情熱店長ブログ
〈小説「新・人間革命」〉 大山 三十五 (聖教新聞より転載)
山本伸一は、四月二十四日付の「聖教新聞」一面に所感「『七つの鐘』終了に当たって」と題する一文を発表した。
これは、学会の首脳幹部と検討して、決まったことであった。
彼は、学会が目標としてきた「七つの鐘」の終了にあたり、苦楽を分かち合って戦ってくれた同志へ、感謝を伝えるとともに、新しい出発への心の準備を促したかった。
「私どもは、初代牧口会長以来、広宣流布の大道に向かって、七年ごとのリズムを合言葉にして進んでまいりました。ここに来る五十四年(一九七九年)五月三日を中心に、ついに『七つの鐘』の総仕上げともいうべき記念の日を迎えることができました」
そして、慈折広布の聖業に不屈の奮闘を重ねてくれた同志に、深甚の敬意を表した。
「戸田前会長逝いて二十一年、私もおかげさまで会長就任から満十九年、あしかけ二十年に及ぶ長き歳月を、皆様方と共に苦難と栄光の歴史を綴り、今日にいたりました。
浅学非才な私を、陰に陽に、守り支えてくださり、広布のために走りに走ってくださった妙法の勇者の皆様方に、重ねてここに謹んで感謝いたします。この貴重な足跡は永遠の生命の宝となることを確信していただきたいのであります。
もとより、私どもは、末法の凡夫の集いであります。幾多の試行錯誤もありました。前進もあり、後退もありました。しかし、常に波浪を乗り越え、上げ潮をつくり、その潮流を、立正安国と人類の幸福と平和のために安定ならしめる努力を傾けてきたのであります」
伸一には、断固たる確信があった。
“日蓮大聖人の仰せ通りに、死身弘法の実践をもって広宣流布の道を切り開いてきたのは誰か――それは創価学会である。私と共に身を粉にして戦ってくれた同志である!
まさに、創価の旗のもとに地涌の菩薩が雲集し、大聖人の御遺命たる『末法広宣流布』を現実のものとしてきたのだ。学会なくば、大聖人の言説も虚妄となるのだ!”
〈小説「新・人間革命」〉 大山 三十五を読んだ感想と決意 島幸弘
仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の末法広宣流布の団体は唯一創価学会しかない!創価学会創立依頼、しっかりとした歴史を刻み今日21世紀に入った。まさに牧口先生・戸田先生・池田先生のご指導の元私たち創価学会員として自分の人生を誇りをもってこの大道を歩んでいける功徳に満ち溢れ日々感動と歓喜を味わっている。池田先生を師匠として生きてきた誉れの自分自身の人生を、また広布後継の人材育成を成し遂げ行く人生と思い描きこれからも楽しんで人生を送っていこう!
〈小説「新・人間革命」〉 大山 三十四(聖教新聞より転載)
四月二十二日、山本伸一は総本山に足を運んだ。日達法主と面会するためである。
うららかな午後であった。澄んだ空に、富士が堂々とそびえていた。雪を被った頂の近くに雲が浮かんでいる。山頂は、風雪なのかもしれない。しかし、微動だにせぬ富士の雄姿に、伸一は心が鼓舞される思いがした。
彼にとって法華講総講頭の辞任も、学会の会長の辞任も、もはや未来のための積極的な選択となっていた。
もちろん辞任は、宗門の若手僧らの理不尽な学会攻撃に終止符を打ち、大切な学会員を守るためであった。しかし、「七つの鐘」が鳴り終わる今こそ、学会として新しい飛翔を開始する朝の到来であると、彼は感じていた。また、これまで十分な時間が取れず、やり残してきたこともたくさんあった。世界の平和のための宗教間対話もその一つであったし、功労者宅の家庭訪問など、同志の激励にも奔走したかった。
伸一は日達と対面すると、既に意向を伝えていた法華講総講頭の辞任を、正式に申し出た。そして、二十六日には辞表を提出する所存であることを告げた。日達からは、「総講頭の辞表を提出される折には、名誉総講頭の辞令を差し上げたい」との話があった。
さらに伸一は、十九年の長きにわたって創価学会の会長を務めてきたが、学会がめざしてきた「七つの鐘」の終了にあたり、会長も辞任するつもりであることを述べた。
彼は、新しい体制になっても、平和、文化、教育の運動に力を入れながら、皆を見守っていくこともできると考えていた。
学会は、民衆の幸福のため、世界の平和のために出現した広宣流布の団体である。ゆえに、その広布の歩みに停滞を招くことは、断じて許されない。彼は、自分は自分の立場で新しい戦いを起こす決意を固めるとともに、創価の新しき前進を祈りに祈り抜いていた。
“必死の一人がいてこそ道は開かれる。わが門下よ、師子と立て! いよいよ、まことの時が来たのだ”と、心で叫びながら――。
〈小説「新・人間革命」〉 大山 三十四を読んだ感想と決意 島幸弘
創価学会の根本精神は「一人立つ信心」である。どんな状況下のあろうが自分自身が一人立つ!世界広布の使命を自覚し池田先生の弟子として、日々自分自身が題目を上げながらしっかりと一歩一歩人生を進めていきたい。
〈小説「新・人間革命」〉 大山 三十三(聖教新聞より転載)
山本伸一は、今こそ、平和の礎となる、仏法から発する生命の尊厳と平等の哲理を世界に伝え、広め、二十一世紀の時代精神としなければならないと決意していた。
彼は、「聖教新聞」の創刊二十八周年にあたる四月二十日には、インドの新聞「インディアン・エクスプレス」のS・ムルガオンカル論説総主幹と神奈川文化会館で会談し、平和建設と新聞の使命などについて語り合った。
伸一は、世界平和の実現という壮大なる目標に向かって、指導者、識者らとの対話を進める一方、一人ひとりの同志の幸福を願い、家庭訪問や個人指導に余念がなかった。神奈川文化会館にあっても、何十人もの来館者に声をかけ、激励と指導を重ねた。
“何があろうと、いかなる立場になろうと、私は尊き学会員を励まし続ける。庶民と共にどこまでも歩み続ける”――彼は、そう固く心に決めていたのである。
一人の人を大切にし、守り励ますことも、世界平和の建設も、同じ原点をもつ。万人が等しく「仏」であるとの、仏法の哲理と慈悲から生じる実践にほかならないからだ。
神奈川県青年部長の大賀孝芳をはじめ、青年たちとも語り合った。
「君たちの舞台は世界へと広がるよ。同じ人生ならば、私と一緒に、世界広布の大ロマンに生きようじゃないか!」
決意に燃える青年たちの瞳に、伸一は無限の希望を感じた。
彼の脳裏には、戦争、飢餓、貧困等々で苦しむ世界の民衆が鮮明に映し出されていた。彼は、何よりも人類を引き裂く東西冷戦にピリオドを打つために、自分ができることは何かを問い、考え抜いてきた。
“一人の人間として、一民間人として、世界の首脳たちと対話を重ね、人間と人間を結ぶことだ。いかに不可能に見えようが、それ以外に、平和の創造はない!”
人間主義の旗を高く掲げ、二十一世紀の新大陸へと進む創価の新航路が、ありありと彼の瞼に浮かぶのであった。
小説「新・人間革命」〉 大山 三十三を読んだ感想と決意 島幸弘
創価学会は日蓮大聖人の仏法を世界に広め、全世界の人々が平等に幸福になる世界を目指している。そして学会員の一人一人は現在の自分自身が何ができるのか?問いながら行動し仏法を実践している。人生そのものが仏道修行でもある。そして自分自身の人生を勝ち創造し、自分自身の人生を所願満足の価値ある日々に感謝して生きている。
〈小説「新・人間革命」〉 大山 三十二(聖教新聞より転載)
〈小説「新・人間革命」〉 大山 三十二を読んだ乾燥と決意 島幸弘
人間の思想の根幹に「生命尊厳」があるかないか? 平和思想・政治・宗教がどうのこうのと議論されても、生命尊厳の根本がなければすべてが人間としての行いの規範からずれていくのは当然であると思う。創価学会の根本理念である、平和・文化・教育の三本柱をもって仏法の根本思想である「生命尊厳」を世界広布に邁進して行きたいものである!
〈小説「新・人間革命」〉 大山 三十一(聖教新聞より転載)
〈小説「新・人間革命」〉 大山 三十一を読んだ感想と決意 島幸弘
私は一人の創価学会員として、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経を信じ勤行・唱題に励んでいます。何より私の発心動機は人間としてあらゆる困難を乗り越えていく強い心を望んでおりました。20歳から40年を振り返ると自分自身の願い通りに「困難に挑戦する強い心」がこの信心で磨かれ自分自身に備わってきました。幾山河の人生ならば、日々楽しんでいける境涯でこの使命ある人生をさらに謳歌してまいりたい!この信心に創価学会に池田先生に只感謝の気持ちで一杯です。
〈小説「新・人間革命」〉 大山 三十(聖教新聞より転載)
〈小説「新・人間革命」〉 大山 三十を読んだ感想と決意
いついかなる時も、すべての結果は自分自身にあります。仕事・家庭・人生すべてにおいてであります。その意味においても「一人立つ精神」とは自分自身の永遠の課題であり常に意識して生きることだと思います。一人立つ精神!なんと勇気と確信ある自分自身尾生き方でありましょうか。創価学会の信心は人生の大きな柱であり、自分自身が確信あふれる人生を送る根拠でもあります。
〈小説「新・人間革命」〉 大山 二十九(聖教新聞より転載)
〈小説「新・人間革命」〉 大山 二十九を読んだ感想と決意 島幸弘
人生の大きなターニングポイント、そこには壮絶な命の葛藤とそして新たなステージに立つ勇気と決意が必要である。池田先生のご境界は計り知れないが常にわが身に当てはめ自分自身の歴史に照らし合わせた時に過去現在未来へとまさしく人間革命の人生を共に歩んでいる自負を確認することができる。人生幾山河~様々な苦境に立たされることも数多くあるが、常に一歩前進!勇気ある前進をして行きたいものだ。