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〈小説「新・人間革命」〉 大山 二十 (聖教新聞より転載)

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你好(こんにちは)! ようこそいらっしゃいました!」
 山本伸一は両手を広げ、人民服に身を包んだ全青連代表団の高占祥団長の肩を抱き、そしてメンバー一人ひとりと握手を交わした。
 「私たちは、中日友好の橋を架けてくださった山本先生とお会いできることを、楽しみにしておりました。その願いは叶いました」
 頬を紅潮させ、声を弾ませる高団長らに、伸一は、「周桜」の由来を語っていった。
 「この桜は、一九七五年(昭和五十年)の十一月二日に、周恩来総理の健康を祈り、万代にわたる平和友好を願い、私の提案によって、新中国から留学生として創価大学に来られた青年たちの手で植樹されました。
 その前年の十二月、周総理は、北京の入院先の病院で、病を押して私と会い、未来永遠の中日友好と世界平和への熱願を語ってくださいました。この会談のなかで総理は、懐かしそうに、桜の咲くころに日本を去った思い出を話された。
 私は、『ぜひ、また桜の咲くころに日本へ来てください』と申し上げました。総理は、『願望はありますが、実現は無理でしょう』と言われた。大変に残念そうなお顔でした。だから私は、総理が愛された桜の植樹を提案して、その志を受け継ぐ中国の留学生たちに植えていただいたんです」
 友好の絆は、真心の糸によって縒られる。
 全青連の青年たちは、頷きながら彼の話に耳をそばだてていた。
 「周総理は、桜の植樹から約二カ月後の翌一九七六年(同五十一年)一月に亡くなられました。深い大きな悲しみのなかで、私は誓いました。総理が念願された中日友好に一身を捧げ、必ず永遠のものにしようと。
 この決意を込めて、よき日を選んで、中国の青年リーダーと共に、周総理と鄧穎超夫人を讃える『周夫婦桜』を植樹したいと考えておりました。実は、本日、その用意をしております。ご夫妻への感謝と、万代までの友誼を誓い合い、一緒に植樹をしましょう」

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 二十を読んだ感想と決意

池田先生は、創価大学の文学の池そばに、周総理と鄧穎超夫人を讃える『周夫婦桜』を植樹されました。日中万代の友誼の証として歴史に刻まれた事実である。私も周桜を実際に何度も拝見しているが、きちんと手入れされ清々とされている。様々な国の対立があり政治・経済・宗教で不安定になっている世界情勢があるが、一点民衆の心と心の絆は民間レベルでしっかりと取られている。世界に広がるこの心こそ!大切なれであると私は感じています。

〈男子部のページ〉 池田先生の指針 2017年1月24日(聖教新聞より転載)

仏法のリーダーは、ともかく「人に会うこと」である。とくに、新しく入会された方々に、どんどん会っていただきたい。人間と人間の出会いのなかにこそ、仏法は脈動するからである。

御書にも、「直接、会うこと」の大切さが種々、示されている。
「人間対人間」のつながりを、どうつくるか。ここに発展のカギがある。あらゆる国家も、企業も、団体も、この一点に注目して、今、しのぎを削っている。
それには「会う」以外にない。
会ってこそ、人はつながる。心は結ばれる。人材も育っていく。
学会は、一対一の膝づめで対話してきたからこそ、今日の世界的な発展がある。これが鉄則である。
観念論や空想論ではない。戸田先生ご自身が、徹して会員と会われた。一人の人と会い、心から励まし、ともに広宣流布に進んでいく。その行動のなかにしか、創価の魂はないのである。
わざわざ会いに来てくれれば、人は「自分を認めてくれた」と思う。「会えてうれしい」「あの人と一緒にがんばろう」となるものである。
また、会合が終わっても、「一人で、さっさと帰る」のではなく(笑い)、帰る道々、後輩の話を聞いてあげることだ。
会合で話せないことでも、一対一になれば話せることもあるだろう。
一緒に語り、一緒に動くのが学会の根本精神である。策でも、方法でもない。
いわんや青年部は、決して偉ぶってはいけない。真心こめて、後輩を大切にしていくことである。友に尽くしていくことである。
仕事や家事で忙しい時もある。それでもなお、やりくりして、時間をつくって会っていく。それが慈悲である。仏の振る舞いに通ずる。これしか道はない。
 (2002年8月6日付本紙・全国最高協議会でのスピーチから)
 ◇◆◇ 
リーダーの話に気取りはいらない。事務的なことばかりであったり、味気ない話では、皆の心に響かない。また必要以上に大声を出したり、怒鳴ったりするのは、時代遅れの指導者である。
学会員は人柄がいいから、どんな話でも、皆、拍手をしてくれるかもしれない。
しかし、それで、いい気になっていては、幹部の成長はない。
幹部は、しっかりと勉強し、広布の最前線で戦って、同志と心を結んでいくのだ。
そうした努力を真剣に重ねたうえで、あとは、“真実の自分の心を友に語っていこう”と思っていけばいいのである。
気取らず、真心と勇気をもって!
皆を包み込む、慈愛と温かさをもって!
ある時は情熱的に。
ある時は心静かに。
聞く人の胸に、すーっと染み入るように。
ともあれ、学会ほど話をする機会が多いところもないだろう。
だからこそ、絶えず自らを磨き、高めて、「きょうは清々しい話を聞けたな」といわれるような聡明な指導をお願いしたい。
そこに学会が一段と発展しゆくかどうかの鍵があるからだ。
◇ 
「師弟」を語ることは大切だ。
そのうえで、大事なのは、「師匠の教えを守り、実践する」ことである。
「師弟」という言葉を単なる掛け声にしてはならない。
また、師匠の近くにいるから師弟不二であるというのも間違いである。師弟は“距離”ではない。師匠の教えを実行する人が真実の弟子なのである。
 (09年4月19日付本紙・全国代表協議会でのスピーチから)

〈小説「新・人間革命」〉 大山 十九を読んだ感想と決意 島幸弘

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山本伸一をはじめ、弟子たちの道理を尽くした真摯な説得の結果、宗会議員の多くは考えを改め、戸田城聖を処分するという決議の撤回に同意した。また、法主の水谷日昇は、この宗会決議を採用しなかったのである。
 笠原事件を乗り越えた学会の、師弟の魂の結合は一段と強くなっていった。逆風に翼を広げ、会員七十五万世帯の達成へ、雄々しく飛翔していったのである。
 伸一は今、学会の首脳たちに、広宣流布に断固と生きる師弟の気概が、燃え盛る創価の闘魂が、感じられないことを憂慮していた。
  
 四月六日、彼は、宗門の虫払い大法会に出席するため、総本山大石寺に赴き、日達法主と面会した。そこで、法華講総講頭の辞任とともに、創価学会の会長も辞任する意向であることを伝えたのである。
 伸一にとっては、悪僧らの攻撃から、学会員を守ることこそが最重要であった。
 彼には、“自分は会長を退いても、若き世代が創価の広宣流布の松明を受け継ぎ、さっそうと二十一世紀の大舞台に躍り出てくれるにちがいない”との、大きな確信があった。
 後継の人あれば、心配も悔いもない。「私には青年がいる!」と胸を張れる指導者は幸せである。未来は希望に満ちているからだ。
  
 四月七日の午後、伸一は、創価大学を訪れた中華全国青年連合会(略称・全青連)の一行二十人を、「文学の池」のほとりにある、美しく花開いた「周桜」の前で迎えた。
 一行は、この日、午前十時に、信濃町の聖教新聞社を訪問し、青年部代表の熱烈歓迎を受け、万代の友好交流をめざして意見交換した。そして、伸一の待つ創価大学にやって来たのである。
 伸一には、“今こそ、平和の哲学をもって世界を結ばねばならない”との強い思いがあった。だから、何があっても、いかなる嵐の渦中にあっても、世界に平和の橋を架ける作業に全力を注ぎ続けた。

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 十九を読んだ感想と決意 島幸弘

池田先生は一人の出会い・ご縁を大切にされ、常に世界平和への広宣流布を常に考えられ行動されている。師弟不二・師弟共戦という精神を思う時、自分自身が師の如く、我が人生を歩んでいるのか?目の前の一人を大切に、心こそ第一なれ!自分らしく精一杯今日も歩んでいこう!

〈小説「新・人間革命」〉 大山 十八を読んだ感想と決意 島幸弘

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山本伸一は、一九五二年(昭和二十七年)四月、日蓮大聖人の宗旨建立七百年慶祝記念大法会の折の出来事を思った。
 ――学会の青年たちが、僧籍を剝奪されているはずの笠原慈行を総本山で発見した。
 笠原は、戦時中、時局に便乗して神本仏迹論の邪義を唱え、保身のために大聖人の正法正義を踏みにじった悪僧である。彼の動きが契機となって軍部政府の弾圧が起こり、牧口常三郎の獄死の遠因ともなったのである。
 青年たちは彼を牧口の墓前に連れて行き、神本仏迹論の誤りを認めるように迫り、それが騒ぎとなったのだ。この時、既に宗門は、笠原を密かに僧籍復帰させていた。正法を根本から歪める邪義を不問に付したのである。
 宗門は宗会を開き、戸田城聖が笠原に「加害暴行」し、法主を悩ませ、登山した檀信徒に信仰的動揺を与えたとして、「開山以来、未曾有の不祥事」としたのだ。そして、戸田に対して、謝罪文の提出、大講頭の罷免、登山停止という処分を決議した。
 神本仏迹論を主張し、宗祖の教えを踏みにじった悪僧を、宗会は庇いたて、その悪を正した戸田を厳重処分にしようというのだ。
 「宗会の決議取り消しを要求する!」「断じて戸田先生を守れ!」――伸一をはじめ、弟子たちは決然と立ち上がった。宗会議員一人ひとりと直接会って、笠原事件の経緯と真実を語り、決議の理不尽さを訴え、撤回を求めていったのである。
 伸一は、礼を尽くして対話していったが、胸には憤怒の火が燃え盛っていた。
 “宗会は、戸田先生の大講頭罷免や登山停止など、お一人だけを処分するつもりだ。これは、会長である先生と会員との分断策だ。
 戸田先生なくして、いったい誰が広宣流布を進めるのだ! 何があろうが、私たちが戸田先生をお守りする。正義を貫かれた、なんの罪もない先生を処分などさせるものか!”
 それが伸一の胸中の叫びであり、当時の学会首脳、青年部幹部の決意であった。広布破壊を狙う魔は、常に師弟の分断を画策す。(聖教新聞より)

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 十八を読んだ感想と決意 島幸弘

魔の本性は、学会に対しては広布進展の妨害、個人においては幸福境涯に至る経過での壁である。信心の本質は何があってもすべてを功徳ととらえる境涯革命である。最大の困難こそ自分自身、組織自身の成長となる。

〈小説「新・人間革命」〉 大山 十七を読んだ感想と決意(聖教新聞掲載)

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戸田城聖は、弟子たちに、「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる」と遺言していた。ここに、常勝の道を開く団結の要諦がある。
 山本伸一は、自分を守ってもらいたいなどという気持ちはなかった。しかし、恩師が広宣流布のために言い残した精神を皆が忘れかけていることに、心が震撼する思いがした。
 彼は、学会の前途を見すえながら、祈るような気持ちで首脳幹部に言った。
 「私は師子だ! 何も恐れはしない。皆も師子になれ! そうでなければ、学会員がかわいそうだ。烈々たる闘争心と勇気をもって、創価の師弟の大道を歩み抜くのだ。その一念が不動ならば、いかなる事態にも学会は揺らぐことはない。戸田先生は見ているぞ!」
 彼は席を立ち、部屋を出ていった。
 窓の外で、桜の花が舞っていた。
 伸一は、その花を見ながら、牧口常三郎と戸田城聖の師弟の大闘争を思った。
 一九四三年(昭和十八年)六月、国家神道を精神の支柱にして戦争に突き進む軍部政府の弾圧を恐れ、宗門は「学会も一応、神札を受けるようにしてはどうか」と言いだした。
 牧口は、それを拒否し、大難を覚悟で国家の諫暁に立ち上がった。その時、弟子の戸田もまた、死身弘法の決意を固めたのである。そして、牧口と共に逮捕・投獄された戸田は、獄舎の独房にあって、“罪は私一身に集まり、先生は一日も早く帰られますように”と、ひたすら祈り続けたのだ。
 宗門が謗法の濁流に没しようとしていたなかで、師弟のこの魂の結合が、日蓮大聖人の正法正義を守り抜いたのである。牧口は獄中にあって殉教するが、生きて獄門を出た戸田は、師の遺志を受け継いで学会を再建し、日蓮仏法の悠久なる流布の道を開いていった。
 創価の師とは、広宣流布を誓願し、現代に出現した「地涌の菩薩」の棟梁であり、前進の主軸である。そこに弟子の一念が嚙み合ってこそ歯車は大回転を開始する。ゆえに、師弟の結合こそが創価の生命線となるのだ。

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 十七を読んだ感想と決意

仏法の師弟の荘厳さは日蓮大聖人・日興上人、牧口先生・戸田先生、戸田先生・池田先生と日蓮大聖人の正当な仏法は創価三代に受け継がれ、世界広布新時代・青年拡大の年がスタートしている。創価の師弟を自分自身の生命の奥底に刻むときである。

池田先生、ハンコック氏、ショーター氏のてい談集「ジャズと仏法、そして人生を語る」英語版が完成

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池田大作先生と世界屈指のジャズ音楽家ハービー・ハンコック氏、ウェイン・ショーター氏とのてい談集『ジャズと仏法、そして人生を語る』の英語版『REACHING BEYOND Improvisations on Jazz, Buddhism, and a Joyful Life(限界を超えて――ジャズと仏法、そして喜びにあふれた人生の即興)』が完成した(アメリカのワールド・トリビューン出版刊)。
 ハンコック氏はジャズピアニスト、作曲家であり、音楽界最高峰の栄誉・グラミー賞を14度、受賞している。2008年にはジャズで43年ぶりとなる「最優秀アルバム賞」にも輝いた。ジャズ史にその名を刻むサックス奏者、作曲家であるショーター氏は、これまで10度、グラミー賞を受賞。83歳になる現在も世界のフュージョン界をリードし続ける。
 2人は共にアメリカSGIの一員。またSGI芸術部長として、希望の音律を世界中に響かせてきた。
 池田先生と2人の出会いは1974年。以来、幾度となく師弟の出会いを重ね、2010年9月、本紙上で、てい談「魂の人間讃歌――ジャズと人生と仏法を語る」が往復書簡等によりスタート。13年には、その内容を加筆・再編集したものが、てい談集として日本で発刊された。
 本書では、ジャズとの出合いから、人材育成の要諦、さらには、核兵器のない世界、環境問題など、さまざまなテーマで対話が織り成されていく。
 現代における音楽の役割について話が及ぶと、池田先生は「強く前向きな生き方へと人々をリードしゆく『妙音』の音声を、いやまして高めていくべき時ではないでしょうか」と展望。
 ショーター氏が「人々に、人生のあらゆる課題に挑戦し、自らが持つ生命の傾向性やネガティブ(否定的)な側面に真正面から立ち向かい、勇敢に、前に踏み出すよう励ますことであると思います」と応じ、ハンコック氏は「不透明で、急激に移り変わる現代を生き抜き、勝利するには、師子王のような勇気が必要だと思います。池田先生は、ご自身が尽力される姿と振る舞いをもって、私たちにその完璧な模範を示してくださっています」と語っている。
 当意即妙の対話のセッションから、ジャズの精神と創価の人間主義の哲学とのハーモニーを堪能できる、珠玉の一書である。

 

〈小説「新・人間革命」〉 大山 十六(聖教新聞より転載)

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山本伸一は、首脳幹部の一人ひとりに視線を注いだ。皆、眉間に皺を寄せ、口を開こうとはしなかった。長い沈黙が続いた。
 伸一が、一人の幹部に意見を求めると、つぶやくように語った。
 「時の流れは逆らえません……」
 なんと臆した心か――胸に痛みが走った。
 伸一は、自分が頭を下げて混乱が収まるならば、それでよいと思っていた。辞任は避けられないかもしれないとも考えていた。また、皆が対応に苦慮し続けてきたことも、よくわかっていた。しかし、それにしても不甲斐ないのは“時流”という認識である。
 “ただ状況に押し流されて、よしとするなら、いったい学会精神はどこにあるのか! 大事なのは、広宣流布のために学会を死守しようという奥底の強い一念ではないか!”
 伸一の声が静寂を破った。
 「わかった。私は、法華講の総講頭も、学会の会長も辞めよう。一切の責任を負う。それでいいんだな! すべては収まるんだな!
 しかし、会長の辞任は、宗門ではなく、学会が決めることだ。私が会長を辞めるのは、前々から考えてきたことであり、学会の未来を開くためだ」
 伸一には、“宗門が創価学会の会長を圧力で辞めさせるなどという前例を、絶対につくってはならない。また、そんなことになれば、宗門の歴史に、永遠に汚点を残すことになるだろう”との思いもあったのである。
 戦後、宗門が危殆に瀕した時、外護の赤誠をもって、それを救ったのは学会である。そして何よりも学会は、伸一を先頭に死身弘法の戦いをもって、実際に大聖人の御遺命通りに広宣流布を推進し、世界に妙法を流布してきた唯一無二の仏意仏勅の団体だからだ。
 伸一の話に感極まった首脳が言った。
 「先生! 誠に申し訳ありません……」
 広布の道は、第六天の魔王との壮絶な闘争である。信心をもって、その魔を見破り、戦い、勝ってきたからこそ、学会は広宣流布の大潮流をつくることができたのである。

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 十六を読んだ感想と決意 島幸弘

「時の流れは逆らえません……」この言葉を発した方は最高幹部の一人として、いまだに発言した言葉は私の脳裏に焼き付いています。この言葉で例えれば宿業や宿命は変えられないと言ってることになります。時の流れを広宣流布にしてきた学会だからこそ、その流れを、魔の流れは絶対に変えていかねばならない!それが信心だ。私自身も父親との確執は20年以上、そして起業して25年になりますが、何度ではなく何百と倒産の危機もありました。さらに子育てで高校、大学と会社が倒産するかもしれない時期に三人とも先生の大学に学ばせることができました。不可能を可能にする信心をたくさん体験させていただき今日に至っています。信心の眼からすれば絶対間を見破れる、そして必ず打ち破ることができるのです。

今年は富士の如く生きて行こう!

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本年1月8日で60歳還暦となった! これまでの人生で一巡したのだ。多くのご縁でここまで助けられ支えられ生きてこれたのはご縁して頂いたすべての方のおかげさまである。これからの人生は富士の如くさらに堂々と我が人生を使命と責任、広布誓願を持て生きて行こう!

〈小説「新・人間革命」〉 大山 十五(聖教新聞より転載)

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四月四日の夜、宗門と学会の窓口になっていた山脇友政から、青年部長の野村勇に電話が入った。宗門の現況について、どうしても知らせておきたいことがあるというのだ。
 野村は、理事長の十条潔と共に山脇と会って話を聞いた。山脇は、さも困ったかのような顔で語り始めた。
 「鮫島発言によって、宗門は徹底して学会を攻撃する構えです。事態収束のためには、鮫島副会長を処分するのは当然ですが、それだけでは収まりません。山本先生にも、法華講総講頭だけでなく、学会の会長も辞めていただくしかないでしょう。
 そうしない限り、若手僧侶が矛を収めることは絶対にありません。宗門の怒りがさらに高じていけばどうなるか――最悪の事態を覚悟する必要があります。今回のことでは、日達上人も大層ご立腹です」
 「最悪の事態」との言葉が、十条の胸に深く突き刺さった。鮫島の不用意な発言で、学会側の僧俗和合への必死の努力もすべて無駄になり、それが、学会の支配を画策する邪智の謀略家たちの好餌となってしまったのだ。
 十条は、山本伸一と連絡を取り、大まかな話を伝え、緊急首脳会議の開催を要請した。
  
 空は雲に覆われていたが、満開の桜が、王者の風格をたたえて枝を広げていた。
 五日午前、伸一は東京・立川文化会館での学会の首脳会議に出席した。宗門との問題に、いかに対処するかを協議する場である。集っていたのは十条をはじめ、数人の中心幹部である。皆、沈痛な面持ちであった。
 初めに山脇が伝えてきた話の報告があり、さらに、宗門の僧たちの動きが伝えられた。
 伸一は、いよいよ魔が、その目論見をあらわにしたと思った。彼を会長辞任に追い込み、創価の師弟を離間させようとする陰謀である。それは、結果的に、広宣流布を進めてきた仏意仏勅の団体である創価学会を破壊することにほかならない。魔の蠢動は、信心の眼をもって見破るしかない。

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 十五を読んだ感想と決意

破壊は一瞬、建設は死闘なり、魔の本性の働きは仏意仏勅の創価学会の破壊に出た!悪鬼入其身、僭聖増上慢、自界叛逆難がいっぺんに姿を現した。人生においても何度か自分の境涯に於いて、このような事が起こる。私も何度か経験したことがある。並大抵のことではこの状況を収める事はできない。同じ道も歩めなくなる。しかして革命とは今までと同じ道を歩むことではなく、一歩上のステージを歩む勇気と決断と実行しかない!日々の闘争とは一線を画した本当の人間革命の現実だと確信する!

 

〈小説「新・人間革命」〉 大山 十四(聖教新聞より転載)

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翌四月三日午後、山本伸一は、聖教新聞社の販売店主会に出席した。
 学会を大波が襲うなかにあっても、彼の戦いはとどまることはなかった。
 伸一は、尊き使命の友が人生の堂々たる勝利者になることを念じて、力強く訴えた。
 「販売店の皆さんは、夜明け前からの仕事であり、ともすれば睡眠不足になりがちであると思います。しかし、しっかりと自分で工夫して体調管理に努め、無事故で、わが使命を果たし抜いていっていただきたい。
 事故を防ぐ要諦とは何か――それは、信心においても、生活においても、しっかりと基本を守るということです。基本を怠るというのは油断であり、さらに、そこには慢心があります。
 特に信心の世界にあっては、基本を疎かにし、名聞名利にとらわれ、要領よく立ち回ってきたりした人は、必ず最後は失敗しています。人の目はごまかせても、仏法の因果の理法からは、誰人も逃れられないことを心に刻んでいただきたい。
 どうか皆さんは、あらゆる面で基本に徹し、何があっても紛動されることなく、どこまでも真面目に、誠実に、一つ一つの課題に全力で取り組み、勝利していってください。その積み重ねのなかに、人生の輝きがあることを知っていただきたいのであります。
 販売店というのは、地味で目立たず、休みもなかなか取りにくい大変な仕事です。しかも責任は重い。しかし、皆さんがいるから、また、皆さんと共に新聞を配ってくださる配達員さんがいるから、読者に新聞を届けることができ、広布の前進がある。
 私は、誰よりも、冥の照覧を確信して進む皆さんに敬意を表し、日々、安全と無事故を祈り、題目を送り続けております」
 伸一は、そこに健気な同志がいる限り、どんなに疲れ果てていようが激励をやめることはなかった。いかなる事態に置かれようが人びとを励まし、また、仏法を語り続けるために、わが人生があると決めていた。
 
 小説『新・人間革命』語句の解説
 ◎冥の照覧/「冥」とは、奥深く、目に見えないことで、ここでは凡夫には見えない仏神をいう。仏や諸天善神が、人びとの一念や行動をことごとく知っていること。 〈小説「新・人間革命」〉 大山 十四(聖教新聞より転載)

〈小説「新・人間革命」〉 大山 十四を読んだ感想と決意 島幸弘

信心とは道理である。世間が世の中がどんなに変わろうとも道理は変わらない、信心は変わらない。まじめに一歩一歩自分自身が基本に純粋に、使命と責任をもって我が広布誓願の人生を歩んでいこう!