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情熱店長ブログ

〈小説「新・人間革命」〉 源流 七を読んだ感想と決意 島幸弘

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九竜会館での記念勤行会が行われた四日の夜、山本伸一は香港本部長会に出席した。
 彼は、参加者の近況や意見を聞きながら、一人ひとりに励ましの言葉を送った。
 「広宣流布といっても、遠くにあるものではなく、身近にあるものなんです。まず自分自身を信・行・学で磨くこと。家庭を盤石にすること。そして、地域に貢献できる力をつけていくこと。地道に努力を重ね、一つ一つ勝ち取っていくなかに信心があるんです」
 「財物を得て感じる幸せには限りがあります。しかし、信心によって勝ち得る幸せは、満足の深さが違う。それを実感してほしいんです。信心を一生涯やり抜いた人は、本当の“人生の勝利者”になることができます」
 また、幹部の在り方について触れ、「メンバーに対しては、わが兄弟、姉妹のように、わが家族のように、親切にしてあげてほしい。人間は機械ではありません。人と人との信頼の絆があってこそ、信心の理解も進むんです」と指導した。
 インドへ向かう五日の午後、伸一は、出発を前に、九竜の尖沙咀にある故・周志剛理事長の家を訪ねた。
 途中、大通りを歩いていると、地下鉄工事の現場近くで、同行していた香港の幹部が、一人の青年を見つけ、伸一に紹介した。工事の作業員として働いており、ちょうど昼食を取るために、地上に上がってきたのだという。彼は、瘦せて顔色も優れなかった。持病の喘息で苦しんでいるという。
 「大変だね。私も青年時代に胸を病んだので、呼吸器疾患の苦しさはよくわかります。ともかく体を大事にして早く健康になることだよ。医者の言うことをよく聞いて、工夫して休養を取り、しっかりと栄養を取ること。そして、根本は生命力を強くするしかありません。それには題目です。元気になってみせると決めて、真剣に唱題していくんです。
 必ず健康になるんだよ。約束しよう!」
 全力で励まし、握手を交わした。一瞬の対話が人生の転機になることもあるからだ。

 源流 七を読んだ感想と決意 島幸弘

人間と人間、心と心の交流、まず自分自身を信行学で磨き、足元を固め、地域に貢献できる人生。メンバーには優しく接し、自分自身の信心の体験を語っていきたい

〈小説「新・人間革命」〉 源流 六 を読んだ感想と決意 島幸弘

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香港滞在二日目となる二月四日の午後一時半、山本伸一は、九竜のビクトリア港近くにある九竜会館を初訪問し、香港広布十八周年を祝う記念勤行会に出席した。
九竜会館は商店街の中にあり、十四階建てのビルの四階(日本の数え方では十五階建ての五階)にあった。勤行会には、各部の代表二百五十人ほどが集っていた。
勤行のあと、女子部の人材育成グループである「明朗グループ」がグループ歌を、男子部の有志が「広布に走れ」を広東語で披露した。
翌五日にインドへ出発する伸一たちの壮途を祝しての合唱であった。
 
席上、伸一は、宿命転換について述べた。
「人間は、誰しも幸せになりたいと願っている。しかし、人生にあっては、予期せぬ病気や交通事故、自然災害など、自分の意志や努力だけではどうしようもない事態に遭遇することがある。
そこに、宿命という問題があるんです。その不条理とも思える現実に直面した時、どう克服していけばよいのか――題目です。
 
御本尊への唱題によって、自身の胸中に具わっている、南無妙法蓮華経という仏の大生命を涌現していく以外にない。
強い心をもち、生命力にあふれた自分であれば、どんな試練にさらされても、負けることはない。何があろうが、悠々と宿命の大波を乗り越えていくことができます。
 
日蓮大聖人は佐渡に流された時、法華経のゆえに大難に遭うことで、過去世の罪障を消滅し、宿命を転換することができると述べられている。
そして、『流人なれども喜悦はかりなし』(御書一三六〇ページ)と感涙された。私たちも、この大聖人の御境涯に連なっていくならば、
『宿命に泣く人生』から『使命に生きる歓喜の人生』へと転じていくことができる。大聖人の仏法は、宿命打開、宿命転換の仏法であることを確信してください」
戸田城聖の願いは、アジアの民の宿命転換にあった。伸一は、香港の同志に、その先駆けとなってほしかったのである。

 源流 六 を読んだ感想と決意 島幸弘

宿命を使命に転換できる仏法だからこそ、私の人生の軌跡が今ここに開花しているそう確信しています。題目根本に大聖人の仏法を池田先生のご指導を根幹にして絶対負けない人生を目指します。

〈小説「新・人間革命」〉 源流 五を読んだ感想と決意 島幸弘

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香港会館前の公園で林一家を励ました山本伸一は、午後六時半から行われた、香港の各部代表者会議に出席した。
会場は、十八年前、伸一が東洋広布の第一歩を印した時に宿舎とした、尖沙咀にあるホテルであり、食事を共にしながらの集いとなった。
あの一九六一年(昭和三十六年)の一月二十八日夜、伸一は、香港島のケネディ・ロードにあるビルの一室で行われた座談会に出席した。
集ったのは、わずか十数人のメンバーであり、信心を始めて間もない人が、ほとんどであった。そして、この席で香港地区が結成されたのである。
以来、香港は、着実に広宣流布の歩みを重ね、組織は五本部にまで拡大していた。
伸一は、各部代表者会議の参加者の中に、十八年前の座談会に参加していた、懐かしい何人かの顔を見つけた。
「草創の皆さんが、お元気なので嬉しい」
 
一人の婦人が笑顔で答えた。
「十八年といっても、あっという間でした。あの日の座談会が、まるで昨日のようです」
「そう実感できるのは毎日が充実し、歓喜にあふれているからです。広布に生きるとは、充実と歓喜の人生絵巻を描くことなんです。
草創の歴史を築いてこられた方々が、福運に満ち満ちた姿で、元気に活躍されていること自体が、皆の希望であり、香港創価学会の勝利の姿です」
それから、彼は力を込めて語っていった。
 
「香港は、東洋広布の先駆けであり、未来を照らす灯台です。その香港の広宣流布をますます加速させていくための決め手は何か。
それは『信義』です。人間として、一人ひとりが、どこまでも『信義』を貫き、信頼を勝ち得ていく。その信頼の拡大が即広布の拡大であることを知ってください。
仏法というのは、私たち自身の内にあり、私たちの振る舞いによって顕されていくものなんです。すべては人間にかかっています。
どうか、悠然たる大河の流れにも似た大きな境涯で、人びとを包んでいってください」

 源流 五を読んだ感想と決意 島幸弘

社会は人間の信頼関係で成り立っている。「信義」ある人生は自分自身も縁するすべての方々にも一番安心で信頼できる人の振る舞いの根本であると確信しています。信義を貫く人生を歩んでいこう!

〈小説「新・人間革命」〉 源流 四 を読んだ感想と決意 島幸弘

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林一家は子どもが六人おり、父親は運転手をし、母親は裁縫の仕事をしていた。住居は、三十平方メートルにも満たない公営のアパートである。
山本伸一は、林家の子どもたちとブランコで遊んだあと、両親に視線を向けた。
 
「よく頑張っていますね。子どもさんは、一生懸命に働いてくれている親の姿を、じっと見ています。みんな必ず立派に育ちますよ。
たとえ、貧しくとも、地味であろうとも、脚光を浴びることはなくとも、人びとの幸せを願いながら学会活動に励み、必死に子ども
を育てている人は、最も偉大であり、庶民の大英雄です」
 
それから彼は、子どもたちに言った。「みんなのお父さん、お母さんは、すばらしい方です。最高の誇りにしていってください。
そして将来、苦しんでいる人たちを守るために力をつけるんだよ。いいね。約束しようよ!」
では、林一家と固い握手を交わして、「では、またお会いしましょう! ありがとう!」と言って、別れを告げた。
 
林親子は、この時の伸一の話を忘れなかった。父母は、伸一が子どもたちに言った「大学に行こうね」との言葉を、
必ず果たそうと強く心に誓った。生活は苦しく、子どもを大学に行かせるゆとりなどなかったが、懸命に働いた。
母親は、深夜一時、二時まで裁縫の仕事をし、朝五時には起きて食事の支度をし、子どもを育てていった。
 
やがて、伸一に励まされた三人の子どもたちのうち姉二人は、大学院にまで進んだ。
また、弟の宣廣は、名門・香港大学を卒業し、歯科医となり、診療所を開設する。学会の組織にあっても、香港SGIの医学部長(ドクター部長)などとして活躍していくことになる。
 
人は誓いを立て、それに挑戦することによって、自らを高め、成長していくことができる。誓うことができるのは人間だけであり、誓いに生きてこそ、真の人間といえよう。
 

 源流 四 を読んだ感想と決意 島幸弘

自ら誓い、自ら挑戦し、自ら人間革命して行く!素晴らしい人生を生涯師と共に歩んでいこう!

〈小説「新・人間革命」〉 源流 三を読んだ感想と決意 島幸弘

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山本伸一が香港会館で懇談を終えて外へ出ると、数十人のメンバーが、彼の訪問を知って集まっていた。既に辺りは暮色に染まり始めた。
 伸一は、「わざわざ、ありがとう!」と言って皆と握手を交わし、記念撮影をした。
 そこに、三人の子どもを連れた壮年と婦人が駆け寄ってきた。
 
 「你好!」(こんにちは)――伸一は、広東語で呼びかけ、大きく腕を広げ、三人の子どもを一緒に抱き締めた。そして一家と、記念のカメラに納まった。
 同行していた通訳の周志英によると、この一家は林さんといい、子どもは十一歳の四女と九歳の五女、六歳の長男である。林さん一家は、伸一が香港に来たことを聞くと、なんとしても会いたいと思い、会館の前にある公園で待っていたという。
 伸一は、子どもたちに言った。
 
 「せっかく来たんだから、今日は公園で一緒に遊ぼうよ。私は、皆さんにお会いしたかったんです。世界の子どもたちと、お友達になりたいんです。特に今年は、国連が定めた『国際児童年』ですから」
 彼は、男の子の手を引いて歩きながら、名前を聞いた。宣廣というのが、少年の名であった。
 公園に着くと、まずシーソーで遊んだ。一方には一人で伸一が乗り、もう一方に、子ども三人が一緒に乗った。
 
 「みんな重いな。じゃあ行くよ! それっ、ギッコン! バッタン!」
 子どもたちは、終始、大きな口を開け、声をあげて笑っていた。
 それからブランコに乗った。伸一は、宣廣のブランコを揺らしながら、語っていった。
 「しっかり勉強するんだよ。そして頑張って、みんな大学に行こうね。お父さんやお母さんのためにも偉くなって、しっかり親孝行するんだよ。お父さん、お母さんを大切にできる人が、人間として立派な人なんだよ。これは、世界共通です」(聖教新聞より転載)

 源流 三を読んだ感想と決意 島幸弘

未来を担うものそれは子供たちだ、人材育成と言っても自分自身が子供たちから慕われる存在でなくては、人は育たないであろう!自分自身が人材として成長して行こう!

〈小説「新・人間革命」〉 源流 二 を読んだ感想と決意 島幸弘

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山本伸一たちの乗ったジェット機は安定飛行を続け、台湾上空を過ぎて、香港に近づきつつあった。
伸一は、名操縦の機長に感謝の思いを込めて、自著に句を認めて贈った。
「祈るらむ いざや幸あれ 翼びと」
その脇に、「お世話になりました 貴兄のご健康とご活躍を祈ります」と書き添えた。
 
鹿児島空港から三時間余、現地時間の午後一時二十分に、一行の搭乗機は香港の啓徳空港に到着した。
空港には、香港中文大学中国文化研究所の陳荊和所長をはじめ、香港のSGI(創価学会インタナシ
ョナル)メンバーらが出迎えてくれた。
伸一の香港訪問は一九七四年(昭和四十九年)以来、五年ぶりである。折から旧正月の期間とあって、
街には、新年を祝う「恭賀新禧」の文字や赤いランタンが飾られ、行き交う人びとで賑わっていた。
 
伸一は、宿舎のホテルに着くと、すぐに九竜塘(カオルントン)にある香港会館に向かった。午
後三時、会館に到着した彼は、居合わせた三十人ほどのメンバーと、庭で記念のカメラに納まった。
 「皆さんとお会いできて嬉しい!」
メンバーのなかには、香港中文大学に留学している日本人学生や近隣の人たちがいた。
「では、一緒に勤行をしましょう」と言って、会館一階の仏間に移動し、勤行が始まった。そして、そのまま、懇談となった。
 
留学生には、「留学の期間は、あっという間です。一日一日を大切にしながら、しっかり勉強に励んでください」と訴えた。
また、近隣の人たちには、こう語った。
「真剣な唱題と学会活動の持続、仏法研鑽への弛みない努力が大事になります。生まれたばかりの子どもは、
一週間や十日では大人にはならない。同様に、十年、二十年と信・行・学の実践を続けるなかで、考えもし
なかった幸福境涯が開けるものなんです。信心を通し、物心ともに幸せを築いていくことが、仏法の正しさ
の証明になります。皆さんの幸福即広布であり、実証即勝利です」(聖教新聞より転載)

 源流 二 を読んだ感想と決意 島幸弘

たゆみない日々の信心の積み重ねがあってこそ自分自身の境涯が開けてくる!自分自身が信心に発心して10年、20年とそしてまた新たな一日が信心根本で人生を素晴らしいドラマにして行く創価学会員としてこれほど歓びが功徳善根として開かれていく、所願満足の人生こそ信心の実証だ絶対勝利の人生を日々勝ち取って行こう!

〈小説「新・人間革命」〉 源流 一 2016年9月1日 (聖教新聞より転載)

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離陸した搭乗機が雲を突き抜けると、美しい青空が広がり、まばゆい太陽の光を浴びて雲海が白銀に輝いていた。
山本伸一を団長とする創価学会訪印団一行は、一九七九年(昭和五十四年)の二月三日午前十一時、九州の同ら
に見送られて鹿児島空港を発ち、最初の訪問地である香港へと向かった。
伸一は、窓に目をやりながら、隣に座った妻の峯子に語った。
「曇りの日には、地上から空を見上げても、太陽は見えない。そして、何日も何日も、雨や雪が降り、暗雲に覆わ
れていると、いつまでも、こんな日ばかりが続くような思いがし、心も暗くなってしまいがちだ。
しかし、雲の上には、いつも太陽が燦々と輝いている。境涯を高め、雲を突き破っていくならば、人生は常に太陽と共にある。
また、たとえ、嵐のなかを進むような日々であっても、心に太陽をいだいて生きることができるのが信心だ。
私は、こうして機上で太陽を仰ぐたびに、戸田先生が詠まれた『雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん』との和歌が思い起こされるんだ。
アジアの民衆は、垂れ込める雲の下で、月の光を見たい、幸せになりたいと渇仰している。先生は、その人びとに、平和と幸福の光源である日蓮大聖人の仏法、すなわち
太陽の光を送ろうと決意をされた。この歌には、先生の東洋広布への熱い情熱と信念と慈愛が感じられ、身の引き締まる思いがするんだよ」
 

 〈小説「新・人間革命」〉 源流 一をよんだ感想と決意 島 幸弘

源流一 世界広布への道は昭和54年2月、御勇退の少し手前でった。池田先生は常に戸田先生との師弟に生ききっている。
師弟に生きる壮大な人生ドラマをこれからも新・人間革命から学ばせていただこうと新たな気持ちで決意致しました。

〈わが町わが誇り〉 群馬王者総県 (聖教新聞より抜粋)

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榛名山の麓の渋川市に87年(同62年)、はるな平和墓苑(現・はるな池田記念墓地公園)が誕生。93年(平成5年)、草津町には群馬多宝研修道場が完成する。
以降、SGI会長がたびたび訪れ、研修会に出席するなど、“日本のへそ”にあたる群馬は、まさに広布回天の中心軸の使命を担うようになる。
市川栄一さん(副総県長)は95年(同7年)8月、地元の代表として、研修道場でSGI会長と懇談する機会があった。
 「何か話したいことはありませんか」と、一人一人に声を掛けるSGI会長。自分の番が来た時、当時、町役場に勤めていた市川さんは、草津でハンセン病患者の救済・治療に生涯をささげた英国出身の女性宣教師、コンウォール・リーを紹介した。
 SGI会長は真剣に耳を傾け、「ありがとう。感動したよ」「殉教の精神が大事なんだ」と。
 後年、対談集『「第三の人生」を語る』の中で、「地元のメンバーからお聞きしました」と、リーの足跡を紹介した。

 

〈小説「新・人間革命」〉 清新 六十六(聖教新聞より転載)

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「インド独立の父」「マハトマ」(偉大な魂)と仰がれ、慕われたガンジーは、インド国歌が制定される二年前の一九四八年(昭和二十三年)一月三十日に暗殺され、世を去っている。しかし、大国の横暴と圧政に抗して、非暴力、不服従を貫き、独立を勝ち取った魂は、国歌とともに、インドの人びとの心に脈打ち続けるにちがいない。
インド初代首相のネルーは、ガンジーの希望は「あらゆる人の目からいっさいの涙をぬぐい去ることであった」(注)と語っている。
それは、この世から悲惨の二字をなくすと宣言した、恩師・戸田城聖の心でもあり、また、山本伸一の決意でもあった。伸一は、戸田が逝去直前、病床にあって語った言葉が忘れられなかった。
「伸一、世界が相手だ。君の本当の舞台は世界だよ」「生きろ。うんと生きるんだぞ。そして、世界に征くんだ」この遺言を心に刻み、彼は第三代会長として立った。会長就任式が行われた六〇年(同三十五年)五月三日、会場となった日大講堂には戸田の遺影が掲げられ、向かって右側には、戸田の和歌が墨痕鮮やかに大書されていた。
 「いざ往かん 月氏の果まで 妙法を 拡むる旅に 心勇みて」会員七十五万世帯の達成へ本格的な弘教の火ぶたを切った五二年(同二十七年)正月の歌である。
伸一は、広宣流布への師の一念を生命に刻印する思いで遺影に誓った。“生死を超えて、月氏の果てまで、世界広布の旅路を征きます”今、その会長就任から二十年目となる五月三日が近づきつつあった。恩師が詠んだ、あの月氏の大地にも、多くの若き地涌の菩薩が誕生している。伸一は、インドに思いを馳せた。
 ――悠久なるガンジスの川面に、「七つの鐘」が鳴り響き、新しき時の到来を告げる清新の風が吹き渡ってゆく。そして、燦然と燃え輝く仏法西還の勝利の太陽が、彼の瞼いっぱいに広がった。    (この章終わり)
 

〈小説「新・人間革命」〉 清新 六十六を読んだ感想と決意 島幸弘

世界広布とは世界平和である。創価学会は日蓮大聖人の正しい仏法を現代によみがえらせ信仰を通して個々人の宿命転換を目指し人間革命して行く所願満足の人生を目指しています。私たち創価学会員同志は題目根本、御書根本で様々な困難のある人生ではありますが、共々に一家和楽・地域広布を使命に燃えて一つ一つ実現して行きたいものです。
 
「清新」の抄は池田先生から万代の世界広布の基盤造りの総仕上げにむけた、新たなご指導を多く頂き、自分自身の人生の大きな節目になる60歳を手前に数多の指針を頂けた事本当に感謝しています。
 

〈小説「新・人間革命」〉 清新 六十五(聖教新聞より転載)

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「東洋広布の歌」に続いて、インド訪問団の壮途を祝して、インド国歌「ジャナ・ガナ・マナ」(インドの朝)が合唱団によって披露された。
 この歌は、詩聖タゴールが作詞・作曲し、イギリスによる植民地支配の闇を破り、独立の新しい朝を迎えた、インドの不屈なる魂の勝利を歌ったものだ。独立後の一九五〇年(昭和二十五年)に、インド共和国の国歌として採用されている。
 合唱が始まった。荘重な歌であった。
  
 〽きみこそ 
  インドの運命担う
  心の支配者。
    
  きみの名は
  眠れる国の
  心をめざます。
    
  ヒマラヤの
  山にこだまし
  ガンジス川は歌う。
  
  きみのさち祝い
  きみをたたえて歌う
  救えよ わが国。
  (中略)
  きみに 勝利、
  勝利、勝利、勝利、
  勝利、きみに。  (高田三九三訳詞)
  
 山本伸一は言った。
 「いい歌だね。私たちも、この心意気でいこうよ! 『きみこそ 学会の運命担う 心の支配者』だよ。私たちは人類の柱であり、眼目であり、大船じゃないか。まさに、『眠れる世界の 心をめざます』使命がある。
 『きみに 勝利、勝利、勝利……』だ!
 何があろうが、勇敢に、堂々と、わが正義の道を、わが信念の道を、魂の自由の道を、人類平和の道を進もうじゃないか!」
 

〈小説「新・人間革命」〉 清新 六十五を読んだ感想と決意 島 幸弘

唄は心、インド独立の時に国歌となったこの歌詞は多くのインドの民衆に勇気と希望を与えた事だと思う。

私の勇気と希望の歌は「紅の歌」男子の情熱熱きその時に誕生した学会歌だ、全国段間に北は青森南は四国まで飛んでゆき、「学会歌!指揮希望者~!」の声が上がるや嫌な壇上に駆け上がっていたことを思い出します。壮年部になった今でも心の奥底に紅の歌の思いの信心が根ついています!