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情熱店長ブログ

名字の言6月6日掲載分聖教新聞社より引用

 「いつやるか? 今でしょ!」。予備校講師・林修さんのセリフは今年前半、最もヒットした流行語だろう。やるべきことを後回しにして後悔した経験は誰にでもある。己に勝つ難しさが分かるから「今でしょ!」が胸にこたえる▼昨年のロンドン五輪で、卓球女子団体は銀メダルに輝いた。ある代表選手のメンタルトレーナーを務めた加藤史子さん。実践したことは、誰が自分を信じなくても、自分だけは自分を信じよう、と励ましを送り続けることだったという▼4年に1度という大舞台。しかも実力にほとんど差はない。ほんのささいなことが勝敗を左右する。逃げ出したくても、今、自分がやるしかない。そこでは、自分の弱気に勝つことが、最後の勝利の決定打となる▼先日のアメリカ創価大学卒業式。世界的なジャズピアニストのハービー・ハンコック氏の祝辞は鮮烈だった。「本当の敵は、自身のネガティブな側面です。立ち上がることによって、自分の欠点と弱さを、良い方向に転換できます。その努力があるからこそ、より強くなることができるのです」▼人生とは、自分との戦いに尽きる。“自分の可能性を信じる心の強さ”があれば、逆境も成長の飛躍台へと変わる。まさに「仏法は勝負」である。(市)

私は昨日、仕事の作業で使うウエブのHTML言語を学んでいる時に「やはり56歳という年齢から学ぶことは難しい!」と密かに落ち込んだ気分になっていたところでした。まさにハビーハンコックさんが訴えていた「自身のネガティブな側面に」翻弄されている自分自身を反省しました。すぐわからないかもしれない、でもあきらめてしまったら・・永遠にわからないままではないのか!今日も一歩前進したい、そんな気持ちになりました。

名字の言6月5日掲載分聖教新聞社より引用

 サッカー日本代表がブラジル・ワールドカップ出場を決めた。代表26選手のうち“欧州組”は14人。中でも8人がドイツのクラブに所属する。香川選手も昨季までドイツで活躍していた▼今季の欧州チャンピオンズリーグ決勝が、史上初めてドイツのクラブ同士の対決となり、「ドイツ復権」がサッカー界の話題だ。3度の世界王者に輝くドイツの誇りが地に落ちたのは2000年。欧州選手権で代表チームが1勝もできなかった。その頃から真剣な復権への取り組みが始まる▼ドイツ連盟が打った手は、名監督の招聘でも、代表チームの集中的な強化でもない。子どもたちに目を向けた。育成プログラムの改革と徹底によって、技術に優れた若手が次々と育ち、10年の歳月をかけて、「勝負強いがつまらない」とやゆされたサッカーが、攻撃的で魅力にあふれたスタイルに変わった▼広布史をたどってみる。昭和40年代、50年代と、前進を阻む大きな壁が立ちはだかるたびに、池田名誉会長が未来部、学生部の若い世代と会い、励まし、育ててきたことが分かる。21世紀を見よ――と。その人材が今、各地で中核を担う▼一時の勝利でなく、永続的な勝利を得るために、木を育てるように、若い世代の成長に努力を注ぎたい。(飛)

「未来は青年部に託すしかない」いつも先生はご指導されています。「この地域はあなたにお任せいたします」とは大聖人のお言葉。私たちの地域の未来部、男女青年部は育っているのだろうか?誰が育てるのか?私たち現在の壮婦でしか有りません!人材育成は人材にしかできないのです。私たち自身が人材であるという自覚が大切ではないかと自身に問いました。

名字の言6月4日掲載分聖教新聞社より引用

「微笑みかけているような実り豊かな地」(時岡敬子訳)――明治初期に来日した英国の紀行作家イザベラ・バードが感動した、日本の田園風景だ▼稲は、これから株が分かれて茎や葉が増え、穂も出始める。花粉の形成も始まり、最も注意しなければいけないのが梅雨時の低温。九州から関東甲信にかけて平年より早い入梅となった今年、冷害を防ぐため、田んぼの水を深く張って調節するなど、農家は気が抜けない毎日となる▼営農の努力は、品種改良の分野でも続けられてきた。江戸時代には『会津農書』や『清良記』などの農書が各地で著され、早くも多数の品種名が出てくる(鵜飼保雄・大澤良編著『品種改良の日本史』悠書館)▼20年前の大冷害を経験した農漁光部の話が心に残る。その壮年は「信心してっから……負けてはおれねえ」「毎日が勉強。毎日が戦い。『これでいい』はない。でもやっぱり、農家はおもしろい」と笑顔だった▼雨が水田の緑の絨毯を潤し、稲の葉を伝う露となる光景は美しい。田園の幾何学模様が無数の人々の努力の結晶だと知れば、なおのこと、心の琴線は波打つ。移ろう季節の、折々の美しさ。それとともに生きる喜びをかみしめつつ、広布の勝利へすがすがしく進みたい。(由)

私達の地域でも畑では野菜がどんどんと育ちゴールデンウイークには毎年田植えが行われています。それにしてもよくぞここまで育つものだと安易に感心していた自分の浅い見識を見透かされた今日の名字の言でした。「何もしなくても豊作、日本はいい気候だな?」何てノー天気な私なのだろうか? 

名字の言6月3日掲載分聖教新聞社より引用

5年連続盗塁王に輝いたプロ野球・阪神タイガースの赤星憲広元選手は、一、二塁間をおよそ3・2秒で走った。投手が投げ、捕手の送球が二塁に到達するまでの時間も平均3・2秒。単純に考えれば、セーフの確率は五分五分▼だが赤星選手は、盗塁成功率8割以上を誇った。秘訣は何か。氏は、まず「走る勇気を持つこと」だと答える。そして、走る勇気を持つには、「準備をすること」が必要だと(『頭で走る盗塁論』朝日新書)▼相手投手や捕手、内野手の体の動きを観察する。データから配球パターンを割り出す。打者の特徴、アウトカウント、点差、風向きなどを考える。万全の準備が盗塁する決断を生む。裏付けのない勇気は、ただの無謀に過ぎないのだ▼先日、80歳でエベレスト登頂に成功した冒険家の三浦雄一郎氏は、1日当たりの行程を従来の半分に減らし、ベースキャンプから山頂までのキャンプの数を増やした。「緻密な計画」が、ここでも偉業を支えていた▼私たちの活動も、方程式は同じだ。ある男子部の友が言っていた。「自分は、誰よりも友人の幸福を祈り抜いている。そう思った時、〝語る勇気〟が湧いてきました」。広布前進の、基本にして最高の準備は、友を思う強き祈りにある。(糀)

「昔から段取り八部」と言われ前段階の準備が事の正否を決めていく!誰でもわかっているようだが、それではそのように実行しているのか?少なくとも忘れ物する次元では何も言えない!自分がどうして成し遂げたいのか?その思いが本気なら・・もっと毎日を大切にしていこうと決意しました。

名字の言6月2日掲載分聖教新聞社より引用

 生活や商品サービスなどに、ゲームの要素を取り入れる“ゲーミフィケーション”が増えている。例えば「歩数競争」。歩数計の数をネットでつなぐと、全国の参加者との比較が可能になる。自ら想定した“ライバル”とゲーム感覚で競い、健康増進への励みにしている▼“ゲーミフィケーション”は、「一人では、継続するのがつらい領域」で応用しやすいという。ダイエットや禁煙、勉強に加え、燃費を競うサイトもある。“エコ運転”を競うことで、環境問題にもひと役買っている▼競争にも2種類ある。誰かが勝って利益を得ると、誰かが負けて不利益を被り、全体では利益と不利益の総和がゼロになる「ゼロサム・ゲーム」。もう一つが、互いに利益を得る「互恵的」な競争。当世の“ゲーミフィケーション”は後者で、競争を目的のための手段として、うまく利用している▼競争それ自体は、善でも悪でもなく価値中立的だ。他に勝ろうと競う心、仏法の十界論でいえば「修羅界」の生命をいかにコントロールし、善の価値へ方向付けていくか。そのために、祈り、仏界の生命を涌現していくことを日蓮仏法は教えている▼どれだけ多くの人を励まし、元気にしていけるか。我らは“善の競争”に挑みたい。(博)

何のための信心?地域の壮年部とよく対話しています。勤行するのは自分が仏であるという自覚をするためであると大聖人は御書で書かれているところがあるんだよ・・と言うと、たまにそんな事言う人がいるけど、その人が仏だと感じたことないもんねーなどと偏屈な人が私に返してきます。きっとその人はそのような発言をして私に仏道修行とはそんなに甘くないよ!と教えてくれているのでしょうね・・

名字の言6月1日掲載分聖教新聞社より引用

 2019年にワールドカップ日本大会を控えるラグビー。昨年6月、日本人初の国際ラグビーボードの殿堂入りを果たしたのが、元日本代表の坂田好弘氏。32歳で現役引退後、今春まで36年間、大阪体育大学監督を務めた▼同大学は1985年以降の7年間で関西大学Aリーグを4度制覇するが、その後は優勝から遠ざかる。そんな時、氏はニュージーランドへ。全く未経験の子どもたちにラグビーを教えた▼どう指導するか悩んだ末、一緒に遊ぶことにした。教えるのをやめ、いきなりゲームをしたのだ。子どもは口で説明するより、ずっと早く上達した▼この経験を通し、氏は「言葉だけでは忘れてしまう。見せてもらえば記憶に残る。一緒にやらせてもらうと理解する」という“コーチングの極意”を再確認する。大学で実践に移し、関西王者に返り咲いた(『心で見る』ベースボール・マガジン社)。「してみせて 言って聞かせて させてみる」。名君・上杉鷹山が説いた教育の要諦にも通じるエピソードだ▼池田名誉会長は「青年を育てるには、『会う』『語る』そして『一緒に行動する』ことです」と。先輩が後輩に過去の経験を語るだけでなく、一緒に行動し、体験を共有する。それを「後継」というのだろう。(潔)

今日から、聖教新聞の名字の言を読んで自分のプチ感想や決意を書いていこうと決意しました。2013年の6月1日の「名字の言」はまさに今の私自身が一番心がけていく必要がある急所が掲載されていたのではないかと感じました。家庭訪問が第一、会う、聞く、激励する、ともに同苦しともに行動していきたい!

2013年4月度 南三和支部 先駆 だより!第13号②

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『富木尼御前御返事』 大白蓮華4月 32ページから                 一人一人が健康長寿の賢者に:第一に「強情におぼしめし」です。「必ず乗り越える」絶対に「大丈夫だ」という強い確信。心が病魔に負けてはなりません。第二に「身を持し」です。生活を律し、厳しい現実に立ち向かっていく事です。第三に「心になげかざれ」です。「決して悲観的になってなげかない」「くよくよしない」という逞しく聡明な生き方が大切です。戸田先生は母親が重病の青年に指導された。                                1、御本尊に祈れば病気は絶対治る                           2、題目は上げて、信心は続けなさい                          3、生命は永遠であるから安心して療養しなさい                   とお母さんに手紙を書きなさいと、そして、そこに先生は署名されました。 後日母は歩けるまでに回復されたそうです。どこまでも「最善の治療」「最高の信心」が大事であると池田先生はご指導されています。我々もまずは健康第一に楽しく前進してまいりましょう!

 

2013年4月度 南三和支部 先駆 だより!第13号①

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『体験発表』 壮年部                                  昭和34年、私が20歳の時に横浜の伊勢崎町でアイスクリームをたべていたら、おばさん二人に声を掛けられ信心の話を聞かされ素直に入信しました。私の仕事は大工をしていました。当時は景気が良く24歳で自分のアパートを建てたりしていましたが、その後オイルショックなど様々に大小の難に会いました。53歳の時出がけに大量の血を吐き救急車で日赤病院に入院しました。担当医からは死の危険性があるとの話が漏れ伝わりました。肝硬変と診断されましたが運よく助かりました。それからは入退院を繰り返しながら仕事を続けていました。一年前の平成24年4月9日の夕方持病の胆石で腹痛がすごくなり、また日赤病院に行きましたが、肝臓が悪いため手術もできないで15日間も痛みが続きました。あまりにも苦しくて、昔楽しかった思い出話が次々と走馬灯のように思い出されました。御書に法華経の眼目である南無妙法蓮華経こそが行基を根本から治す大良薬であるとありました。私は苦しい中でも一生懸命題目を唱え、このままでは衆議院選挙も戦えないので退院させていただき、友人知人・親戚に電話をかけお願いしました。その結果、苦しみが徐々に消え失せどんどん生命力が湧き上がり、今こうして元気に歩けるようになりました。担当医・ケアマネージャーも大変驚いています。池田先生の弟子で良かった。創価家族の皆様から毎日激励していただき元気になりました。本当にありがとうございました。これからも広布に頑張ります。

 

2013年2月度 南三和支部 先駆 だより!第12号②

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『阿仏房尼御前御返事』 大白蓮華2月 30ページから

日蓮仏法の本質は、人間への「尊敬」と「信頼」であり、生命の無限の可能性と尊厳性への「信」と言えます。この強情なる信仰があるからこそ「自分が変われば世界が変わる」という人間革命の希望の大道を、朗らかに進むことができるのです。今回学ぶ御書は佐渡の阿仏房婦人から大聖人に対して地元の人達の信仰上の謗法、宿業どについて質問されたことに対してのお手紙になります。女性の立場でありながら、謗法の罪の浅深・軽重について問われたことは実にまれで立派であると激励されています。私たちも強盛の大信力で自身の人間革命を成し遂げてまいりましょう!

 

2013年2月度 南三和支部 先駆 だより!第12号①

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『体験発表』  男子部  

私は1986年10月16日、学会2世として生まれました。私は双子の弟で長男、長女の4人兄弟の末っ子です。小さなころから父母の後ろで勤行してきました。何のために勤行するのか?答えは見つかりませんでしたが、両親から「信心していれば必ずいいことが起こる」と教えてもらい今日まで26年間

生きてきました。私の転機は高校入試でした、志望校には学力が足りず厳しい状況の時に、必死に題目をあげました。しかし私以上に必死に両親は題目をあげてくれました。車の免許の時も陰で唱題をしてくれたと聞き本当に両親に感謝しています。私が人生の壁にぶつかると、必ず私のいないところで題目をあげてくれる両親です。ある時車で単独の事故を

起こしたことがありました。両親や長男にも迷惑をかけてしまい本当に落ち込みました。良く考えると朝の勤行をさぼっていました。私の仕事は機械のメンテナンスです、ある時私の指先にアクリル板が急降下し指が押し潰されそうになりました。約8分間はさまれ指の色は変わり、「この指はもう終わりだ」と、その後機械が復旧し助け出された指は出血しましたが異状なく、大丈夫でした!この朝はしっかりと勤行した日でした。私は両親から素晴らしい信心を教えていただき、現在は創価班36期で訓練を積んでいます。私はこの体験を未来部・そして友人を幸せにするため、折伏に取り組んでまいります。大好きな御書に「・・法華経の行者の祈りの叶わぬ事はあるべからず」とあります。ありがとうございました!