

「自らを高める、健康第一、仏法は道理なりのご指導を肝に銘じ勇猛精進の日々を送るべし」(絵・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

 

〈小説「新・人間革命」〉 常楽 五十一 を読んだ感想 島 幸弘

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人材育成の要諦とは何か。
 それは、リーダーが成長し続けていることだ。人は触発があってこそ奮起する。触発をもたらすには、日々、自分が成長していなければならない。ゆえに、リーダー自身が心に師をいだき、求道心を燃やし、新しい挑戦を重ね、自分を錬磨していくことが大事になる。厳に戒めるべきは慢心と油断である。
 また、一人ひとりの成長と幸福を願い、共に行動しながら、信心の基本を教えていくことだ。人は放っていたのでは育たない。山梨の大地を彩る果樹のように、手塩にかけて、真心を注いだ分だけ成長していく。
 そして、広宣流布に生きるリーダーの信念は、そびえ立つ富士のごとく、揺るぎなきものでなくてはならない。伸一の眼には、二十一世紀の大空にそびえ立つ山梨の人材城が、燦然と輝いていた。

「自分自身の人生が一生成長し続ける。一生成仏を、めざし常に進化していく。新たな挑戦!素敵な人生がそこにある」

(絵・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

 

〈小説「新・人間革命」〉 常楽 五十を読んだ感想 島 幸弘

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戸田を囲んで懇談が行われた折、“故郷に錦を飾るとは、私たちの立場から、どうとらえるべきか”との質問が出た。
 「戸田の弟子となって、広宣流布に戦っている姿が、最高にして永遠の錦じゃないか! この錦こそ、最高にして不変の錦なんです!」
 真実の錦とは、世間の栄誉や地位、名声ではなく、広布に生き抜く姿にあることを、彼は、若き生命に打ち込んでおきたかったのだ。
 青年たちは、創価の師子として、広宣流布という地涌の使命に生きるなかに、永遠不変の最高の栄誉があることを知り、決意を新たにした。

「日々の生活の中でふと様々な事で不安になる事がある。しかし自身の使命を自覚し自分らしく日々生きていること自体が自身の誉れの生き方なのだ」(絵・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

2016年がんばろう石巻、かじゃで風節 にチャレンジ!

東日本大震災から5年になる!昔から1年3年5年と大きな節目があると言われている。人生の大きな節目として新たな一歩を踏み出すタイミングでもあるのではないかと思います。今現在私たちは生きています。ぬちどぅ宝(命こそ宝)、命があった、ここにある亡くなった方の分まで命を大切にしていきたい、そんな思いをこめてかじゃで風節にチャレンジしてみた!「今日の喜びは何にたとえようか、まるで蕾んでいる花に露がついたようだ」自分自身の命を大切に、そして他の命も大切に!命があればきっと開ける時も来る

2016年がんばろう石巻でてぃんさぐぬ花唄三線

毎年1から2回宮城県尾石巻に仕事で来ています。東日本大震災からもうすぐ5年「がんばろう石巻の看板周辺も道路が変わり同じ場所ですが、以前のようにこの場所には立てない!時代とともに様々に世の中は変わるが、ここで被災され亡くなった方々は戻ってきません。せめてもの気持ちを込めて「てぃんさぐぬ花」唄三線させて頂いています。

〈小説「新・人間革命」〉 常楽 四十九 を読んだ感想 島 幸弘

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山本伸一は、人生の年輪を刻んできた同志に、信心の見事な実証を示してほしかった。晩年における最高最大の信心の実証とは何か――財力や地位、名誉等ではない。ありのままの人間としての人格の輝きにある。
 皆を包み込む温かさ、人を思いやる心、大いなる理想への不屈の信念、飽くなき向上心――それらが育む精神の光彩こそが、人格の輝きといってよい。

「自身の信心根本の生き様を通して、年輪のように人格の輝き、境涯が輝き光る人生を全うして行きたい!」(絵・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)