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情熱店長ブログ

〈小説「新・人間革命」〉 源流 四十七 を読んだ感想と決意 島幸弘

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二月九日の午後八時から、インディアン・エクスプレス社のR・N・ゴエンカ会長が主催する訪印団一行の歓迎宴が、
ニューデリーのホテルで行われた。「インディアン・エクスプレス」は、インド屈指の日刊紙である。
 
歓迎宴には、訪中を前にしたバジパイ外相、L・K・アドバニー情報・放送相をはじめ、多数の識者らが参加し、真心
に包まれた語らいの一夜となった。
ゴエンカ会長は豪放磊落で精悍な新聞人であった。七十代半ばとは思えないほど、快活で、哄笑が絶えず、エネルギッ
シュな話し方には不屈の闘志があふれていた。インドに到着した折も、真夜中にもかかわらず、空港まで出迎えに来て
くれた。
彼は、一九〇四年(明治三十七年)四月に、インド東部のビハール州に生まれた。青年時代に、イギリスからのインド
独立を勝ち取ろうと、ガンジーの運動に加わった。
 
自身の発行する「インディアン・エクスプレス」を武器に、イギリスが行っている数々の偽りを暴き、戦い抜いた。
インドが独立したあとも、政府による新聞への激しい圧迫の時代があった。しかし彼は、それに屈することなく、言論
人としての主義主張を貫いていった。
 
伸一は、その苦境を突き破ったバネは何かを尋ねた。ゴエンカ会長は胸を張った。
「人びとに対する義務です! 新聞は私個人に属するのではなく、人びとのためにあります。私は、単に人びとの委託、
信任を受けた、いわば代理人です。ゆえに、人びとに応えるために、私は支配者に屈服、服従することはできませんでした」
言論人の使命は、民衆の声を汲み上げ、その見えざる心に応え、戦うことにある。
 
精神の自由を剝奪しようとする権力は、まず表現・言論の自由を奪おうとする。それを手放すことは、人間の魂を捨てることだ。
また、人生の処世訓を問うと、こう答えた。
 
「決して破壊してはいけない。建設的であれ。これが、私の人生の主義です」

 源流 四十七 を読んだ感想と決意 島幸弘

人間としての表現と言論の自由は守られるべき基本的人権の重要事項である。しかし、この自由を勝ち取るためにどれほどの困難があった事か・・、現代に生きる私たちはあまりにも当たり前のような暮らしの中で自由というものを当たり前だと勘違いしている節もあるかもしれない。人としてのこの権利を大切にそして、感謝しながら自由に生きていきたい!生命それ自体が歓喜であり自由そのものだからこそそれぞれが価値ある存在であり桜梅桃李の個の個性を発揮しながら楽しんでいける人生を全うしていきたい!

〈小説「新・人間革命」〉 源流 四十六を読んだ感想と決意 島幸弘

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山本伸一ら訪印団一行は、ネルー大学に引き続いて、ニューデリーの中心街ティーン・ムルティにあるネルー記念館を訪問した。
記念館の建物は、バルコニーが張り出した重厚な石造りの二階建てであった。かつてはイギリス軍の最高司令官が使用していたが、
インド独立後、ネルー首相の住居となった。彼は、一九六四年(昭和三十九年)に世を去るまでの十六年間、ここでインド民衆の
ために平和と繁栄への舵を取り続けてきた。
 
そして、ネルー逝去から半年後、彼の事績と精神を伝え残すために記念館となった。
一行は、S・R・マハジャン館長の案内で館内を見学した。ネルー首相の生い立ちを示す写真の数々。在りし日のままに保存された
執務室、応接室、寝室。また、親交のあった多くの人びとの写真……。
 
伸一には、インド国民会議派のガンジーの指導のもと、独立運動に身を投じ、念願の日を勝ち得たネルーの姿が偲ばれた。
一九四七年(同二十二年)八月十五日午前零時――それは、長い長い漆黒の闇を破り、インドの大地に、「独立」と「自由」の金色
の光が走った瞬間であった。インドが独立を勝ち取ったことは、搾取され、虐げられ続けてきた民衆の勝利にほかならない。
 
詩聖タゴールが「人間の歴史は、侮辱された人間が勝利する日を、辛抱づよく待っている」と述べた悲願の時が、遂に訪れたのだ。
その新生の時を前にして、初代首相ネルーは制憲会議の全議員と共に誓った。
 
インドのため、民衆のために貢献しよう。平和のため、人間の幸福のために寄与しよう――八月十四日、独立前夜の誓願である。
なんと、この日は、十九歳の伸一が恩師・戸田城聖と初めて会い、平和と人道に生き抜く覚悟を定めた、運命の日でもあったのだ。
 
その後、ネルーは、東西冷戦によって引き裂かれた世界の傷を癒やし、アジアとアフリカの心を結ぶ第三世界の期待の星となった。
民衆のために”という強き一念と闘魂は、時代を建設する不屈の力となる。

源流 四十六を読んだ感想と決意 島幸弘

ガンジーからネルーへ、師から弟子へと人間尊厳の思想は受け継ぎ、政治を通して国家安寧と世界平和を願い貢献していく。素晴らしい人生とは自分自身が最高に輝き縁する方々に多くの夢や希望を投げかけ、人々を元気にして行ける人ではないかと思う。人ぞれぞれの使命を自覚し自分自身ンの才能の芽をぐっと引き上げて、力強く!今日も一日素晴らしい一歩前進の日にして行きたい!

〈小説「新・人間革命」〉 源流 四十五うを読んだ感想と決意 島幸弘

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山本伸一は、その後もナラヤナン副総長との友誼を大切にしていった。日本で、インドで、出会いを重ねた。 
ナラヤナンは一九八四年(昭和五十九年)にケララ州から下院議員選挙に立候補し、当選する。外務担当国務
大臣等を経て、九二年(平成四年)、友人の国会議員に強く推されて副大統領選へ。上下両院議員の選挙の結果、
なんと賛成七百票、反対一票で副大統領に就任したのである。
 
後年、伸一が、直接、その圧倒的な支持の理由を尋ねると、こう答えている。
「大臣時代の仕事ぶりを認めてくれたのかもしれません。また、数年間、大臣ではなく一般の議員として仕事を
していましたが、その間に、ほとんどの議員と友好関係をもつことができました」
 
つまり、日ごろの行動、地道な陰の功労を皆が見ていて評価してくれたというのだ。また、人間対人間の交流を
通して培ってきた信頼が、いざという時に花開いたといえよう。
 
さらに彼は、インド独立五十周年にあたる九七年(同九年)七月、国会と州議会の議員約四千九百人による選挙で、
有効投票数の約九五パーセントを得て大統領に就任。「不可触民」といわれ、差別されてきた最下層の出身者から、
初めて大統領が誕生したのだ。
 
新しき朝は来た。人間のつくった差別という歴史の闇を破るのは、人間の力である。
その三カ月後の十月、インドを訪問した伸一は、大統領府を表敬訪問し、ナラヤナン大統領に長編詩「悠久なるインド
 新世紀の夜明け」を贈った。
 
また、二〇〇四年(同十六年)十月、伸一は二年前に大統領の任期を終えていたナラヤナンと、聖教新聞社で七年ぶり
四度目の会談を行った。この日本滞在中、創価大学から名誉博士号が贈られている。
 
「民主主義の本質は、民衆の幸福に尽くすことである」(注)――これは、ナラヤナンが大統領の任期を終えるにあた
って議会で語った、ガンジーの不滅の言葉である。 

 源流 四十五うを読んだ感想と決意 島幸弘

「使命を自覚した時に才能の芽は急速に伸びる」高等部時代に池田先生から頂いたご指導です。その青春時代に命に刻まれたご指導は、私の心の奥底でしっかりと根付き、その根本思想からすべてを思索して人生を生きているのだと自覚しています。人間の一生はわずか100年足らずです。しかも幼児期・幼少期・少年期・青年期・壮年期と各時代の成長期があり黄金の壮年部時代の到来です。山岳地帯を練り歩き人生の山と谷を経験します。その時に自分自身の使命を再自覚していく事でしょう~心は永遠の青年期だありいつまでも挑戦し続けるとき、自分自身の桜梅桃李の人生を謳歌できる日がきっと来ると確信しています。

〈小説「新・人間革命」〉 源流 四十四を読んだ感想と決意 島幸弘

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ナラヤナン副総長も、山本伸一と同じく、図書贈呈を単に書物の授受の儀式に終わらせたくはなかったようだ。副総長は伸一に、
「ぜひ、語らいの時間をもってください」と言い、教員、学生らに自己紹介するように促した。懇談が始まった。
 
一人の男子学生が挙手し、伸一に尋ねた。
「私は、創価学会を専門的に研究して、博士号を取得しようと思っています。山本先生は仏教について、どのようにお考えですか」
 
すかさず副総長が説明した。
「つまり、彼にとっては、山本先生こそが“研究対象”なんです」
「はい。なんでも聞いてください。あなたの研究に尽力できることを嬉しく思います」
 
伸一は、一つ一つの質問に、丁寧に答えていった。青年を軽んじることは、未来を軽んじることである。ネルーは、「青年は“明日の世界”だ」
「明日の世界は諸君の肩にかかっている」(注)と訴えている。
 
伸一は、回答のたびに、「おわかりいただけましたか? では、次の質問をどうぞ!」と確認しながら話を進めた。そのやりとりを副総長は、微笑みを浮かべて見ていた。
語らいの時間は、瞬く間に過ぎていった。
 
副総長は言った。
「今日は、学生の質問に、誠実にお答えいただき、ありがとうございました。質問した学生だけでなく、皆、創価学会を、また、山本先生のお人柄を、よく理解したのではないかと思います」
 
恐縮しながら、伸一は答えた。
「私の方こそ大変にお世話になりました。青年たちと触れ合いの場をもてたことは、最も有意義なひと時でした。ただ副総長と、ゆっくりお話しできなかったことが残念です。またお会いできますよう願っております」
 
学生たちは、一列に並び、瞳を輝かせて、一行を見送った。伸一は、学生一人ひとりと握手を交わしていった。
青年の瞳は未来を映す。そこに輝きがある限り、その国の未来には希望の光がある。
 

源流 四十四を読んだ感想と決意 島幸弘

人と人とのかかわりは新たな触発となり自分自身にもとても勉強になる。昨日地域の座談会の担当者としてお招きいただきました。信心の大先輩の淡々と語る「この1か月は夢のような信仰体験だった!」との実体験を拝聴しました。また男子部2名、女子部は司会をされ先般の教学2級試験も合格されました。私はその方の授与を丁重に行いました。よろしければひと言と話しかけると「ありがとうございました!」とさわやかに挨拶、がんばったもんね~良かったね~と参加者からあり、彼女は微笑む。男子部にもひと言ずつ発言。地区のために何かできることがあれば行ってください~との発言に参加者も「男子部すごいね~じゃ~色々言っちゃお~かな~」と場も和んだところで、」先ほどの体験談の中から、生老病死について引用させていただき、病魔の瞬間瞬間を自分の心御書を引用されたその方の信心のあり方から皆様と一緒に学ばせていただいた感謝をお話しさせていただき、そして「この信心はその生老病死を常楽我浄に宿命転換できる素晴らしい力があるのです!私たちは自分自身でいつでもどこからでも常楽我浄の人生を楽しんでいける信心をしています!寒くなりました、事故ケガ病気には絶対合われませんように」とお話しさせていただき終わらせていただきました。青年とのコニュにケーションに私は今とてもきおつけています。私の真意が理解されるように言葉とタイミングも選び行っています。自分自身が日々成長していけるように題目と実践を繰り返してまいります。

〈小説「新・人間革命」〉 源流 四十三 を読んだ感想と決意 島幸弘

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山本伸一は、ナラヤナン副総長と一緒に、図書贈呈式が行われる会議室へと向かった。
副総長は、歩きながら大学の概要を説明し、「学生たちには、学べぬインドの民衆のために尽くしてほしいというのが私の願いです」と語った。
 
伸一は、全く同感であった。
“大学とは、大学に行きたくても行けなかった人たちに、尽くすためにある”というのが、彼の信念であったからだ。
会議室で行われた図書贈呈式であいさつに立った副総長は、平和と国際理解の実現をめざすネルー大学の建学の精神に照らして
世界平和へ献身的に努力する創価学会一行の来訪を、心から歓迎したいと述べた。
 
そして、ネルー大学は、特に日本語の教育に重点を置き、日本の経済・社会の発展等の学習・研究にも力を注いでいることを紹介。
この贈呈式の出席者は、学部長、教員及び日本語を研究している学生であることを伝えた。
 
贈呈式では、日本語を専攻している四人の女子学生が、日本語で「さくら」を合唱した。発音も正確であり、美しい歌声であった。
一行は大拍手を送った。会場からアンコールの声が起こった。
それに応えて、女子学生たちが「春が来た」を披露し、さらに、そのうちの一人が、日本のフォークソング「この広い野原いっぱい」を独唱。
皆、引き込まれるように耳を傾けた。
 
伸一は女子学生たちに、お礼を言った。
「まるで日本へ帰ったような気持ちになれました。最高の歓待です。ありがとう!」
 
また、教授陣に「すばらしい歌を歌ってくれた学生さんに、最高の成績をつけてあげてください」と語ると、笑いが起こった。
書物を贈るだけでなく、心と心が通い合い、人と人とが結ばれることに、図書贈呈式の大きな意味があると、伸一は考えていた。
 
彼は、日本とインドの精神文化の絆を、さらに強くしていくために、教育・文化交流に最大の努力を払いたいと述べ、日本語と英語の書籍千冊の寄贈目録を副総長に手渡した。

源流 四十三 を読んだ感想と決意 島幸弘

国際的な文化交流を創価学会が行っている事実はあまり世間的に認知されていません。創価学会の理念は「平和・文化・教育」です。その理念のもと国内はもとより国際的にも献身的に民間交流も行っている団体であるのです。池田先生は世界的な著名大学での講演を含め世界の識者との書籍も多数出版され、多国籍で翻訳されてもいます。創価学会の内部だけで展開している団体ではないのです。その結果各国の著名な大学より名誉博士などの称号・文化勲章なども多数いただいています。世の中にはうがった見方をする傾向もありますが。世界の有識者の評価は非常に高い事実を再認識する必要があるのではないかと思っています。

11月にSGI秋季研修会 60カ国・地域から270人が来日 (聖教新聞より転載)

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世界広布の英雄が集い来る、SGI(創価学会インタナショナル)秋季研修会が来月、盛大に行われる。
60カ国・地域から270人が来日予定。希望大陸アフリカをはじめ、世界五大州から、求道に燃える友が一堂に会し、11月18日「創価学会創立の日」を慶祝するとともに、明「世界広布新時代 青年拡大の年」へ、勢いよく出発を期す。
 
期間中は「SGI総会」を開催。また、各国の多彩な平和・文化・教育運動の報告会などが行われる。
さらに、「鉄桶の埼玉」で交流交歓会が開かれる。
 
池田SGI会長が世界広布の一歩を踏み出したのは、今から56年前の1960年(昭和35年)10月2日のこと。以来、54カ国・地域を訪問し、妙法流布への道なき道を開いてきた。
SGI会長の間断なき激励行によって、今や広布の伸展は世界同時進行に。創価家族のスクラムは全地球を包み、あの地にも、この地にも、平和と幸福の楽土が築かれている。
かつてSGI会長はつづった。
 
「世界の平和と安穏、人類の幸福を祈り、この地球を『善の連帯』で包みゆく私たちSGIの使命は、いやまして重大である」「我らSGIは、永遠に『一人立つ』精神を燃やし続ける! そして、いかなる人も尊極の仏の生命を持った存在であるゆえに、どこまでも『一人』を大切にし、励まし続けるのだ!」と。
研修会は、平和と人類の幸福のために「人間共和の光」を広げゆく、世界の友の新たな誓願の機会になろう。

 

〈小説「新・人間革命」〉 源流 四十二 を読んだ感想と決意 島幸弘

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ナラヤナン副総長は、一九二〇年(大正九年)に、インド南部のケララ州に七人きょうだいの四人目として生まれた。家は貧しかったが、勉強が大好きな少年であった。兄や姉は自分たちが小学校に通うことを断念し、彼を小学校に行かせた。
 
彼は長い道のりを歩いて通学した。目に触れる本や新聞は片っ端から読み、メモした。授業料が払えず、教室に入れぬこともあった。苦労に苦労を重ね、トラバンコール大学(後のケララ大学)に進み、首席で卒業した。大学のある町は、かつてガンジーが差別撤廃のために戦った人権闘争の舞台であった。
 
彼は、大学講師やジャーナリストとして活躍し、奨学金を得て、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学する。
ここでも最優秀の成績を収めた。帰国に際して、政治学者である同校のハロルド・ラスキ教授が、ネルー首相に紹介状を書いてくれた。
 
ネルーとの出会いが、彼の人生を変える。外務省入りを勧められ、外交官として新しい一歩を踏み出すことになる。
ビルマ(後のミャンマー)、日本、イギリス等で勤務したあと、タイ、トルコ、中国大使を歴任。この一九七九年(昭和五十四年)、ネルー大学の副総長に就任したのだ。
 
彼の存在が、カーストによって差別する偏見を打ち破る先駆の力となった。人間の生き方が、社会の変革を促す。
ネルー大学に到着した山本伸一たちは、副総長室に案内された。そこには、白髪にメガネをかけた、ナラヤナン副総長の穏やかな笑顔が待っていた。
 
「ようこそ、わがネルー大学へ!」
「お忙しいところ、時間をとっていただき、ありがとうございました。民衆の大学者であるナラヤナン副総長とお会いできる
ことを、楽しみにしておりました」
 
「私もです。今日は、山本先生を、わが大学の“一日教授”としてお迎えします」
 
「とんでもない。“一日学生”です」
 
このやりとりに爆笑の渦が広がった。

 源流 四十二 を読んだ感想と決意 島幸弘

人の人生はその人がどのような思いで生き抜き、生ききったのか?その瞬間瞬間に自分らしく自分自身の思いで精一杯生きていく事。その生き方に自分自身が誇れ、他社からの評価も自然についてくる。なんのために生まれ、どのように生きるのか?すべて自分で決め自分の責任で生きていく人生こそが桜梅桃李の花咲く人生を歩んでいける事になるのだろう!

自分の中、自分の生命そのもの自体が「仏界」という尊厳そのものがある。この世に生まれたその人自身の使命がある。その使命を自覚し使命に生きる!創価学会の信心にはそれを実感できる大聖人の教学と三代会長の実践の確信がある。

 

〈小説「新・人間革命」〉 源流 四十二 を読んだ感想と決意 島幸弘

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ナラヤナン副総長は、一九二〇年(大正九年)に、インド南部のケララ州に七人きょうだいの四人目として生まれた。家は貧しかったが、勉強が大好きな少年であった。兄や姉は自分たちが小学校に通うことを断念し、彼を小学校に行かせた。
 
彼は長い道のりを歩いて通学した。目に触れる本や新聞は片っ端から読み、メモした。授業料が払えず、教室に入れぬこともあった。苦労に苦労を重ね、トラバンコール大学(後のケララ大学)に進み、首席で卒業した。大学のある町は、かつてガンジーが差別撤廃のために戦った人権闘争の舞台であった。
 
彼は、大学講師やジャーナリストとして活躍し、奨学金を得て、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学する。
ここでも最優秀の成績を収めた。帰国に際して、政治学者である同校のハロルド・ラスキ教授が、ネルー首相に紹介状を書いてくれた。
 
ネルーとの出会いが、彼の人生を変える。外務省入りを勧められ、外交官として新しい一歩を踏み出すことになる。
ビルマ(後のミャンマー)、日本、イギリス等で勤務したあと、タイ、トルコ、中国大使を歴任。この一九七九年(昭和五十四年)、ネルー大学の副総長に就任したのだ。
 
彼の存在が、カーストによって差別する偏見を打ち破る先駆の力となった。人間の生き方が、社会の変革を促す。
ネルー大学に到着した山本伸一たちは、副総長室に案内された。そこには、白髪にメガネをかけた、ナラヤナン副総長の穏やかな笑顔が待っていた。
 
「ようこそ、わがネルー大学へ!」
「お忙しいところ、時間をとっていただき、ありがとうございました。民衆の大学者であるナラヤナン副総長とお会いできる
ことを、楽しみにしておりました」
 
「私もです。今日は、山本先生を、わが大学の“一日教授”としてお迎えします」
 
「とんでもない。“一日学生”です」
 
このやりとりに爆笑の渦が広がった。

 源流 四十二 を読んだ感想と決意 島幸弘

人の人生はその人がどのような思いで生き抜き、生ききったのか?その瞬間瞬間に自分らしく自分自身の思いで精一杯生きていく事。その生き方に自分自身が誇れ、他社からの評価も自然についてくる。なんのために生まれ、どのように生きるのか?すべて自分で決め自分の責任で生きていく人生こそが桜梅桃李の花咲く人生を歩んでいける事になるのだろう!

自分の中、自分の生命そのもの自体が「仏界」という尊厳そのものがある。この世に生まれたその人自身の使命がある。その使命を自覚し使命に生きる!創価学会の信心にはそれを実感できる大聖人の教学と三代会長の実践の確信と指導が厳然とあるのである。

 

国連総会第1委員会でSGI参加の宗教コミュニティーが共同声明を発表(聖教新聞より抜粋)

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人間性を議論の根幹に人道軍縮フォーラム SGIの代表が登壇
 
【ニューヨーク16日】米ニューヨーク市の国連本部で開かれている国連総会第1委員会で12日、SGI(創価学会インタナショナル)が参加する
「核兵器の非人道性を憂慮する宗教コミュニティー」の共同声明が発表された。
一方、15、16の両日には同市内のペース大学で「人道軍縮フォーラム」が開催され、SGI代表が参加。
人間性を議論の柱に据えた軍縮運動の重要性を訴えたほか、宗教の役割を巡る分科会の進行を担当した。(記事・写真=萩本秀樹)
 
 毎年9月に開会する国連総会は、国連事務総長、総会議長、各国首脳による一般討論を経た後、議題ごとに六つの委員会に分かれて討論が始まる。
 そのうち、軍縮・国際安全保障問題を扱うのが第1委員会である。
 
 毎年、軍縮関連の決議が多く採択される第1委員会は、核軍縮・不拡散の動向を見極める上で大きな注目を集める。とりわけ本年は核兵器禁止条約
 の来年中の交渉開始を求める報告書が、8月に国連公開作業部会で採択され、提出された中での国連総会の幕開けとなった。それを受けた決議案が
 10月末に採決される見通しの中、第1委員会では各国代表や国際機関、市民社会による議論が連日、本格的に行われている。
 
 石渡SGI平和運動局長らSGI代表は12日、第1委員会の一環として行われた市民社会プレゼンテーションに参加。席上、SGIがWCC
(世界教会協議会)、PAX(オランダの平和団体)などと共に参加する「核兵器の非人道性を憂慮する宗教コミュニティー」の共同声明が発表された。
 
 同コミュニティーによる共同声明は、ワシントンでSGIが主催した宗教間シンポジウム(2014年4月)で発表された声明を基盤に、ウィーンでの
「核兵器の非人道性に関する国際会議」(同年12月)や国連本部でのNPT(核不拡散条約)再検討会議(15年4~5月)などでも発表されてきた。
 
SGIは、この宗教間の取り組みで中心的な役割を担っている。
今回の声明にはキリスト教、イスラム、仏教等の信仰を基盤とした22団体から30人(16日現在)が賛同を表明している。ここでは、国家の安全や
国際関係の安定、政治状況などいかなる理由をもってしても、核兵器の存在と使用は正当化されるものではないことを明記。
 
国連加盟国に対して、世界中の被爆者の苦しみを心に刻み、核兵器の非人道性を軍縮への努力の根幹に据えることや、核兵器禁止条約の交渉開始へ市民社会の力を結集することなどを訴えている。

〈小説「新・人間革命」〉 源流 四十一を読んだ感想と決意 島幸弘

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山本伸一は、ジャッティー副大統領と会談した九日の午後、ニューデリーにあるジャワハルラル・ネルー大学を訪問した。
教育交流の一環として、図書を贈呈するためである。
同大学は、その名が示す通り、故ジャワハルラル・ネルー首相の思想を基調に、新しい学問の創造をめざして創立され、
言語学部を除いて大学院課程のみの国立の大学院大学である。当時、学生総数は約二千二百人、教授陣は約五百人であった。
 
伸一は、この訪問で、コチェリル・ラーマン・ナラヤナン副総長と語り合えることを、ことのほか楽しみにしていた。
インド社会には、「不可触民」と呼ばれ、カースト制度の外に置かれて差別され続けた最下層の人たちがいた。副総長は、
その出身だが、国家を担う逸材として期待されていたのである。
 
カースト制度は、インドの近代化を推進するうえで、超えねばならない大きな障壁であった。既にカーストによる差別は
禁じられていたが、慣習として根強く定着していた。
 
「生まれ」によって人間に貴賤のレッテルを貼ることに真っ向から対決し、人間は生まれではなく、行為によって賤しくも
なれば貴くもなると説いたのが釈尊であった。
 
マハトマ・ガンジーもまた、インドの独立とともに、最も卑しめられてきた最下層の「不可触民」の解放を最大の悲願とし、
その人びとを、「ハリジャン」(神の子)と呼んで、最大の敬意を表した。
 
カースト制度は、都市部にあっては職業カーストとして細分化され、清掃一つとっても床とトイレとでは、行う人のカーストが異なる。
しかし、それによって、人びとの仕事が保障されているという現実もあった。それだけに、この制度の克服は容易ではなかった。
 
だが、何よりも大切なことは、偏見と差別をもたらしてきた、人びとの心のなかにあるカースト制度を打破することであろう。
それには、万人が等しく仏の生命を具えた、尊厳無比なる存在であると説く、法華経の教えに立ち返ることだ。

 源流 四十一を読んだ感想と決意 島幸弘

インドのカースト制度は、差別制度として世界でもとても有名です。人間は平等であり、その尊厳は大切にしなければならないが、職業にこのような制度が蔓延してしまうと、今度はその制度が職業の保証にもなってしまう。これによって生活ができる人々も存在するという現実の事実。これを変革する事は至難の業であると私も思う。

ここでもう一つ深く考える事にしよう。カースト制度は見直されて現在では制度自体は無くなり表面上存在しないはずであるが、実際にいまだに継続している事実がある。人間の営みはそれを受け入れ存続する時にその流れが常識とされ継続していくものでもある。

制度という実態はないが、人間の思考自体に差別の心ががあれば、その考えが現実化し一人の人間から差別のある世界が出来上がることも事実である。これが「いじめ」の原因にもなっている。

創価学会・日蓮大聖人の信仰は人はみな平等であり、人間の尊厳は尊び、あらゆる宿命・宿業に泣かされる日々を自らの生命に存在する仏界の力を持って変革していく力がある。

一人の人間革命は・・から続く人生の勝利劇を全地球の人々に広げていきたい!