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情熱店長ブログ

〈小説「新・人間革命」〉 力走 三十三を読んだ感想 島 幸弘

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島寺が高知県長の任命を受けた時、山本伸一は言った。
 「若い幹部が、見ず知らずの地に県長として行くんだから、“俺は県長だ”などと偉そうな態度をとってはいけないよ。高知の幹部の人たちは、何十年も地元に暮らしているし、年齢的にも先輩なんだ。“教えてください”という姿勢で、謙虚に臨むことです。それを、はき違えて、役職、肩書があるから自分が偉いかのように錯覚し、威張ってしまえば、誰もついてきません。心の底から皆を尊敬し、周囲の人が、あの県長を応援しようと思ってくれるリーダーになるんだよ。
 もう一つ大事なことは、一人ひとりとつながっていくことです。皆さんのお宅を、一軒一軒、徹して回って、友人になるんだ。また、青年や若手の壮年を育成し、人材の次の流れをつくっていくことです。将来の中核となるメンバーを十人か二十人ぐらい集めて、御書の講義や研修会を行ってもいいだろう。ともかく、後に続く人たちには、信心の基本、幹部のあり方の基本を、しっかり教えるとともに、創価の心、学会の精神を、きちんと伝え抜いていくんです」
 いかなる団体であれ、“基本”と“精神”の継承は、永続と発展の生命線である。そのうえに、時代に即応した知恵が発揮され続けていってこそ、永遠の栄えがある。

「最後はその人の人柄、振る舞いにてそうらいけるぞ!ですね。私も自分自身が常に地涌の菩薩としての振る舞いで行きたい」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

 

きょうから新生・熊本月間 (聖教新聞より転載)

越せない坂はない!

 熊本総県の「越せない坂はない。負けんばい! 熊本月間」が、きょう5月1日から始まる(31日まで)。
 5・19「県の日」と5・16「県青年部の日」を記念するもの。
 1968年(昭和43年)の5月19日、池田SGI会長が出席した大津町での感激の記念撮影会が、「県の日」の淵源である。
 熊本地震の発生から半月余り。友は今、SGI会長が随筆でつづった「断じて、負けるな! 今こそ不撓不屈たれ!」との渾身の励ましを心に深く刻む。そして「絶対に負けんばい! 池田先生が、同志がおるけんね」と復興への本格的な歩みを力強く開始している。新生・熊本の建設へ、月間では各部一体で励まし運動に全力。きょうの区圏長会で心一つに出発し、震災後初の座談会を各地で行う。鷹尾総県長、富永婦人部長は力を込める。
 「全国、全世界からの声援に限りない勇気をいただきました。私たち熊本家族に越せない坂はない! 皆で支え合い、必ず変毒為薬の実証を示します」

「桜梅桃李 .comは被災された方々に創価学会仏壇の事でお役に立てることがあれば、落ち着いた時にご相談して頂ければと思います」

〈小説「新・人間革命」〉 力走 三十二を読んだ感想 島 幸弘

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島寺に限らず、当時、各県の県長等に就いた青年幹部の多くが、同じ気持ちでいた。皆、青年部員として、会長・山本伸一の薫陶を受け、“わが人生は広布にあり”“わが生涯は学会と共に”と決め、力を磨き蓄えていたのである。だから、突然、どこへ行くように言われても、動揺も、不安も、不満もなかった。二つ返事で、そこをわが使命の舞台と決め、若鷲のごとく、あの地、この地へと、喜び勇んで飛んでいったのだ。もちろん、それぞれが個人の事情をかかえていたはずである。しかし、皆、日ごろから、後継の青年部として広宣流布の一切の責任を担っていこうと覚悟を定めていたのだ。その精神があったからこそ、「広布第二章」の建設があったといえよう。広宣流布のバトンを受け継ぐ青年たちは、いかなる時代になっても、この心意気を忘れてはなるまい。
 すべてに、自分の都合ばかりを主張し、エゴイズムに埋没してしまうならば、皆との調和も、自身の境涯の向上もない。また、広宣流布を加速させることも、社会に貢献することもできなくなってしまう。大きな理想に生きようとしてこそ、自己の殻を打ち破り、境涯を開いていくことができるのだ。

「自分自身の人生それ自体が一生かけてのドラマでもある、凡夫である私たちはどうしても自己都合を優先しがちである、しかし自己都合ばかり主張する事によって境涯革命できない事は現に謹んで行きたい!」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 三十一 を読んだ感想 島 幸弘

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飛行機は、少し遅れて伊丹空港を飛び立った。高知空港は雨のため視界が悪く、しばらく上空を旋回していた。もし、着陸できなければ伊丹空港に引き返すことが、機内アナウンスで伝えられた。伸一の一行を出迎えるために、高知空港に来ていた県長の島寺義憲たちは、灰色の雨空をにらみつけながら、心で懸命に唱題した。伸一が四国を訪問するのは、一月、七月に続いて、この年三度目である。しかし、高知入りは六年半ぶりであった。それだけに島寺は、“何が何でも山本先生に高知の地を踏んでいただくのだ”と必死であった。一行の搭乗機は、高知上空を旋回し続けていたが、遂に午後四時半、空港に着陸した。予定時刻より、一時間近く遅れての到着であったが、乗客は皆、大喜びであった。伸一は、機長への感謝を込め、和歌を詠み贈った。「悪天に 飛びゆく操縦 みごとなる機長の技を 客等はたたえむ」 彼は、その見事な奮闘への賞讃の思いを、伝えずにはいられなかったのである。皆が感謝の思いを口にし、表現していくならば、世の中は、いかに温かさにあふれ、潤いのあるものになっていくか。空港のゲートに伸一の姿が現れた。「先生!」と、島寺は思わず叫んでいた。伸一は、微笑み、手をあげて応えた。「新しい高知の歴史をつくろう!」

「一念込めた祈りは必ず叶う!南無妙法蓮華経を一念込めてあげてみよう」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 三十

〈小説「新・人間革命」〉 力走 三十の挿絵

この夜、伸一は、妻の峯子に語った。「栗山さんは、入院して、癌の手術を受けるとのことだが、きっと寂しい思いをしているにちがいない。彼女は、女子部時代から関西の中心として頑張り、ずっと、関西広布に走り続けてきた人だ。必ず乗り越えることができるよ。まず『闘い抜いたあなたを、御本尊が、諸天善神が、守らないわけがない。しっかり治療に専念することです』と伝えてほしい。しかし、栗山さんのことだから、きっと、“みんなが必死で活動しているのに、自分だけ病院で寝ているなんて、申し訳ない”と考えてしまうだろう。だから、さらに、こう伝えてもらいたい。『各県の婦人部長は、皆、忙しくて、ゆっくり唱題する時間がないので、あなたが皆の分まで題目を送ってください。それが使命です。早く元気になって帰って来てください。私たち夫婦は、あなたに題目を送ります』」翌四日は、伸一たちが三重を発ち、高知へ向かう日であった。彼は、県長会議の参加メンバーや、地元・白山の学会員と記念撮影をするなど、皆の激励に余念がなかった。
栗山が、峯子のところへあいさつに来た。「今日、大阪に戻って入院いたします」 峯子は、伸一の言葉を伝え、「絶対に大丈夫ですよ」と励まし、固い握手を交わした。 栗山は、伸一が案じていた通り、大事な時に、広宣流布の陣列を離れなければならない自分が許せず、わびしい思いをいだいていた。しかし、「皆の分まで題目を」との言葉に救われた気がした。勇気が湧いた。
励ましとは、相手の身になって考え抜き、苦悩を探り当て、希望の光を送る作業だ。

「励ましとは、同苦であり最高の菩薩行である。仏の使いの私たちは地涌の菩薩でありたい」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十九 を読んだ感想 島 幸弘

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「幹部」というのは、本来、木の幹であり、中心をなすものである。「幹部」が腐ったり、弱かったりすれば、樹木そのものが危殆に瀕する。ゆえに山本伸一は、学会の幹部の在り方について、あえて詳細に語っていったのである。「幹部は、皆に信心の養分を送り続けていく存在であり、そのためには、自らが信心強盛な先輩を求めて切磋琢磨し、常に成長し続けていくことが大事です。そうするなかで充実感も、希望も湧き、大きな生きがいも感じていくことができる。なかには、一応は先輩幹部であっても、広宣流布への使命感も、情熱も乏しく、ともすれば組織の批判ばかりする人もいます。もし、そうした人との交わりを深め、同調して、不平や不満を並べていると、自分も清新な信心の息吹を失い、堕落していってしまう。残念なことに、これまで、そういう事例を、幾つも見てきました。次に、幹部の反社会的な行為や組織利用は絶対に許されないということを、深く心にとどめていただきたい。幹部に、そうした行為があれば、大勢の学会員を苦しめ、広宣流布の大きな遅れにもつながってしまう。仮に、そういう幹部と親しい関係にあったとしても、決して擁護する必要はありません。学会は、悪は悪であると鋭く見抜き、的確に対処できる健全な組織でなければならない」仏法の説く生命の因果の法則は、人間の規範、モラルの根本となるものである。不正、悪事を行い、人の目をごまかすことはできたとしても、仏法の因果の理法を逃れることはできない。どんなに小さな悪事も、また、善事も、すべては報いとなって自分自身に返ってくる。日蓮大聖人は、「悪因あれば悪果を感じ善因あれば善果を感ず」(御書七六八ページ)と仰せである。この法則を、生き方の基としているのが仏法者である。ゆえに、われらは、最もモラルを重んじ、正義を貫く、高潔なる人格の人でなければならない

「幹部の責任と使命を再認識し、日々の行動振る舞いをしっかりと仏法者として行っていこう」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十八を読んだ感想

〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十八の挿絵

「今日は、厳しい話になるかもしれないが、幹部として心しなければならないことを語っておきます。幹部は、組織の上の方で号令をかけているだけであっては絶対にならない。何よりもまず、徹底して会員の方々とお会いすることです。どれだけ多くの人と会い、励まし、指導したかが、幹部としての実績です。会えば会うほど、後輩は立ち上がる――これは、厳然たる事実なんです。人と会うことは、一切の基本です。会って語り合い、心と心が通じ、共感し合ってこそ、団結も生まれます。人と人との触れ合い、結合のない組織は、死んだ組織も同然です。心が通い合うなかで、温かい人間主義の組織へと蘇生していくんです。

 沖縄の、ある婦人部の幹部は、『足が鉄板になるほど歩くのだ』と言って、家庭訪問に徹しきり、理想的な広布の組織をつくりあげてきました。また、東京・下町のある区長は、毎日、『聖教新聞』の配達員さんと、区内の学会員のお宅を回った。体の具合が悪い方、大変ななかで奮闘してくださっている方のお宅には、激励のメモを郵便受けに入れた。そして後日、今度は、ゆっくり語り合える時間に、個人指導に訪れた。それを続けるなかで大きな信頼を勝ち得ています」人間は機械ではない。心が結ばれた時に力が生まれ、広宣流布の車輪は大きく回転する

「実際に人と会い話し、共に近況を理解していく中に心と心が結ばれて行く、励ましと言っても人と合うことから始まる」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十七を読んだ感想 島 幸弘

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「組織の幹部に就いた場合、任命されてから最初の三カ月が勝負であると言われてきた。なぜか――このスタートの活動が、一切の基準となっていくからです。
 ゆえに、今こそ境涯革命のチャンスととらえて、自身の新たな実践目標を定め、全力疾走のスタートをお願いしたい。その姿を見て、後輩たちも、“幹部というのは、これほど動き、これほど真剣に、誠実に戦うものなのか”ということを、改めて感じ取り、学んでいく。それによって、組織は活性化していきます。しかし、新任の幹部が懸命に動こうとしなければ、むしろ、それでいいかのように皆が錯覚し、広宣流布を停滞させてしまうことになる。皆さん自身も、仕事の問題などで悩み、苦闘されているうえに、組織のリーダーとしての責任を担うのは、どれほど大変なことか。そのご苦労は、よくわかります。しかし、広宣流布は日蓮大聖人の御遺命です。その広布を推進する唯一の聖業であり、人びとを最も根源的な次元から覚醒させ、絶対的幸福へと導く作業が学会活動です。したがって、幹部となって、学会活動に励むことは、仏法のうえから見れば、社会のいかなる地位、名誉よりも尊い、人類社会への貢献であり、民衆指導者として最重要の使命に生きることといえます。その功徳、福運は、子々孫々まで、あまねく幸の光をもって照らすことは間違いありません」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

「創価学会の役職は責任色・地域広布の責任がある。境涯革命のチャンスである。新しいチャンスと自覚しよう」

 

 

池田SGI会長 四季の励まし〉 苦難の彼方に栄光の虹 (聖教新聞より掲載)

池田SGI会長 四季の励まし〉 苦難の彼方に栄光の虹 

君よ
 今の苦難の彼方にも
 必ずや虹の輝く
 栄光満足の時が 待っている。
 君よ
 断じて諦めるな
 断じて臆するな
 そしてまた
 決して前進を忘れるな
 戦いをやめるな!
 人間の目的は
 勝つことであり
 幸福になることである。
 なぜ、試練に立ち向かうのか?
 断固と勝ち越えて、
 悩める友に希望の励ましを
 贈りゆくためだ!
 民衆のため、社会のため、
 あえて艱難を迎え撃っていくのだ。
 忍耐の坂の彼方に、勝利あり。
 さあ、健康のために信心を!
 幸福のために活動を!
 三世のために勇気を!
 逆境を大転換し、
 それまで以上の
 境涯の高みへ跳躍する。
 この生命の大歓喜の劇を、
 万人に開いたのが
 「変毒為薬」の哲理である。
 変えられぬ宿命など
 断じてない。
 ゆえに、決して嘆かずともよい、
 そして絶対に諦めなくともよい
 希望の光が、ここにあるのだ。
 私も行動の人間である。
 友好の“第一歩”を、
 確かな“道”へ、
 民衆と民衆の心通う“大道”へ
 広げることを、自らに課してきた。
 「友情と信頼の道」を
 開くことだ!
 「平和と文化の虹」を
 かけることだ!
 我らの前に、
 希望の新世界は、
 洋々と開かれている。 

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十六 を読んだ感想 島 幸弘

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「人間というのは、なかなか自分を見つめようとはしないものです。
 皆が団結できず、地域の広宣流布が遅々として進まない組織がある。何人かの幹部に“どこに原因があるのか”を聞いてみると、たいてい『あの人が悪い』『この人が悪い』等々、たくさん理由をあげる。確かに、そう指摘される人には問題があるかもしれませんが、そこには、自分はどうなのだという視座が欠落している。他の人が悪いからといって、自分が正しいとは限りません。ところが、“自分に責任があるのだ。私が悪い”とは考えない。つまり、『己心の外』にばかり目がいってしまい、大聖人の御聖訓も、学会の指導も、他人を測り、批判するための尺度になってしまっているんです。本来、仏法の教えというものは、自分の生き方の尺度とすべきものです。ここを間違えると、信心の道を大きく踏み外してしまうことになります。だから、皆さんには、幸せになるために、自分自身に生き抜き、本当の信心を貫いてほしいんです。
 仏法者というのは『自己挑戦』の人、『自己対決』の人です。我即宇宙ですから、自身を征する人は一切に勝つことができます。ともかく、題目を唱えていけば、自分が変わります。自分が変われば、環境も変わる。したがって、いかに多忙であっても、勤行・唱題という根本の実践は、決しておろそかにしてはならない。その根本がいい加減になれば、すべてが空転してしまい、価値を創造していくことはできないからです。どうか、一日一日、一瞬一瞬を大切にし、わが生命を輝かせながら、大勝利の所願満足の人生を生き抜いてください」伸一は、情熱を込めて語り抜いた。 指導には、一つ一つの事柄を徹して掘り下げ、皆が心から納得するまで、嚙み砕いて話していく粘り強さ、誠実さが必要である。

「自分自身が人間革命して人生を成長しながら生きて行く、自分との挑戦、自分との闘いが本当の信心」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)