創価学会仏壇の桜梅桃李.com>店長のブログ>情熱店長ブログ

情熱店長ブログ

本部幹部会で紹介されたSGI会長の指針 2016年10月18日(聖教新聞より転載)

2016101992213.png
「世界広布新時代第20回本部幹部会」(今月9日、香川県高松市の四国池田文化会館)の席上、1994年4月に行われた本部幹部会での池田SGI会長のスピーチが紹介された。栄光の11・18「学会創立記念日」に向け、広布に走る友の指針として掲載する。
 
 一、「無冠の友」(本紙配達員)の皆さまに、毎日、本当にご苦労さまと感謝申し上げたい。
 二、三日でもたいへんなのに、なんと尊いことであろうか。その功徳は計り知れないことを確信していただきたい。
 
 婦人部の皆さまを中心に、「聖教新聞」の購読推進を、よく頑張っていただいている。“創価婦人学会”というべきか、つねに婦人部の皆さまが広布を支えてくださっている。
 
 一、大聖人は仰せである。「文字は是れ三世諸仏の気命なり」(御書381ページ)――(経文の)文字は、三世諸仏の命である(と天台は言っている)――。
 妙法を根底にした「聖教新聞」にも通ずるお言葉と拝される。
 
 また「仏は文字に依つて衆生を度し給うなり」(同153ページ)――仏は文字によって民衆を救われるのである――と。
 仏法の世界の「文字」には人を救う力がある。人を救う文字であり、新聞なのである。
 
 さらに御書では、涅槃経を引かれている。
 「願わくは諸の衆生悉く皆出世の文字を受持せよ」(同ページ)――願わくは、もろもろの衆生よ、ことごとく、みな、出世間(仏法の世界)の文字を受持しなさい――。
 戸田先生が、「『聖教新聞』を日本中、世界中の人に読ませたい」と言われたのも、このお心からであった。
 
 「人を救う文字」を広める。配達する――その方は、立派な弘法をされていることに通じる。
 功徳も生々世々に続き、また家族にもおよんでいく。仏法の世界は役職で功徳が決まるのではない。行動で決まるのである。信心で決まるのである。
 
 一、大聖人は、窪尼という婦人の信徒に、次のように書かれている。
 「三千大千世界に七日ふる雨のかずは・かずへつくしてん、十方世界の大地のちりは知る人もありなん、法華経の一字供養の功徳は知りがたしとこそ仏は・とかせ給いて候へ」(同1483ページ)
 
――三千大千世界(という一つの宇宙)に七日間、降りそそぐ雨の数は、数えつくせるかもしれない。また十方の世界にある大地の塵の数は、数え知っている人もいるかもしれない。
しかし法華経の一文字を供養する功徳は計り知ることはむずかしい、と釈尊は説いておられます――。
 
 これが妙法のすばらしさである。日々、妙法を弘め、広布を拡大しておられる皆さまの福運は言いつくせない。
 この大聖人の仰せを確信して、楽しく、自分自身で喜びをつくりながらの毎日であっていただきたい。その人が最も尊く、幸福な人である。
 
 「三世諸仏の気命」を広げる人、配る人は必ず生命力が強くなる。健康になっていく。これが不可思議なる仏法の因果の理法である。
 
 一、古来、中国では、桃や李は優れた人格の象徴とされた。
 唐代の詩人・李賀の詩にも、次のような一節がある。
 立場が変わり、境遇が変化した人への励ましの言葉であった。
 「自ら是れ 桃李の樹 何ぞ畏れむ 蹊を成さざるを」
 
 ――あなたは桃李(=桃や李)の木の如きもので花が爛漫とうるわしく咲いている、だまっていても人が寄ってきて、下には自然と小路ができるというものだ。
(『李長吉歌詩集』鈴木虎雄注釈、岩波文庫)
 
 たとえ一本でも、美しく咲き香る木があれば、あたり一面がなごみ、華やぐ。組織も同じである。「真剣な一人」がいれば、全体が大きく変わっていく。
「一人」が立てばよいのである。
 仏法の世界とは、こうした「人間性の花」を咲かせながら、あの地にも、この地にもうるわしい友情を広げていくものである。
  組織の論理だけで押し切っていくということがあってはならない。
 
 「ああ、あの人はすばらしいな」「あの心、あの生き方に感動する」――そのように人格を慕われて、おのずから広布の道ができていくのである。
 
 一、これからも力を合わせて、栄光の歴史を、ともどもに建設してまいりたい。
 皆さま方の無事故、ご健康、ご長寿、だれよりも幸せで裕福な人生を、私は一生懸命、祈っている。

 

〈小説「新・人間革命」〉 源流 四十を読んだ感想と決意 島幸弘

201610197148.png
ジャッティー副大統領は、しばらく視線を落とした。憂いに満ちた目であった。やがて、その目は、次第に輝きを増していくように感じられた。
それは、未来を担う子どもたちのために、インドを発展させようとする決意の光であったのかもしれない。
 
今回の訪印中、山本伸一は、子どもたちと努めて言葉を交わし、兄弟、姉妹について尋ねてみた。
すると、「十二人いましたが、三人死んで、九人です」などと、亡くなった兄弟、姉妹のことが、よく話題になった。
疾病で他界したケースが多かった。零歳児の死亡率もかなり高いようだ。
 
人は、まず何よりも生き抜かねばならない――副大統領は、この切実なテーマに向き合い、格闘していたのであろう。
インドでは、「男の子を産むことは一つの生活防衛になる」という話も耳にした。
 
子どもたちは、親が学校に通わせなくとも、働き手となる。社会保障が十分でない状況では、子どもの多い方が、
やがて暮らしは楽になるという論理が働く。貧しさゆえの多産、そして人口過剰――大国インドの指導者の苦悩が感じられた。
 
副大統領は、言葉をついだ。
「第二の問題は、子どもの人格形成をいかに図るかです。これには、道徳と精神の道を歩ませなければなりません」
伸一は、指導者たちが、未来の発展のために、インドの深き精神性を青少年に伝え、教育に力を入れようとしていることを強く感じた。
二十一世紀の世界を考えるうえでも、極めて重要な着眼点であると思った。
 
物心両面にわたって、子どもを守り育てていくことは、大人の責任であり、義務である。
「すべての人を尊重せよ。しかし子供の場合は普通の百倍も尊重し、その汚れを知らぬ魂の純粋さを損なわぬよう努めよ」
(注)とは、ロシアの文豪トルストイの箴言である。
 
社会の新たな改革は、未来からの使者である子どもたちに、希望と勇気の光を送るところから始まるといってよい。
 
 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 レフ・トルストイ著『文読む月日(中)』北御門二郎訳、筑摩書房

 源流 四十を読んだ感想と決意 島幸弘

世の中で一番大切なものは何か?人それぞれかもしれない、表現としても様々かもしれない、その場の大切さもあれば、究極の大切さもあるだろう。この仏法ではやはり「生命」という事になるだろう。そしてその生命の躍動できる時、そして涅槃の時を迎える。「生も歓喜・死も歓喜」現在の自分たちにできること、それは今の時を大切に考え、自分自身の価値創造を一番に注目することではないかと思っている。創価学会の信心は自分自身の最大価値を自分自身で発生していく能動的で自発的な信仰であり大生命哲学でもある。まちがってもおすがり信仰などではないのだ。

自分自身の価値創造は、自分に縁する他の人々にも同様に価値を創造していくきっかけを与えていける。つまり相互に価値創造していく流れをこの人生で実証できる仕組みでもあるのだ。そして、その姿を持って自分の子供に人生の価値を教えていく!地域の子供たちに未来は自分自身で明るく希望を持てる時代を作っていくんだとのプラス思考の生き方を承継していきたいものだ!

〈小説「新・人間革命」〉 源流 三十九を読んだ感想と決意 島幸弘

201610185475.png
 山本伸一は、日々、インドの指導者たちと会い、意見交換することが楽しみであった。
 二月九日――空は澄み渡っていた。
 午前十一時には、バサッパ・ダナッパ・ジャッティー副大統領をニューデリーの官邸に訪ねた。官邸は、緑の多い官庁街の一角に立つ、白亜の清楚な建物であった。
 白いインドの民族衣装に身を包んだジャッティー副大統領は、六十六歳で、物静かな哲人政治家といった風貌の紳士であった。
 
 会談は、アショーカ王、カニシカ王といった仏教に縁の深い古代インドの王の話から始まり、その政治哲学へ、さらにタゴールの崇高な精神、平和主義へと及んだ。
 伸一が、副大統領に人生のモットーを尋ねると、即座に、「人間的であること、精神的であること、道徳的であることの三つです」との答えが返ってきた。
 
  さらに、人生を生きるうえでも、政治を行ううえでも、「人格の純粋性」が大切であることを強調した。
 そして、個人の内面、精神の世界に平和が確立されることが根本であり、それを全人類にまで広げていくことによって、現実の世界を、釈尊のいう“浄土”に変え
  ていきたいというのが副大統領の意 見であった。
 
 伸一は、両手を大きく広げ、「全く同感です」と賛同の意を示し、それこそが創価学会がめざす、人間革命を機軸にした平和運動であることを語った。
  また、この年が「国際児童年」であることから、子どもについてのインドの課題を尋ねた。
 
 「インドの子どもも、世界の子どもも、第一の問題は健康の増進です。そして、そのために十分な医療、薬品、食糧が不可欠です」
 副大統領は、まず“生きる”ことを確保する必要性を訴えたのだ。
 
 世界は、先進諸国のように、飽食で医療施設にも恵まれた国ばかりではない。発展途上国には十分に食べることができず、健康を維持できぬ子どもがたくさんいる。
 子どもたちの生命と生活を守ることは、常に世界が急務とすべきテーマである。

 源流 三十九を読んだ感想と決意 島幸弘

世界の未来はすべて子供たちにかかっている、そのためには充分や栄養と教育が必要である。私たち創価の同志も心して100年後、1000年後を思い考えねばならない現在の現証があるのではないかと思う!さあ人間革命のドラマのスタートだ!

〈小説「新・人間革命」〉 源流 三十八 を読んだ感想と決意 島幸弘

2016101793351.png
「だからこそ」――こう言ってカラン・シン副会長は、出席者に視線を巡らし、大きく息を吸い、さらに力を込めて語っていった。
「人類が将来も生存し続けるために、個々人が結束して、平和と調和をめざして努力しなければなりません。
人種、カーストなどで人間を分断する考え方は改めなければならないのです。インドの古い時代に“人類はすべて一つの家族”という考え方がありました。
この理念に立ち返るべきであります!」
 
山本伸一をはじめ、訪印団一行は、惜しみない拍手を送った。
シン副会長は、インドには世界に誇る古代文明が興り、偉大な人物が生まれ、優れた思想を創造してきたことに言及。
その一人が、あのシッダールタ(釈尊)であります。彼の教えはアジアの国々に伝えられ、大勢の人びとがシッダールタの道を歩もうと努力しています。
私は、彼の教えを基調とした創価学会の思想と目的を勉強し、すばらしさに感嘆しました。また、学会が常に平和をめざしてきたことを、心から賞讃したいと思います。
しかも、その運動は、世界に広がっております。
 
今、私は、創価学会の皆さんをインドに迎えることができ、喜びに堪えません。今日は、西洋式の“乾杯”ではなく、アジア式のサンスクリット語の“祈り”をもって、ご一行を歓迎したい。
これは人間の精神のための祈りであります」厳かにサンスクリット語で詩を誦していった。最高の礼を尽くしての歓迎であった。
 
学会は、この招待の返礼として、翌一九八〇年(昭和五十五年)十月、シン副会長を日本に招き、さらに友情を深めていった。
来日の折、伸一との語らいで対談集の発刊が合意され、八八年(同六十三年)六月、『内なる世界――インドと日本』が上梓される。
ヒンズー教と仏教という違いを超えて、両者の底流にあるインドの精神的伝統を浮かび上がらせ、その精神文明が現代の危機を克服する力となることを訴えるものとなった。

 源流 三十八 を読んだ感想と決意 島幸弘

人類はすべて一つの家族という考え方がインドには古からあった。人間の思想、一人の考えが全世界に影響を及ぼすという事を自分自身が自覚する必要がある。池田先生が世界の著名人・識者と多くの対談を行い、著名大学での講演を数多く行ってきました。その事実は世界の大学からの空前の名誉称号にも現証として現れ、池田大作研究所なる学術的なものも先生の平和思想を希求している大学では設置されている。私たち創価学会員は池田先生を師匠、自身を弟子とした時に「師弟共戦」という意味を改めて考える必要があると思う。

〈小説「新・人間革命」〉 源流 三十七 を読んだ感想と決意 島幸弘

20161015151657.png
二月八日の午後八時から、山本伸一主催の答礼宴が、ニューデリーのアショーカホテルで開かれた。
答礼宴には、ICCR(インド文化関係評議会)のカラン・シン副会長夫妻、デリー市長夫妻をはじめ各界代表約五十人が出席した。
伸一は、峯子と共に感謝の言葉を述べながら、一人ひとりを迎えた。
 
答礼宴での語らいは弾み、なかでもシン副会長とは二時間ほど意見交換した。
副会長は、長身で、年齢は伸一よりも三歳若く、エネルギッシュであった。
ジャンム・カシミール州の州知事を経て三十六歳で下院議員となり、当時、インド史上最年少で閣僚となっている。また、ヒンズー教をはじめ、宗教、哲学、科学への造詣も深い知識人である。
 
二人は、インドの神々と仏法で説く十界論との関係や、宗教の根本となる本尊について語り合った。この対話は、インドの精神的土壌を理解するうえでも、ヒンズー教を知るうえでも意義ある語らいとなった。
 
答礼宴のあいさつで伸一は、ICCRの関係者らに謝意を表し、文化・教育次元での交流こそ、国際的な友好深化を着実に進める道であると強調。人間と人間の触れ合いが、世界を結ぶ不可欠な要件になることを訴えた。
 
次いで、シン副会長がマイクに向かった。
「人類は、歴史の重大な岐路に立っております。良き伝統が失われ、新しい生活様式が取って代わりました。
 
また、科学技術の進歩は、人間の幸・不幸の両面をもたらし得るものです。善用すれば、世界の貧困や不幸を除く力となるが、誤用すれば、人間を地上から抹殺する力ともなる。しかも人類は今、核戦争の危機を迎えています。大事なことは、この事態を生んだのは外的な問題だけではなく、人間の内面にこそ、大きな要因があるということです。
この危機をいかに回避するか――人類は最後の選択に直面しているといえましょう」
 
真剣な憂慮が、新しき未来の道を開く。

 源流 三十七 を読んだ感想と決意 島幸弘

全世界、地球の存亡は何処に?何と一人の人間の心の中にある。その一人が私でもある。

「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」と池田先生はご指導されています。私たちは日蓮大聖人の人間尊厳の大仏法を信じ自分の人生で体現していく存在でもある。創価学会の信心は世界平和と直結している。仏法者として一人でも多くの方にこの信心の素晴らしさをぜひともお伝えしなければ!

 

日蓮大聖人御入滅の日 勤行法要 2016年10月14日 (聖教新聞より掲載)

20161014122515.png

師弟の誓願胸に世界広布へ前進

池田名誉会長は創価学会第2別館で
原田会長は広宣会館で各部代表と

「日蓮大聖人御入滅の日」の勤行法要が13日、各地で行われた。
 これは、弘安5年(1282年)10月13日の大聖人の「御入滅の日」の意義をとどめたものである。
 池田名誉会長は、総本部(東京・新宿区)の創価学会第2別館で厳粛に勤行・唱題し、末法の御本仏への報恩感謝と世界広布への誓願、全同志の幸福と勝利を心から祈念した。
 また、各部の代表の勤行会は、原田会長を中心に、信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で。
 原田会長は、「御勘気をかほ(蒙)れば・いよいよ悦びをますべし」(御書203ページ)、「本より存知の旨なり」(同910ページ)の御聖訓を拝読。正法流布によって、幾多の大難を呼び起こし、それを師子王のごとく勝ち越えてきた大聖人の御生涯に言及した。
 そして、その御精神のままに、不惜身命の闘争で大聖人直結の創価学会を築き、世界広布の大道を開いてきたのが三代の会長であると強調。
 一人一人が師の闘争に連なり、今いる使命の場所で「勇気」と「正義」の実践をと語り、11・18「学会創立記念日」、明年の「世界広布新時代 青年拡大の年」を目指し、広宣流布の偉大な実証を打ち立てようと呼び掛けた。

 

〈小説「新・人間革命」〉 源流 三十六を読んだ感想と決意 島幸弘

2016101495726.png
ラージ・ガートを視察した山本伸一は、ガンジーの精神が、この場所とともに永遠であり続けることを願い、案内してくれた管理者に次の一文を認めて贈った。
 「国父ここに眠る
  民衆ここに詣でる
  父子共に永遠に
  幸多かれと祈る
     ラージ・ガートにて
           二月八日」
一行は、ラージ・ガートに続いて、斜め向かいにある国立ガンジー博物館を見学した。
 
ガンジーの使用した杖、サンダル、チャルカ(紡ぎ車)、直筆のメモ、彫像、また、彼の青年時代や子どもを抱いて微笑む様子など、常に民衆と共に歩んできた
“マハトマ”の数々の写真が、パネルで展示されていた。
 
一つ一つの品々から、ただひたすら人びとの幸福のために尽くし抜いた七十八年の尊き一生が、ありありと眼前に迫ってくる。
なかでも伸一が強く心を打たれたのは、ガンジーが暗殺された一九四八年(昭和二十三年)一月三十日に身につけていた、血痕のついた布地であった。彼の歩みは、
まさに命を賭しての変革の戦いであったのだ。
 
ガンジーは、祖国インドの独立とともに、インドの大地に根差すヒンズー教徒とイスラム教徒との融和を願って行動してきた。しかし、イギリスの分離統治のもくろみや、
政治的利害が絡み合い、宗教間の対立は激しさを増していった。そして四七年(同二十二年)八月、悲願の独立を果たしたものの、ヒンズー教徒が大多数を占めるインドと、
主にイスラム教徒からなるパキスタンに分かれての独立となったのである。
 
それから五カ月後、イスラム教徒への報復を叫ぶ、過激なヒンズー教徒の青年が放った三発の凶弾が、彼の命を奪ったのだ。
ガンジーは訴えてきた。「わたしの宗教は地理的な限界をもたない」(注)と。
その言葉は、人間という共通項に立脚した、宗教のあるべき姿を示している。
 
 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 マハトマ・ガンディー著『わたしの非暴力1』森本達雄訳、みすず書房

 源流 三十六を読んだ感想と決意 島幸弘

同じ人間であっても考え方は様々です、それは人種にとらわれる事では無く、生まれた時からの生き方、環境にも大く影響されています。例えばターザンのようなもの、その人間の生き様のドラマは歴史を作り、その歴史のはざまからより良く行きたいとの願望を自然界に求め、そして宗教は誕生しました。元々は地域信仰からの形から宗教が成立しました。イスラム教・キリスト教・仏教またそのほかたくさんの宗教があるわけですが、宗教ともなれば根源的な人間の生き方・生命の考え方の差がどうしてもあるものですます。

私たちは幸せになるために生まれてきて、所願満足の人生を自分自身の力で、また縁する人たちと共に一緒に福徳豊かな人生を歩んでいきたいとの願望が合うのです。宗教の根本に何があるのか?どのように実践すると素晴らしい自分自身が考えうる人生を歩めるのか?改めて人間の考え方に関する宗教性という事を意識して大切な人生を生ききることが必要ではないのか?とおもう昨今です。ガンジーを通して何を感じ、どう生きていくのか?自分の生き方を模索し自分らしく生きていきたい!

 

〈小説「新・人間革命」〉 源流 三十五を読んだ感想と決意 島幸弘

2016101310496.png
人類の歴史が明白に示しているように、不当な侵略や支配、略奪、虐殺、戦争等々の暴力、武力がまかり通る弱肉強食の世界が、現実の世の中であった。
そのなかで、マハトマ・ガンジーが非暴力、不服従を貫くことができたのは、人間への絶対の信頼があったからだ。さらにそこには「サティヤーグラハ」
(真理の把握)という、いわば宗教的確信、信念があったからだ。
 
ガンジーは、道場(アシュラム)での祈りに「南無妙法蓮華経」の題目を取り入れていたという。
仏法は、十界互具、一念三千を説き、万人が仏性を具えているという永遠不変の真理を明かした教えである。その宗教的確信に立つ私たちには、ガンジー
の非暴力運動を継承しうる、確かな精神的基盤がある。
 
山本伸一は、ガンジーの碑に献花し、祈りを捧げながら、深く心に誓った。
――非暴力の象徴たる対話の力をもって、人類を結び、世界の平和を築くために、わが生涯を捧げていこう、と。
さわやかな風が吹き渡り、木々が揺れた。
 
献花のあと、一行は、管理者に案内され、園内を視察した。
太陽の光を浴びて緑の樹木は輝き、色とりどりの花々が咲き乱れていた。
敷地内の一角に、「七つの罪」と題したガンジーの戒めが、英語とヒンディー語で刻まれた碑があった。
――「理念なき政治」「労働なき富」「良心なき娯楽」「人格なき知識」「道徳なき商業」「人間性なき科学」「献身なき祈り」
 
いずれも、ガンジーのいう真理に反するものであり、「悪」を生み出し、人間を不幸にしていく要因を、鋭くえぐり出している。
伸一は、「献身なき祈り」を戒めている点に、ことのほか強い共感を覚えた。行為に結びつかない信仰は、観念の遊戯にすぎない。
信仰は人格の革命をもたらし、さらに、人びとの幸福を願う献身の行為になっていくべきものだからだ。

 源流 三十五を読んだ感想と決意 島幸弘

 

〈随筆 永遠なれ創価の大城 12〉 広がる地涌の確信

20161013102919.png

「創価の哲学」を全世界が希求 不滅の妙法を学ぶ感激に燃えて前進!

冴え光る

  宇宙の英知か
   名月を
  心に抱けや
   御書とともに
    
 ひときわ月光の美しい季節となった。
 「法華経は闇夜の月のごとし」(御書一五〇一ページ)と、日蓮大聖人は仰せである。
 ことに、「深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し」(同ページ)と示されている。
 妙法を持つ我らは、皓々たる満月のように、末法悪世の闇を勇気と希望の光で照らし、友を励ましながら生きるのだ。
 御聖訓には、「秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す」(同五七四ページ)とも説かれている。
 秋の月光という縁に触れ、草木が豊かな実を結び、万物を育んでいく。それと同じように、この仏法の真髄を学ぶ我らもまた、妙法に則って、「一生成仏」という実を結びながら、自他共の幸福を築き、平和の道を広げていくのだ。

教学研鑽の喜び

 今、世界中から、教学研鑽の報告が絶え間なく届く時代となった。
 欧州でも、北米・オセアニアでも、中南米、アジアでも、教学研修会や教学試験が行われ、御書を拝し、仏法の人間主義を学ぶ喜びが広がっている。
 二十一世紀の希望大陸アフリカでも、待望の第一回の教学実力試験が行われる運びである。
 さらに日本では、青年部が先日、教学試験二級で「開目抄」等の重書に取り組み、立派な成果を示してくれた。
 合否を超えて、尊い求道の努力を讃えたい。
 先輩から情熱を込めて勧められ、多忙な中、受験に挑戦した青年が笑顔で語っていたという。
 「父母たちが、なぜ学会活動に一生懸命に励むのか。その意義があらためて深く分かりました」
 創価家族のエールに包まれて、教学を研鑽する成長と歓喜のドラマは、今や日本中、世界中で織り成されているのだ。
 十一月には伝統の教学部任用試験(仏法入門)も行われる。
 世の中には多くの試験がある。しかし、皆が人類最高峰の生命哲学の門に入り、幸福と平和の博士となっていく試験はわが学会にしかない。
 そしてまた、学会の教学試験ほど、学歴や肩書や年齢など、あらゆる違いを超えて、万人に開かれた「学びのチャンス」はあるまい。
 大聖人は、仏法の質問をした女性に、「三千大千世界(大宇宙)を鞠のように蹴り上げる人よりも有り難く、尊い大善根である」(同一四〇二ページ、趣意)とまで讃えられた。
 どうか、受験それ自体が、誇り高く福徳を広げゆく大善根であることを、挑戦される方も、応援される方も、共々に確信していただきたい。

なぜ学会は発展

 「人生とは自己を向上させる不断の努力です」とは、世界的バイオリニスト、メニューイン氏の言葉であった。
 氏は、イギリスSGIの一婦人から教わった「南無妙法蓮華経」の音律に深く感動され、晩年、散歩の折などに口ずさんでおられたそうだ。
 四半世紀ほど前にお会いした際、氏は、真摯に問われた。「なぜ、創価学会は、これほどまでに、驚嘆すべき大発展をしたのでしょうか」と。
 私は、その理由に、学会は「人間のための宗教」であり、「法を厳格に守り、教えの通りに行動してきた」こと等を挙げた。
 自己を向上させるために、何を為すべきか。世界を平和へと導くには、どうすればよいのか――。
 全人類が切実に求め続けてきた問いに対して、我らには、明確な指標があり、実践の規範があり、則るべき大法がある! 
 学会は、この「法」を厳格に守り、「御書根本」を貫いてきたのである。

御本仏の大境涯

 任用試験では「日蓮大聖人の御生涯」を学ぶ。
 大聖人は、あの竜の口の法難で命を賭してお供した四条金吾へ、流刑の地となった佐渡から、お手紙を送られた。
 「法華経の行者として・かかる大難にあひ候は・くやしくおもひ候はず、いかほど生をうけ死にあひ候とも是ほどの果報の生死は候はじ」(御書一一一六ページ)
 死を覚悟する大難も、極寒の流罪地の境遇も、「これほど幸せな生死はない」と、喜ばれておられる。これが、死魔や天子魔(権力の魔性)に断固として打ち勝たれた、究極の「仏界の生死」の大境涯であられる。
 この絶対に崩れぬ三世の幸福の大道を、私たちは学び進んでいるのだ。
 御書には、病苦や生活苦、家族の看病や介護、愛する人と別れる悲しみ、親子の葛藤、仕事・職場の圧迫等々、千差万別の試練に直面した門下への励ましが満ち溢れている。
 御書を開けば、御本仏の大生命の赫々たる陽光を浴びることができる。どんな不幸も、どんな宿命も勝ち越えていける勇気が、智慧が、希望が限りなく湧いてくるのだ。

 

〈小説「新・人間革命」〉 源流 三十四を読んだ感想と決意 島幸弘

2016101393344.png
バジパイ外相との対談を終えた山本伸一の一行は、ニューデリー郊外の、ヤムナー川近くにあるラージ・ガートへ向かった。
ここは、一九四八年(昭和二十三年)に凶弾に倒れたガンジーの遺体を荼毘に付した場所であり、美しい聖地公園になっている。
伸一は、インドを初めて訪れた六一年(同三十六年)以来、二度目の訪問である。
 
辺りの木々と芝生の緑が陽光に映える、穏やかな午後であった。
ゆるやかな丘の頂に、高さ数十センチ、四方三メートルほどの黒大理石の碑がある。
一行は、偉大なる魂の人(マハトマ)・ガンジーへの敬意を表するとともに、その精神の継承を誓い、献花を行うことにしていた。
ここは聖地であるため、皆、靴にカバーをかけ、花輪を先頭に、厳粛に歩みを運んだ。
 
ガンジーが貫いた非暴力・不服従運動は、人類史に人道と平和の輝きを放つ独立運動、人権運動となった。
令状なしの逮捕などを可能にするローラット法への抗議。イギリスの支配から経済的、精神的に独立していくため、インドの伝統工芸
であったチャルカ(紡ぎ車)を使っての綿製品生産。イギリス植民地政府の不当な塩の専売に抗議して行った塩の行進……。
 彼の運動の前には、常に暴力による抑圧が待ち受けていた。しかし、それに対して、暴力で抗することをせずに戦い続けたのだ。
 
ガンジーは言う。
「非暴力と臆病とは相容れないものである」「真の非暴力は、純粋な勇気を持たずには実践不可能だ」(注1)
彼の非暴力運動は、暴力や武力に対して、精神の力をもってする戦いである。そして、「勇敢であることは、精神性の第一の条件である」
(注2)と述べているように、“恐れない心”が求められる道といってよい。
 
大聖人は「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(御書一二八二ページ)と仰せである。人間勝利の歴史を開く偉大なる歩みは、すべて勇気の覚醒から始まる。
 
 小説『新・人間革命』の引用文献
 注1 K・クリパラーニー編『≪ガンジー語録≫抵抗するな・屈服するな』古賀勝郎訳、朝日新聞社
 注2 ガンディー著『私にとっての宗教』浦田広朗訳、新評論

 源流 三十四を読んだ感想と決意 島幸弘

何かを変えていく=変革という事である。 変革はなかなか簡単にはできない!なぜか?凡夫の考えの中に「変わりたくない」という意識があるからだ。今回はインドを植民地化したイギリスの植民地政策、制度である。制度自体は、それを決めた当事者なら変えることは可能だが、その制度で生きている者にとって変えることはほとんど不可能なのである。従って悪政が続くとクーデターが起こり政権との権力の対立闘争が始まるのである。ガンジーは非暴力・不服従の運動を自らお越し多くの民衆の願いを民衆と共に実現していった。本来植民地という事自体があってはいけないものだと私は思っているが、現実の世界は現在も世界各地での紛争が続行され日本においても常に危機があることが事実である。私たち創価の思想を広げていかねば根本的な解決の糸口すら見つからないと思っています。広宣流布を願い自分自身の生き方の中で信心の実証を示しきっていきたい!