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情熱店長ブログ

SGI会長がメッセージ 各部代表者会議 2016年8月18日 (聖教新聞より転載)

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池田SGI会長はメッセージを贈り、「毎日、本当にご苦労さま!」と呼び掛け、とりわけ、全国各地の墓地公園・納骨堂などで追善法要の無事故の運営に当たった役員に心から感謝。「誰が見ていようがいまいが、尊い陰の奮闘に徹してくれている同志に、大拍手を送りたい」との真情を述べた。次いで、9月の青年部教学試験2級に向けて、真剣な研鑽の汗を流す友をたたえつつ、「『生死一大事の血脈』も、遠くにあるのではない。異体同心で題目を唱え、広宣流布の大願に進むわれら地涌の団結の中にのみ、脈々と流れ通うのだ。その要の中の要こそ、君たち広布のリーダーなのである」と力を込めた。さらに、先日のインド創価学会の交流団に続いて、世界の青年の代表が満々たる求道の心で、間もなく研修に来日することを紹介。「君たちが私の心を体し、誰よりも学会精神を燃え上がらせて歓迎してもらいたい。そして、共々に世界広布新時代の本門の大法弘通を開始してくれたまえ!」と期待した。
ここで「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり」(御書1304ページ)を拝読。相手が誰人であれ、一人一人の人間を最極の生命の宝塔と輝かせていけるのが弘教である。これほどの聖業は絶対にないと訴えた。そして、戸田第2代会長の次の指導を紹介した。「私たち創価学会は、地球上で最も尊厳な生命をどれだけ守り、どれだけの人に妙法を受持せしめ、どれだけの人を幸せにしたかということを数えるのである」今再び、リーダーの率先垂範で、楽しく朗らかに、宝塔を林立させ、「新たな慈折広布の大波を起こそうではないか!」と念願した。
最後に「皆、夏の疲れをためないように! 題目を根本に、色心不二の賢人として、一流の次元の生活管理、健康管理を」と望み、メッセージを結んだ。(聖教新聞より転載)

 

〈小説「新・人間革命」〉 清新 五十七 を読んだ感想と決意 島幸弘

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九州は、日蓮大聖人の御遺命である「仏法西還」を誓願した恩師・戸田城聖が、東洋広布を託した天地であるからだ。戸田は亡くなる前年の一九五七年(昭和三十二年)十月十三日、福岡市内にある大学のラグビー場で行われた九州総支部結成大会に出席し、集った三万人余の同志に、生命の力を振り絞るようにして叫んだ。「願わくは、今日の意気と覇気とをもって、日本民衆を救うとともに、東洋の民衆を救ってもらいたい!」そして、万感の思いを込めて、特に男子青年に対して、「九州男児、よろしく頼む!」と、東洋広布を託したのである。
伸一は、「七つの鐘」が鳴り終わる年を迎えた今、二十一世紀への世界広布の新出発もまた、「先駆」を掲げる九州の同志と共に開始したかったのである。彼が九州研修道場に到着したのは、前日の一月三十一日午後六時のことであった。九州の代表幹部らと懇談し、勤行したあと、彼は一人で思索のひとときを過ごした。外は、しとしとと冷たい雨が降り、それが、かえって静寂を募らせていた。彼は、「七つの鐘」終了後の、学会と広宣流布の未来へ、思いを巡らしていった。
“今年は、会長就任から二十年目を迎え、日本の創価学会建設の基盤は、ほぼ完成をみたといえる。国内の広宣流布の礎は盤石となり、未来を託すべき人材も着々と育ってきている。また、学会は、仏法を根底にした平和・文化・教育の団体として、人間主義運動の翼を大きく広げつつある……”そう考えると、今後、自分が最も力を注ぐべきは世界広布であり、人類の平和の大道を切り開くことではないかと、伸一は思った。(聖教新聞より転載)
「組織も人生もその一生にわたる計画構想を持つことがとても重要である。何も考えず場当たり的に「頑張ればよい!」という勢いだけでは世の中は済まない。しっかりと使命感をもち、その途中の目標を経過しながら目的に近ずいて行く、その勇気と努力と根性が自分の人生の歴史となる。今の自分の人生のポジションはどこにあるのか?熟慮し一歩一歩実行して行きたいものだ」

 

〈小説「新・人間革命」〉 清新 五十六を読んだ感想と決意 島幸弘

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一九七九年(昭和五十四年)二月一日、山本伸一は鹿児島県の九州研修道場にいた。三日には鹿児島を発ち、香港を経てインドを公式訪問することになっていたのである。伸一は、五年前の七四年(同四十九年)の二月と十月に、シルベンガダ・タン駐日インド大使と会談し、日印の友好・文化交流について語り合った。その二度の会談で、大使らインド訪問の要請があったのである。そして、翌七五年(同五十年)二月、在日インド大使館を通じて、インド文化関係評議会(ICCR)から正式に招待したい旨の書簡が届いた。さらに十二月、タン大使の後任であるエリック・ゴンザルベス大使と伸一が会談した際にも、あらためてインドへの公式訪問を求められたのである伸一は、インド側の友情と誠意に応えようと準備を進めてきた。そして、この年二月の訪問が実現の運びとなったのであった。
インドは、中国と並んで巨大な人口を擁する大国であり、宗教も、八割を占めるヒンズー教のほか、イスラム教、キリスト教、シーク教、ジャイナ教、仏教などがある。また、多民族、多言語で、インドの憲法では、十四言語(当時)を地方公用語として認めている。その多様性に富んだ、“世界連邦”ともいうべきインドの興隆は、人類の平和の縮図となり、象徴になると伸一は考えていた。また、何よりもインドは仏教発祥の国である。そこに彼は、大恩を感じていたのである。ゆえに、民間人の立場から、日印の文化交流を強力に推進する道を開き、インドの発展に貢献しようと決意していたのだ。インドの生んだ詩聖タゴールは訴えた。「人類が為し得る最高のものは路の建設者になることであります。しかしその路は私益や権力の為の路ではなくて、人々の心が異なれる国々の兄弟達の心に通うことの出来る路なのであります」(注)(聖教新聞より転載)
「今回の新・人間革命を学ばせていただき、初めてインド国家の多人種、多言語しかも14言語に本当に驚きました。日本の様相とはかなり違うんですね。一人の人、もう一人の人、そのもう一人の人がインドの方であっても、その隣のインドの方は違う言語、違う環境で人生を歩んできたのでしょうね。自分の考えを中心に生きている事は間違いありませんが、もう一人の方の考えは当然自分と違って当たり前なんでしょうね。ともかく一人を大切に、心こそ大切に生きていこう!」

 

〈小説「新・人間革命」〉 清新 五十四を読んだ感想と決意 島幸弘

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人類は、往々にして紛糾する事態の解決策を武力に求めてきた。それが最も手っ取り早く有効な方法と考えられてきたからだ。しかし、武力の行使は、事態をますます泥沼化させ、怨念と憎悪を募らせたにすぎず、なんら問題の解決にはなり得なかった。 一方、対話による戦争状態の打開や差別の撤廃は、人間の心を感化していく内的な生命変革の作業である。したがって、それは漸進的であり、忍耐、根気強さが求められる。
ひとたび紛争や戦争が起こり、報復が繰り返され、凄惨な殺戮が恒常化すると、ともすれば、対話によって平和の道を開いていくことに無力さを感じ、あきらめと絶望を覚えてしまいがちである。実は、そこに平和への最大の関門がある。仏法の眼から見た時、その絶望の深淵に横たわっているのは、人間に宿る仏性を信じ切ることのできない根本的な生命の迷い、すなわち元品の無明にほかならない。世界の恒久平和の実現とは、見方を変えれば、人間の無明との対決である。つまり、究極的には人間を信じられるかどうかにかかっており、「信」か「不信」かの生命の対決といってよい。そこに、私たち仏法者の、平和建設への大きな使命があることを知らねばならない。
 山本伸一は、中ソ紛争や東西冷戦の時も、ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来総理、アメリカのキッシンジャー国務長官など各国首脳と、平和を願う仏法者として積極的に会談を重ねてきた。また、宗教間対話、文明間対話に力を注ぎ、二十一世紀の今日にいたるまでに、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、さらに社会主義国等の、指導者や学識者らと率直に対話し、意見を交換してきた。そのなかで強く実感したことは、宗教、イデオロギー、国家、民族は違っても、皆が等しく平和を希求しているという事実であり、同じ人間であるとの座標軸が定まれば、平和という図表を描くことは、決して不可能ではないということだ。(聖教新聞より転載)
「自己中心、自己利益のみの追及は結果自分の損になる。人はお互いの差を良く理解・尊重してこそ人である証明ではないのか?同じ人間などこの世に一人として存在しない。人類として人間として各々の尊厳を守り人類相互の利益を大きな観点から考え、コミュニケーションから理解と納得を導き出し分かち合う生き方がもっと重要なのではないかと思う!」
 
 

 

〈小説「新・人間革命」〉 清新 五十三を読んだ感想と決意 島幸弘

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人間は――誰もが等しく、尊厳なる、かけがえのない存在である。誰もが等しく、幸福になる権利がある。誰もが等しく、平和に暮らす権利がある。本来、いかなる者も、人の幸福と平和を奪うことなどできない。これは、一切衆生が仏の生命を具えていることを説く、仏法の法理から導き出された帰結であるが、人間の救済をめざす一切の思想・宗教の立脚点にほかなるまい。戸田城聖が語ったように、キリストやムハンマドなど、世の賢聖たちは、宗教的・思想的信条の違いはあっても、人間の幸福こそ根本目的であるということには瞬時に合意しよう。そして、ここを起点として対話を重ね、複雑に絡み合った偏見、差別、反目、憎悪の歴史の糸をほぐし、共存共栄の平和図を描き上げていくにちがいない。人類の幸福と平和のために宗教者に求められることは、教えの違いはあっても、それぞれの出発点となった“救済”の心に対して、互いに敬意を払い、人類のかかえる諸問題への取り組みを開始することであろう。ましてや、日蓮仏法が基盤とする法華経は、万人が仏の生命を具えた、尊厳無比なる存在であると説く。ゆえに、いかなる宗教の人をも、尊敬をもって接していくのが、その教えを奉ずる私たちの生き方である。
この地球上には、思想・宗教、国家、民族等々、さまざまな面で異なる人間同士が住んでいる。その差異にこだわって、人を分断、差別、排斥していく思想、生き方こそが、争いを生み、平和を破壊し、人類を不幸にする元凶であり、まさに魔性の発想といえよう。戸田が提唱した、人間は同じ地球民族であるとの「地球民族主義」の主張は、その魔性に抗する、人類結合の思想にほかならない。宗教者が返るべきは、あらゆる差異を払った「人間」「生命」という原点であり、この普遍の共通項に立脚した対話こそ、迂遠のようであるが、相互不信から相互理解へ、分断から結合へ、反目から友情へと大きく舵を切る平和創造の力となる。(聖教新聞より転載)
「人は誰でもみなと仲良くしたい、愉しんでいきたい!そのように念願している。やがて付き合いが深くなるにつれ馴れて親しみ、ともすると相手を思いやる気持ち以上に自己主張する傾向になる場合もある。ここから先が分岐点となる事が多いのではないか?と私は思っています。個人においても、国家においても基本は人間であり、感情動く事が多くあります。いつも節度ある人間としての振る舞いを大切に生きていきたい!相互不信にならないようにコミュニケーションを取り平和に生きたい!そのように日々思っています」

 

〈小説「新・人間革命」〉 清新 五十二を読んだ感想と決意 島幸弘

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一九七九年(昭和五十四年)当時、世界は東西冷戦の暗雲に覆われていた。そして、その雲の下には、大国の圧力によって封じ込められてはいたが、民族、宗教の対立の火種があった。東西の対立は終わらせねばならない。だが、そのあとに、民族・宗教間の対立が一挙に火を噴き、人類の前途に立ちふさがる、平和への新たな難問となりかねないことを、山本伸一は憂慮していた。その解決のためには、民族・宗教・文明間に、国家・政治レベルだけでなく、幾重にも対話の橋を架けることだと、彼は思った。
 戸田城聖が第二代会長であった五六年(同三十一年)、ハンガリーにソ連が軍事介入し、親ソ政権を打ち立てたハンガリー事件が起こった。東西両陣営の緊張を背景に事件である。この時、戸田は、一日も早く、地上からこうした悲惨事のない世界をつくりたいと念願し、筆を執った。「民主主義にもせよ、共産主義にもせよ、相争うために考えられたものではないと吾人は断言する。しかるに、この二つの思想が、地球において、政治に、経済に、相争うものをつくりつつあることは、悲しむべき事実である」(注1)
 人間の幸せのために生まれた思想と思想とが、なぜ争いを生むのか――その矛盾に、戸田は真っ向から切り込んでいった。「ここに、釈迦の存在とキリストの存在とマホメット(ムハンマド)の存在とを考えてみるとき、またこれ、相争うべきものではないはずである。もし、これらの聖者が一堂に会するとすれば、またその会見に、マルクスも、あるいはリカードもともに加わったとするならば、いや、カントも天台大師も加わって大会議を開いたとすれば、けっしてこんなまちがった協議をしないであろう」(注2)彼は、相争う現実を生んだ要因について、思想・宗教の創始者という「大先輩の意見を正しく受け入れられないために、利己心と嫉妬と、怒りにかられつつ、大衆をまちがわせているのではなかろうか」(注3)と述べる。(聖教新聞より転載)
「思想・宗教の創始者を一堂に会し、「人類と平和」について共同して意見を述べ合い、その支持する全世界の民衆がその模様を一同の拝聴する。私も大賛成!人間には言葉があり話ができるはずです。世界はそこに生存する私たち人間の合議と納得で平和に維持できるようにして行く必要があります。多くの戦争で多くの人間を傷つけてさらにその禍根を残し新たな戦争を生んできました。21世紀に入ってもそれはさらに過熱しているのが現状です。政治だけでは解決できない、宗教だけでも解決できない。世界の宗教・思想・政治を含めた世界平和会議を時間をかけて行っていく必要があると思う」

 

〈小説「新・人間革命」〉 清新 五十一 を読んだ感想と決意 島幸弘

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第二代会長・戸田城聖は、青年たちへの指針のなかで、「われらは、宗教の浅深・善悪・邪正をどこまでも研究する。文献により、あるいは実態の調査により、日一日も怠ることはない。(中略)その実態を科学的に調査している」(注)と記している。この言葉に明らかなように、創価学会もまた、日蓮大聖人の御精神を受け継いで、常に宗教への検証作業を行ってきた。そして、調査、研究を重ね、検証を経て、日蓮仏法こそ、全人類を救済し、世界の平和を実現しうる最高の宗教であるとの確信に立ったのである。
自分が揺るがざる幸福への道を知ったとの確信があるならば、人びとにも教え伝え、共有していくことこそ、人間の道といえよう。ゆえに学会は、布教に励むとともに、座談会という対話の場を重視し他宗派や異なる考え方の人びとと語り合い、意見交換することに努めてきた。それは、納得と共感によって、真実、最高の教えを人びとに伝えようとしてきたからである。宗教は、対話の窓を閉ざせば、独善主義、教条主義、権威主義の迷宮に陥ってしまう。
対話あってこそ、宗教は人間蘇生の光彩を放ちながら、民衆のなかに生き続ける。座談会などでの仏法対話によって、共に信心をしてみようと入会を希望する人は多い。また、信心はしなくとも、語らいのなかで学会への誤解等は解消され、日蓮仏法への認識と理解を深めている。そして、相手の幸せを願っての真剣な語らいが進むにつれて、私たちの真心が伝わり、人間としての信頼と友情が育まれている。日蓮大聖人の仏法は、人間が苦悩を乗り越え、幸せを築き上げるための宗教である。大聖人御自身が、「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書七五八ページ)と仰せのように、仏法の目的は、人間の苦悩からの解放にある。宗教が人間の救済を掲げるならば、決して人間を手段にしてはならない。(聖教新聞より転載)
 
「私も座談会がとても好きです。人間味ある体験談が最高に元気と勇気を頂けます。最近では活動報告の方が多く、残念ながら信仰体験が少ないようです。日々の生活の中で無数に体験はあると思うのですが、信心の体験とリンクしていないようです。信心は感じたどうか?どのように課題を受け止め次の一歩を歩み出したか?だと思うのです。
私は良い日も良くなかった日も信心の体験として毎日受け止めています。良くない?と思ったときでも、つぎに良くなるための課題だと心得ています。そうして少しずつでもチャンスを意識できると、大きな課題が突然来た時でも対処できると思っています」

 

〈小説「新・人間革命」〉 清新 五十を読んだ感想と決意 島幸弘

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日蓮大聖人が「立正安国論」を認められた当時の鎌倉は、大地震が頻発し、飢饉が打ち続き、疫病が蔓延していた。
時代を問わず、人は最悪な事態が続くと、自分のいる環境、社会に絶望し、“もう、何をしてもだめだ”との思いをいだき、“この苦しい現実からなんとか逃れたい”と考えてしまいがちなものだ。そして、今いる場所で、努力、工夫を重ねて現状を打破していくのではなく、投げやりになったり、受動的に物事を受けとめるだけになったりしてしまう。その結果、不幸の連鎖を引き起こしていくことになる。それは、鎌倉時代における、「西方浄土」を求める現実逃避、「他力本願」という自己努力の放棄などと、軌を一にするとはいえまいか。いわば、念仏思想とは、人間が困難に追い込まれ、苦悩に沈んだ時に陥りがちな、生命傾向の象徴的な類型でもある。つまり、人は、念仏的志向を生命の働きとしてもっているからこそ、念仏に同調していくのである。大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく“弱さ”の根を絶とうとされたのである。
大聖人は叫ばれている。「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書七八一ページ)と。南無妙法蓮華経と唱え、信心に励むところが、成仏へと至る仏道修行の場所となるのだ。自分の今いるところを去って、どこかにいくのではない。この荒れ狂う現実のなかで、生命力をたぎらせ、幸福を築き上げていく道を教えているの日蓮大聖人の仏法である。ところで、大聖人は、念仏をはじめ、禅、律、真言の教えを厳格に検証し、批判していったが、法華経以外の諸経の意味を認めていなかったわけではない。それは、御書の随所で、さまざまな経典を引き、信心の在り方などを示していることからも明らかである。(聖教新聞より転載)
 
 
「大聖人の仏法は人間生命根幹の問題を明らかにしたものです。どの道でも同じで物事の基本・基礎はしっかりと学ぶ必要があります。人間の生命の基本・基礎こそ大聖人の南無妙法蓮華経であると確信しています。人の道が人生の道、平和で豊かな世界にして行くためにも私たち創価同志は自分自身の人生に確固たる確信を持った勝利劇を演じていける尊い人生のドラマでありたいと念願しています!」

 

〈小説「新・人間革命」〉 清新 五十を読んだ感想と決意 島幸弘

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日蓮大聖人が「立正安国論」を認められた当時の鎌倉は、大地震が頻発し、飢饉が打ち続き、疫病が蔓延していた。
時代を問わず、人は最悪な事態が続くと、自分のいる環境、社会に絶望し、“もう、何をしてもだめだ”との思いをいだき、“この苦しい現実からなんとか逃れたい”と考えてしまいがちなものだ。そして、今いる場所で、努力、工夫を重ねて現状を打破していくのではなく、投げやりになったり、受動的に物事を受けとめるだけになったりしてしまう。その結果、不幸の連鎖を引き起こしていくことになる。それは、鎌倉時代における、「西方浄土」を求める現実逃避、「他力本願」という自己努力の放棄などと、軌を一にするとはいえまいか。いわば、念仏思想とは、人間が困難に追い込まれ、苦悩に沈んだ時に陥りがちな、生命傾向の象徴的な類型でもある。つまり、人は、念仏的志向を生命の働きとしてもっているからこそ、念仏に同調していくのである。大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく“弱さ”の根を絶とうとされたのである。
大聖人は叫ばれている。「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書七八一ページ)と。南無妙法蓮華経と唱え、信心に励むところが、成仏へと至る仏道修行の場所となるのだ。自分の今いるところを去って、どこかにいくのではない。この荒れ狂う現実のなかで、生命力をたぎらせ、幸福を築き上げていく道を教えているの日蓮大聖人の仏法である。ところで、大聖人は、念仏をはじめ、禅、律、真言の教えを厳格に検証し、批判していったが、法華経以外の諸経の意味を認めていなかったわけではない。それは、御書の随所で、さまざまな経典を引き、信心の在り方などを示していることからも明らかである。(聖教新聞より転載)
 
 
「大聖人の仏法は人間生命根幹の問題を明らかにしたものです。どの道でも同じで物事の基本・基礎はしっかりと学ぶ必要があります。人間の生命の基本・基礎こそ大聖人の南無妙法蓮華経であると確信しています。人の道が人生の道、平和で豊かな世界にして行くためにも私たち創価同志は自分自身の人生に確固たる確信を持った勝利劇を演じていける尊い人生のドラマでありたいと念願しています!」

 

〈小説「新・人間革命」〉 清新 四十九を読んだ感想と決意 島幸弘

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日蓮大聖人は、建長五年(一二五三年)四月二十八日、清澄寺で立宗宣言された折の最初の説法から、既に念仏の教えの誤りを指摘されている。当時、念仏信仰は、民衆の易行として諸宗が認めていたことに加え、専修念仏を説く法然の門下によって弘められ、大流行していたのである。易行は、難行に対する語で、易しい修行を意味する。また、専修念仏とは、ただひたすら念仏を称えることによって、死して後に、西方極楽浄土に行けるという教えである。世間には飢饉、疫病などが広がり、末法思想に基づく厭世主義が蔓延していた。この世を「穢土」とし、西方十万億土という他土での往生のみに救いがあるという念仏信仰に、人びとの心は傾斜していった。しかし、その教えは、人びとを現実から逃避させ、他力のみにすがらせ、無気力にさせる。つまり、幸福に向かって自ら努力することを放棄させ、社会の向上、発展への意欲を奪い取っていった。まさに、人間を弱くする働きをなしたのである。しかも、法然は、法華経を含め、念仏以外の一切の教えを「捨閉閣抛」、すなわち「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と説いていた。文証、理証、現証のいずれをも無視した、この独善的で排他的な主張を、法然門下の弟子たちは盛んに繰り返してきたのである。法華経は、皆が等しく仏の生命を具えていることを説き明かした万人成仏の教えである。法華経以外の教えが、生命の部分観にすぎないのに対して、生命を余すところなく説き明かした円教の教えである。このころ、法然の弟子である念仏僧は、幕府の権力者に取り入って、念仏は、ますます隆盛を誇りつつあった。それを放置しておけば、正法が踏みにじられ、民衆の苦悩は、ますます深刻化していく。ゆえに大聖人は、「立正安国論」を幕府の実権を握っていた北条時頼に提出し、そのなかで、世の混乱と不幸の元凶が念仏にあることを説き、諫めたのである。(聖教新聞より転載)

「日蓮大聖人の仏法の真髄:万人成仏:自分自身の仏の生命力によって自分自身が自他共の幸福を築くと言う信仰である。私たち創価同志はこの根本思想を自分自身の根幹に据えて、日々自分自身が人間革命しながら絶対的幸福境涯を確立して行きたいものです」