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情熱店長ブログ

〈小説「新・人間革命」〉 常楽 六十一を読んだ感想 島 幸弘

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夫・忠の他界から十二年、会社は順調に業績を上げていたのである。
伸一は、忠の十三回忌が間近に迫っていることを聞くと、彼女に言った。
「明日もまた、泉州文化会館の開館記念勤行会を開催しますので、その時に、あわせてご主人の法要を行いましょう。よろしかったら、お子さんたちも一緒においでください。お母さんと共に、苦労を分かち合ってこられた立派なお子さんたちです。私も、ぜひお会いして、讃え、励まして差し上げたい」人間は、必ず、誰かに支えられて生きている。一人の人を本当に励まし、元気づけるには、その人を支えてくれている人をも讃え、励ましていくことが大事である。<中略>

「立派に育ったね。亡くなられたお父さんも、喝采を送っているでしょう。お母さんを大切にね。しっかり親孝行するんだよ。苦労して、みんなを育ててくれた、日本一のお母さんだもの」

「人間は人間との関係を軸に人間として生きている。人は人の支えが必要、人との関わりをさらに大切にして行きたい」(絵・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

 

 

〈小説「新・人間革命」〉 常楽 六十一を読んだ感想 島 幸弘

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夫・忠の他界から十二年、会社は順調に業績を上げていたのである。
伸一は、忠の十三回忌が間近に迫っていることを聞くと、彼女に言った。
「明日もまた、泉州文化会館の開館記念勤行会を開催しますので、その時に、あわせてご主人の法要を行いましょう。よろしかったら、お子さんたちも一緒においでください。お母さんと共に、苦労を分かち合ってこられた立派なお子さんたちです。私も、ぜひお会いして、讃え、励まして差し上げたい」人間は、必ず、誰かに支えられて生きている。一人の人を本当に励まし、元気づけるには、その人を支えてくれている人をも讃え、励ましていくことが大事である。<中略>

「立派に育ったね。亡くなられたお父さんも、喝采を送っているでしょう。お母さんを大切にね。しっかり親孝行するんだよ。苦労して、みんなを育ててくれた、日本一のお母さんだもの」

「人間は人間との関係を軸に人間として生きている。人は人の支えが必要、人との関わりをさらに大切にして行きたい」(絵・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

 

 

〈小説「新・人間革命」〉 常楽 六十を読んだ感想 島 幸弘

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必死の祈りは勇気となり、知恵となる。
夫が他界した翌年の春、広宣流布の途上で亡くなった同志の春季合同慰霊祭が、東京・八王子で執り行われた。明子は、この慰霊祭に出席した。その折、山本伸一は、彼女と言葉を交わし、力を込めて励ました。「ご主人を亡くして、お子さんを抱え、さぞ辛いでしょう。苦しいでしょう。でも、あなたが悲しめば、ご主人も悲しみます。反対に、あなたが元気に、はつらつと学会活動に励み、歓喜しているならば、その生命は、ご主人にも伝わっていきます。それが仏法の原理なんです」

「艱難辛苦を乗り越えるための信心、そしてそれは宿命転換へと帰結し、幸福を勝ち取る強い心を育てていく!」(絵・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

〈随筆 永遠なれ創価の大城 3〉 響け「福光」の凱歌より転載させて頂きました

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生命の絆は永遠

 災害や事故などによって、互いに結び合っていた人生が突然に「死」と「生」に引き裂かれてしまう。それは、何より辛く、悲しい別離だ。肉親や近しい人の死は、生前には気づけなかった思いを湧き上がらせる。“もっとこうしていれば”と、振り返って涙が頬を伝う時もあろう。追憶は尽きることがない。法華経寿量品には、「方便現涅槃(方便もて涅槃を現ず)」と、死もまた方便であると説かれる。生も死も同じ永遠の生命に具わる現れであり、生死は不二なのである。永遠の生命観で捉えるならば、死によって「心の絆」「生命の絆」が切断されることは決してない。亡くなった家族や友人の遺志を受け継ごうと、ひたぶるに御本尊に祈る中で、切れず離れず、生死を超えて共にあると、私たちは深く感じ取ることができる。寿命も、福運も、誓いも、全て受け継いでいく「後継者」なのである。妙法は三世にわたって生命に凱歌を響かせゆく大法である。ゆえに「我ら東北家族の絆は永遠! 永劫に幸福勝利なり」と確信し合いたい。

 

きょう東日本大震災から5年を思う

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東日本大震災から5年となる「3・11」を迎えた。犠牲者は1万5894人にのぼり、まだ2561人の行方が分かっていない。避難者は17万人を超え、今もなお、約5万9000人が仮設住宅での暮らしを続けている。きょう11日、東北40会場をはじめ全国・全世界で追善の「福光勤行会」が厳粛に行われ、全ての犠牲者の冥福と被災地の一日も早い復興を祈念する(2面に関連記事)。池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は「随筆 永遠なれ創価の大城」〈響け「福光」の凱歌〉を贈り、不撓不屈の負けじ魂を貫いてきた東北の友の5年の歩みを心から賞讃。「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)との御聖訓を、現実の上で実証してきた偉大なみちのくの同志と共に、これからも、「福光」の未来を断固と開いていこうとつづった(聖教新聞3面に掲載)「同じ日本で起きた大震災、東日本がもし日本大震災だったら、他人事ではいられないだろう!、自分でできる何か?を自分で感じて自分の中から少しでも貢献できたら・・、そんな思いでこれからも生きて行こう!」(写真・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

〈小説「新・人間革命」〉 常楽 五十九を読んだ感想 島 幸弘

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彼は、朝から大阪各地を駆け巡り、泉州では、二会場を回る予定であった。訪れた先々で、生命を削る思いで激励を続けてきただけに、伸一の疲労は、ピークに達していた。泉州の二軒目となるお宅に向かいながら、彼は言った。
 「さあ、あと一会場だね。今日は、これで二十四カ所目なんですよ」
 井草は、一瞬、躊躇した。二会場の予定が、どうしても訪問してもらいたい家があり、三会場にしてしまっていたのだ。
 意を決して、もう一カ所、増えたことを伝え、伸一にわびた。
 「お疲れのところ、申し訳ありません」
 「いいえ。喜んで伺わせてもらいます。私は広布のため、同志のために一身を捧げる覚悟です。それが幹部ではないです。

「広布のため、同志のため喜んで伺わせていただく、その思いが常にあるか?」(絵・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

〈小説「新・人間革命」〉 常楽 五十八を読んだ感想 島 幸弘

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「信心の基本とは何か」に言及していった。「それは、究極的には“御本尊根本”ということに帰着します。では、“御本尊根本”とは、いかなる生き方をいうのか――。人生は、何が起こるかわかりません。順風満帆とはいかず、浮き沈みもある。生きるということは戦いであり、ある意味で苦難の連続であるといえるかもしれない。病や不慮の事故、経済的な問題、人間関係の悩み、あるいは、子どものことで苦しむ場合もある。しかし、仏法では、『煩悩即菩提』『生死即涅槃』と教えている。いかなる迷い、苦悩に直面しても、この原理を忘れてはならない。日蓮大聖人は、私たちが、煩悩を菩提へ、生死を涅槃へ、四苦八苦に苦しむ身を常楽我浄の生命へと転換し、人生の幸せを満喫して生きていくために御本尊を顕された。いわば、迷い、苦悩の生命を転換していくための回転軸こそが御本尊であり、その回転の力となるのが唱題なんです。ところが、窮地に陥ると、“もう駄目だ”と絶望的になったり、信心が揺らいだりしてしまう。それは、縁に紛動され、根本の一念が御本尊から離れてしまっているからなんです。生命が御本尊と合致していれば、どんな苦難も、必ず乗り越えていくことができる。信心の極意は、何があっても御本尊に向かい、題目を唱え抜いていくことしかありません苦しい時も、悲しい時も、嬉しい時も、この姿勢を貫き通していくことが、“御本尊根本”の信心であり、それが正信なんです。
そうすれば、御本尊が助けてくれないわけがない。困難を乗り越える大生命力が、智慧が、湧かないわけがありません。常に、根底の一念を御本尊に定め、その信心を持続することが、現世安穏・後生善処の人生につながっていくことを知っていただきたい。また、よく“信心の根を張る”というが、それは、持続の信心ということなんです

「師弟不二の信心を」(絵・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

〈小説「新・人間革命」〉 常楽 五十七 を読んだ感想 島 幸弘

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二十二年前に山本伸一と食事をしながら懇談した人たちは、その時に出し合った食事代が百円であったことから、「百円会」という名をつけ、以来、共に広布の誓いに生きようと励まし合いながら、前進してきたのだ。
 人生には、さまざまな思い出や、転機となる出会いがある。それを大切にし、心の宝物としている人は強い。負けない。何かあった時に、返るべき発心の原点があるからだ。

「師匠との出会い、その原点を思い返し自身の使命を再確認した」(絵・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

〈小説「新・人間革命」〉 常楽 五十六 を読んだ感想 島 幸弘

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あの“大阪の戦い”で共に汗を流し、苦楽を分かち合った同志たちである。
 「久しぶりです!」彼は足早に歩み寄って、握手を交わした。
当時、青年部の室長であった伸一が、泉大津市で活動の指揮を執った折、一緒に食事をしながら懇談した、二十数人の人たちであった。その日は皆、大奮闘し、指導会が 終 了した時には、誰もが空腹を覚えていた。そこで伸一は、会場の別室で、皆と食事をしながら、懇談することにした。彼は、一人ひとりと言葉を交わし、生涯、不退の信心に励むよう訴えていった。この時の「頑張りまっせ!」との誓いを、皆、忘れなかった。誓いは幸福への種子となる。

「師と共に誓った青春のあの日、生涯忘れまじ」(絵・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

 

〈小説「新・人間革命」〉 常楽 五十五を読んだ感想 島 幸弘

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 草創期の学会を、モーターボートにたとえるならば、今の学会は、大型のタンカーのようなものです。タンカーが湾のなかを、猛スピードで進めば、大波が立ち、周囲の小舟も大きく揺れてしまう。ゆえに、静かに、細心の注意を払って、周りを気遣いながら進んでいく必要がある。これが道理です。
 急いで進もうとして、社会性を軽視するようなことがあっては絶対にならない。いかなる団体よりも、社会性を尊重する学会であり、皆さん方であってください。
 これは、今後の、恒久的な学会の在り方を考えるうえでの基本です。
 また、そのためにも、家庭を盤石にし、しっかりと足元を固め、地域に信頼の根を深く張っていくことが、ますます大事になります」
 社会は、家庭の集合体である。家族が仲良く、はつらつとして明るく、温もりに満ちた家庭は、それ自体が仏法の実証となる。そして、幸の航路を照らす“地域の灯台”となる。「足元の家庭を大切に、そして地域社会、地域の組織の中に仲良く、明るく、温もりに満ちた関係を作ろう!」(絵・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)