情熱店長ブログ
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十九を読んだ感想と決意 島幸弘
長野研修道場には、三台の撮影台が設置されていた。
午後一時前、山本伸一は、「さあ、戦いの開始だ!」と峯子に言うと、ポロシャツ姿で皆の待っている研修道場の前庭に飛び出していった。
「お待ちしていました。ようこそおいでくださいました。二十一世紀への新しい出発をしましょう!」
参加者から歓声があがった。額に深い皺が刻まれた老婦人が、目を潤ませて語った。
「先生! 新聞でも先生のお姿を拝見できないものですから、心配で、心配で、寂しくて、ずーっと祈ってきました。でも、お元気なので安心しました。嬉しいです」
伸一は、この老婦人を抱きかかえるようにして、励ましの言葉をかけた。
「おばあちゃん、ありがとう!
私は、この通り元気ですよ。おばあちゃんがお元気ならば、私も元気です。私も、おばあちゃんのお顔を心に焼き付けて、毎日、お題目を送ります。だから、私たちは、いつも一緒ですよ。来世も一緒です。
うんと長生きしてください。ますます元気で、もっと、もっと幸せになってください。それ自体が、広宣流布の力になります。同志の希望になります」
八十代半ばだという、別の老婦人には、力強く、こう語った。
「百歳まで生き抜いてください。いや、二十一世紀まで生きて、広宣流布の未来を見届けてください。学会は、さらに大発展します。世界に大きく広がります。私は今、そのための戦いを開始したんです」
また、壮年には断固たる口調で宣言した。
「学会の正義は、必ずや明確になります。まだ、宗門僧による理不尽な攻撃や、一部の週刊誌による無責任な批判が続いていますが、そんなことで心が揺らげば、必ず後悔します。日蓮大聖人の仰せのままに広宣流布してきたのは学会しかありません。この厳たる事実を絶対に見失わないことです。戦おう!」
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十九を読んだ感想と決意 島幸弘
池田先生はできるだけの多くの会員さんにお会いして心配しないように、安心に信心して幸福になっていただきたいとの思いで寸かを惜しんで振舞われている。人生は瞬間の出来事で配慮できるかどうかの判断と俊敏な行動が問われる事が日々あります。しっかりとお題目をあげ切り瞬時に仏の境涯の振る舞いができるように信心根本で今日も邁進していきます!
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十八を読んだ感想と決意 島幸弘
蔵林家では、主の龍臣と妻の芳乃の孫たち十人が、琴やハーモニカ、横笛の演奏、合唱などで、山本伸一たちを歓迎した。
子どもから孫へと信心が受け継がれ、すくすくと育っている未来っ子の姿が微笑ましかった。仏法が、地域へ、社会へと広まり、そして子どもたちへ、未来へと継承されていってこそ、広宣流布の流れが創られていく。
やがて雨も小降りになった。伸一は、蔵林龍臣と腕を組みながら庭を散策した。少し、はにかみながら、「ありがたい。人生の最高の思い出です」と繰り返す蔵林に言った。
「お父さんの人生は大勝利です。子どもさんも、お孫さんも、皆、立派に育っている。しかし、信心には終わりはありません。命ある限り、同志のため、地域のため、広布のために戦い抜いてください。大事なのは、総仕上げの時を迎えるこれからです。明日へ、未来へ、意気盛んに前進していってください」
蔵林は、伸一の顔をのぞき込むように見ては、何度も、何度も頷くのであった。
後に、伸一は、深い感謝の思いを託して、一家に句を贈っている。
「なつかしき 佐久に家あり 銀の城」
二十六日は、長野研修道場での記念撮影の日である。「希望する方は、全員、参加してください」との連絡を聞いて、長野全県から同志が研修道場に集って来た。
前日の雨は上がり、木々を吹き渡る風がさわやかであった。メンバーは、昼前から続々と研修道場に到着した。伸一が、ほとんど「聖教新聞」にも登場しなくなってから四カ月近くになっていた。皆、ひと目でも伸一と会いたかった。そして、広宣流布への誓いを新たにしたかったのである。
学会の強さは、伸一が会員一人ひとりと結んできた師弟の糸と、同志の糸によって縒り上げられた、団結の絆にこそある。
「力は、健全な人格と強固な団結から生まれる」(注)とは、韓民族独立の父・安昌浩の言葉である。
小説『新・人間革命』の引用文献
注 安昌浩著『島山安昌浩論説集』乙酉文化社(ハングル)
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十八を読んだ感想と決意 島幸弘
広宣流布と形ではなく、仏法、信心が継承されて世界の人々が幸福になっていく流れである。私一人からどのように広がっていくのか?私は男子部であるときに多くの友人に仏法対話をしてきました。中でも現在の家内に信心の話をした時の思いは格別でした。もちろん毎回勇気が必要でしたが家内の場合は結婚したいと思っていましたので、心の奥底まで本当にしびれるような思いとその時の婦人部の方のかかわりに今でも感謝⒮ています。あれから36年が経ち家族全員で創価の一家和楽を築け、そして一昨年長女が結婚、昨年孫ができ私から3代目、初代の父から4代目になります。
創価の流れをしっかりと継承していく流れをこれからも懸命に受け継げるように自身の信心をさらに深化させてまいります。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十七を読んだ感想と決意 島幸弘
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十六を読んだ感想と決意 島幸弘
山本伸一は、石塚勝夫に言った。
「お父さん、お母さんを、生涯、大切にするんですよ。父母の恩に報いることから、人間の道は始まります。報恩の心を忘れない人が、真の仏法者なんです」
さらに、個人会館を提供してくれていることへの感謝を伝えながら、日ごろ、心すべき点についても語っていった。
「ともかく近隣に迷惑をかけないよう、会合の中心者ともよく連携し、駐車、駐輪、話し声など、細かく気を配っていくことが大事です。大変でしょうが、周囲のお宅には足しげくあいさつに伺い、『何かあったら、すぐにおっしゃってください』と、意思の疎通を図っていくことが大切です。
近隣の方々が、快く協力し、応援してくださるようになれば、それ自体が広宣流布の姿なんです。個人会場は、広布の民衆城です。そこに、堅固な信頼の石垣を築くことが、学会を盤石にしていくことにつながります」
伸一は、それから、自宅の隣にある個人会館を訪問した。一階は、石塚の営む建築電気工事会社の事務所になっており、二階が三十畳ほどの会場であった。そこには、佐久本部の支部幹部ら地元の代表が集っていた。伸一は、一緒に勤行し、ここでも懇談のひとときをもった。
彼は、佐久の同志に、句を詠んで贈った。
「忘れまじ 佐久の幸ある 瞳かな」
「佐久の友 今日はいかにと 祈る日日」
石塚宅から伸一が向かったのは、蔵林龍臣の家であった。蔵林家は江戸初期から庄屋を務めた旧家であり、母屋は築三百五十年で、地元では「鶯館」と呼ばれているという。
主の龍臣は、家の前で和傘を差して立ち、伸一と峯子を迎えた。
「約束を果たしに来ましたよ」
伸一は、こう言って笑顔を向けた。
蔵林は、六年前に東京で行われた本部幹部会の折、自宅が江戸時代からの旧家であることを伝え、訪問を要請したのである。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十六を読んだ感想と決意 島幸弘
広宣流布の姿とは、地域、近隣の方々の私共創価学会員の姿をとおしてみて頂く事、そして常識的な行動・生活により理解していただける様に配慮を行う事である。また池田先生は6年前の約束をきちんと果たす。仏法者とは報恩感謝の生き方を心からできるものであると再認識しました。私らしく桜梅桃李の人生をおくってまいります。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十五を読んだ感想と決意 島幸弘
昼前から降りだした雨は、次第に雨脚が強くなっていた。
山本伸一は、佐久市の功労者宅を訪問するため、長野研修道場を出発した。
雨のなか、翌日の記念撮影のために、青年たちが県道沿いの空き地で草刈りをしていた。
伸一は、同行していた幹部に言った。
「皆が風邪をひかないように、作業が終わったら、研修道場の風呂を使えるようにしてください。泥も汗も流して温まってもらおう」
大事な“創価の宝”の青年たちである。泥まみれになって作業をしてもらっているだけでも申し訳ないのに、そのうえ風邪などひかせては絶対にならないとの強い思いがあった。
研修道場を発って五十分ほどで、佐久市の石塚勝夫の家に着いた。石塚は四十過ぎの壮年で、佐久本部の本部長をしていた。
彼は、感無量の面持ちで、「先生! わが家においでくださり、ありがとうございます」と言って、伸一の手を握り締めた。
石塚の父親は背広を着て、母親は着物に羽織姿で、丁重に一行を迎えた。
伸一は、研修道場に役員として来ていた石塚と語り合う機会があった。その時、彼が個人会館を提供してくれていると聞き、御礼に伺おうと思ったのである。
広宣流布を進めるうえで、個人会場が担う役割は大きい。各地域に大きな会館が造られても、支部や地区の日常活動の拠点や座談会場等となるのは、個人会場をはじめ、会員の皆さんのお宅である。そこは、現代における荘厳なる仏法の会座となる。
伸一たちは、石塚の自宅の居間に通された。懇談が始まった。彼の父親は、ちょうど、今日が八十歳の誕生日であるという。
伸一は、「お祝いに一句、お贈りしましょう」と言うと、壁に掛けてあった日めくりカレンダーに視線を注いだ。
「そこに、お書きしてよろしいでしょうか」
カレンダーを外してもらい、老夫妻の健康と長寿を祈りつつ、日付の横にこう認めた。
「あな嬉し 八十翁の 金の顔」
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十五を読んだ感想と決意 島幸弘
池田先生のまごころからの激励を思えば思うほど、慈悲あふれる配慮、行動に感動を禁じ得ない。私もそうなりたい!そうありたい!その慈悲深い人格になれるように祈って行動して行こう!
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十四を読んだ感想と決意 島幸弘
山本伸一は、入会三十二周年となる八月二十四日を、長野研修道場で迎えた。新しい決意で出発を誓い、真剣に勤行した。
昼過ぎには、青年たちと自転車で周辺を回った。戸田城聖が最後の夏を過ごした地を巡ることで、在りし日の恩師を偲びたかったのである。
伸一が研修道場に帰って来ると、ちょうど教育部(後の教育本部)の青年教育者の代表が、研修会に参加するため、バスで到着したところであった。
メンバーは、バスの中で、「山本先生が研修道場に滞在中です」と聞かされ、喜びが弾けた。皆、研修道場の玄関前に並び、満面の笑みで伸一を迎えた。
「皆さん、ありがとう! お会いできて嬉しい。では、一緒に記念撮影をしましょう!」
彼は、メンバーと共にカメラに納まった。
「私はこの通り元気です! 皆さんも創価の誇りを胸に、わが使命の道を、元気に勝ち進んでいってください。ともかく、何があっても、絶対に退転しないことです。この一点を深く心に刻んでください。広布の道を踏み外していく人を見るのが、私はいちばん辛いし、胸が痛むんです」
この日の夕刻も、伸一は、地元の同志の家を訪問し、集った人たちと懇談した。
翌二十五日午前、教育部のメンバーと研修道場の庭でテニスをし、激励を重ねた。
コートは、研修会に来た人たちの思い出になるように、地元メンバーが急ごしらえしたものであった。
このあと、伸一は、皆と一緒に勤行し、出発するメンバーを拍手で見送った。
彼は、制約のあるなかで、どうすれば同志を励まし、勇気づけることができるか、祈りに祈り、智慧を絞った。御聖訓には「信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし」(御書一〇七二ページ)と仰せである。
広宣流布への強き一念と祈りがあるかぎり、いっさいの障壁を打ち砕き、必ず勝利の道を切り開いていくことができるのだ。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十四を読んだ感想と決意 島幸弘
自分自身の境遇は自分自身で決めて作り出している。頑固頭の自分と決別する勇気をもって、素直になることが一番だ。いつまでも難しい顔をしてわかっているような勘違いをして行くと自分自身が望んでいない現実がそこに現れる。無作の三身と言われる本当の自分自身の生命状態になるための信心である。素直な心は安心で穏やかで人にやさしく自分自身にも優しくなれるのだ。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十三を読んだ感想と決意 島幸弘
山本伸一の心からの願いは、皆が強盛に信心を貫き、幸福になることだけであった。
退転・反逆者や宗門僧は、創価の師弟を分断しようと、伸一が会合で指導したり、「聖教新聞」に登場したりできないように陰で画策を進めてきた。その逼塞した状況のなかで、暗い空気がつくられていた。
伸一は、大きな会合への出席を制約されれば、家庭訪問、個人指導に奔走した。話をするなというのであれば、和歌や俳句を詠み、ピアノを弾いて激励した。
何ものも、広宣流布への不屈の魂を抑え込むことなどできない。
長野研修道場に集っていた人たちに、伸一は提案した。
「もし、よろしければ、二十六日の日曜日にでも、ここにいらっしゃる皆さんと記念撮影したいと思いますが、いかがでしょうか。
また、ほかにも参加したいとおっしゃる方がいれば、遠慮なくいらしてください」
参加者から大歓声がわき起こった。長野の同志が願い続けていたことであった。その知らせは、瞬く間に全県下を駆け巡った。
県幹部たちは、果たして何人が集って来るのかわからなかった。もし、二千人、三千人と詰めかけても、混乱することのないよう、青年部が中心となって、全力で受け入れの準備にあたった。スムーズな撮影が行われるように、撮影台も三台つくることにした。
地域ごとに到着時刻も決めた。貸し切りバスで来るという地域もあった。
自家用車で来る人も多いにちがいない。駐車スペースの不足が懸念されたことから、研修道場の前を通る県道脇の空き地を使わせてもらうよう、土地の所有者と交渉した。了承してもらったが、雑草が生い茂り、そのままでは使用できない。
「よし、男子部で草刈りをしよう」――皆、意気盛んであった。
今、この時に、師と共に会員を励ますために働けることが嬉しかった。「師弟共戦」の自覚と行動があるところに歓喜が湧く。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十三を読んだ感想と決意 島幸弘
「師弟共戦」とは、この状況であるならば師匠はどのようなお心・考えでこの難局を打ち勝っていくのだろうか・・私たち創価学会員は世界広宣流布を目的とした団体の一員である。自分自身がこの信仰をとおして実証を示しながら生きていく事に価値がある。自分の人生こそが師弟共戦の生き様であるなら、どんな事も乗り越えそして所願満足の人生を送っていく事ができる!
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十二を読んだ感想と決意 島幸弘
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十二を読んだ感想と決意 島幸弘
信心は理屈ではない、まして観念などではない!
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十一を読んだ感想と決意 島幸弘
二十一日夜の懇談の折、山本伸一は、軽井沢支部の初代支部長・婦人部長を務めた田森寅夫と妻のタミとも語り合った。
寅夫は、一流ホテルで修業を積んだパン職人で、心臓病で苦しんでいたタミが信心し、元気になっていく姿を目の当たりにして、一九五五年(昭和三十年)に子どもたちと一緒に入会した。念願であった店舗を購入できたことなどから、信心への確信を強くし、歓喜を胸に弘教に励んでいった。
しかし、周囲には、学会に偏見をいだき、彼が信心することを快く思わぬ人たちが多くいた。客足も遠のいていった。
頭を抱え込む田森たちに、学会の先輩は、確信をもって訴え、指導した。
「日蓮大聖人は、『此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず』(御書一〇八七ページ)と断言されている。あなたたちが、敢然と広宣流布に立ち上がったから、障魔が競い起こったんです。御書に仰せの通りではないですか。
したがって、このまま、果敢に信心を貫いていくならば、幸福境涯を築けることは間違いない。だから決して退いてはいけません」
当時の学会員は、大なり小なり、こうした事態に直面した。そのなかで同志は、ますます学会活動に闘魂を燃やしていった。そして、御書を拝しては、互いに励まし合ってきたのである。田森は思った。
「大聖人は『大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(同一四四八ページ)と言われている。大変な事態になればなるほど、強盛な信心を奮い起こして、ますます喜び勇んで前進していこう。今が正念場だ!」
学会活動は御書と共にあり、生活のなかに教学があった。そこに学会の崩れぬ強さがある。思えば、それは、第二代会長の戸田城聖が、『日蓮大聖人御書全集』の刊行を成し遂げたからこそ可能となったのである。さらに、これによって、日蓮仏法の正しい法理が、広く人びとの生き方の規範として確立されるという、未曾有の歴史が開かれたのである。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十一を読んだ感想と決意 島幸弘
創価学会は御書根本・題目根本・池田先生のご指導根本である。そしてすべては信心即生活である。私たち凡夫は何かあるとすぐにどうしたら良いのかアタフタしてしまう。その時まずはご本尊の前に座り、どんとご本尊を拝しお題目を朗々とあげていけばよい事だ。まずは題目、何が何でも題目、自分自身が右往左往している感情の支配をそこで切り落とし題目根本・御書根本・先生のご指導根本に自分自身の信心を切り返し、切り返し正しい信心の判断ができるよう矯正して、信心根本の境涯を開き行くことだ!
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十を読んだ感想と決意 島幸弘
残暑の東京を発って二時間半、夜霧に包まれた軽井沢は肌寒かった。
山本伸一が長野研修道場に到着すると、地元の幹部や役員など、数人が出迎えた。会長を辞任したあと、「聖教新聞」などの機関紙誌で、彼の行動が報じられることは、ほとんどなかったためか、皆、笑顔ではあったが、どことなく不安な表情をしていた。
伸一は、同志のそんな気持ちを吹き飛ばすように、力強い声で言った。
「私は元気だよ! さあ、出発だ!」
師弟の天地に、師子吼が響き渡った。
彼は、長野県長の斉田高志と握手を交わしながら語っていった。斉田は、三十七歳の青年県長であった。
「私は、名誉会長になったということで、広布の活動を休むことも、やめてしまうこともできる。そうすれば楽になるだろう。しかし、一歩でも退く心をもつならば、もはや広宣流布に生きる創価の師弟ではない。戸田先生は、激怒されるだろう。
地涌の菩薩の使命を自覚するならば、どんなに動きを拘束され、封じ込められようが、戦いの道はある。智慧と勇気の闘争だ。大聖人は『いまだこりず候』(御書一〇五六ページ)と言われ、いかなる迫害にも屈せず、戦い抜かれたじゃないか! みんなも、生涯、何があっても、いかなる立場、状況に追い込まれようとも、広宣流布の戦いを、信心の戦いを、決してやめてはいけないよ。私は、会員の皆さんのために戦い続けます」
伸一の長野訪問は九日間の予定であった。
到着翌日の二十一日は、朝から役員の青年らを激励し、昼食も草創の同志ら十人ほどと共にしながら語り合い、引き続き、小諸本部の副本部長である木林隆の家を訪問した。十一年前に出会った折に、「ぜひ、わが家へ」と言われ、そこで交わした約束を果たしたのである。
夜もまた、地元の会員の代表と次々と会っては懇談した。対話を重ねることが、生命の大地を耕し、幸の花園をつくりだしていく。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十を読んだ感想と決意 島幸弘
地涌の菩薩の使命を自覚するならば、どんなに動きを拘束され、封じ込められようが、戦いの道はある。智慧と勇気の闘争だ。大聖人は『いまだこりず候』(御書一〇五六ページ)まさしく自分自身が広布のために仕事・学会活動をすればするほどできなくなる状況が出てきたりする。所謂「魔」の存在である。何もしなければ何も感じない、つまり自分自身が感じる時に自分自身の境涯を実感し人間革命して行くために「魔と戦う」負けじ魂を湧きいだすためにも誓願の題目をあげ、現実の課題を突破して行こう!