情熱店長ブログ
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 九を読んだ感想と決意 島幸弘
山本伸一は戸田城聖から軽井沢に招かれ、戸田の小説『人間革命』の感動を語りながら、深く心に期すことがあった。
――戸田の『人間革命』は、彼の分身ともいうべき「巌さん」が、獄中で、生涯を広宣流布に生き抜く決意をしたところで終わる。
一九四五年(昭和二十年)七月三日、戸田は、獄死した師の牧口常三郎の遺志を受け継ぎ、生きて獄門を出る。その後、戸田が現実に何を成し遂げ、いかにして日本の広宣流布の基盤を築き上げたか――伸一は、それを書き残さなければ、師の偉業を宣揚することも、牧口と戸田を貫く創価の師弟の精神を後世に伝えることもできないと思った。
そして伸一は、こう自覚したのである。
“先生の真実を記すことができるのは、私しかいない。また、それが先生の私への期待であり、弟子としての私の使命であろう”
この時、彼は、これまでに何度か考えてきた、戸田の『人間革命』の続編ともいうべき伝記小説の執筆を、確固不動の決意としたのだ。長野県は、創価の師弟の精神を永遠ならしめる誓いの天地となったのである。
長野研修道場がオープンしたのは、一年前の一九七八年(昭和五十三年)八月である。伸一にとっては今回が初訪問となる。彼は、戸田が最後の夏に滞在した地を、世界広宣流布への新たな幕を開く最初の夏に訪れたのである。この宿縁の地から、家庭訪問、個人指導の流れを起こし、新しい創価学会の建設に着手しようと心に決めていたのだ。
世界広布といっても、一人への励ましから、身近な一歩から始まるからだ。
伸一の決意は、研修道場に向かうために乗車した列車の中から、行動に移された。
彼の姿を見て、あいさつに来た青年に対して、「ふと会いし 君もわが弟子 幸の旅」と句を認めて贈った。さらに、列車を降りる時には、「ご両親によろしく。立派な人になるんだよ」と言って握手を交わした。
「決意即行動」である。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 九を読んだ感想と決意 島幸弘
決意即実行! 決意した瞬間から実際にすぐ行動を起こす!だからこそ自分自身が人間革命できる多いなチャンスであり。夢実現に一歩進むのだ。決意無く、目標もなくせっかくのチャンスでさえ感じ取れない自分自身はやはり実行するという本因妙から外れた存在となるであろう。決意し何度も実行・行動していく、それが戦いという意味合いなのであろう!今日も朝の勤行・唱題から決意し一つ一つ実行に移している。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 八を読んだ感想と決意 島幸弘
戸田城聖の小説『人間革命』では、主人公「巌さん」の人間革命の軌跡を主軸に、広宣流布に一人立った、師である「牧田城三郎」(牧口常三郎の仮名)の死身弘法の実践が描かれていく。
戸田は、一九五四年(昭和二十九年)の十一月、初代会長・牧口常三郎の十一回忌法要で、獄中にあって大恩ある牧口の死を知った日のことに触れ、こう語った。
「あれほど悲しいことは、私の一生涯になかった。そのとき、私は『よし、いまにみよ! 先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、先生にお返ししよう』と決心した」
「巌窟王」とは、アレクサンドル・デュマの小説『モンテ・クリスト伯』の黒岩涙香による邦訳名である。
――陰謀によって孤島の牢獄シャトー・ディフにとらえられた船員の青年エドモン・ダンテスは、獄中で老神父からさまざまな知識を授かり、モンテクリスト島に隠された財宝の在りかも教わる。十四年の幽閉生活の後に脱獄に成功した彼は、その巨額の富を手にし、モンテ・クリスト伯と名乗り、パリの社交界に現れ、自分を陥れた者たちへの復讐を図るとともに、善良な恩人たちへの恩返しを果たすという物語である。
戸田は、この「巌窟王」のごとく臥薪嘗胆し、軍部政府の弾圧で殉教した師の敵を討つことを深く心に誓ったのだ。その復讐とは、恩師の正義を証明することであった。そして牧口を死にいたらしめ、戦争によって多くの人びとの命をも奪い、苦悩の辛酸をなめさせた権力の魔性との対決であった。民衆の幸福と人類の平和を実現することであった。
ゆえに戸田は、小説『人間革命』の主人公の名を、「巌窟王」をもじって「巌九十翁」とし、全精魂を注いで、牧口の正義と偉大さを書き残していったのである。
師の正義を宣揚し抜いていくことこそ、弟子に課せられた責務にほかならない。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 八を読んだ感想と決意 島幸弘
世界広布新時代・青年拡大の年:4月に入りました!師の正義を宣揚していく事は大聖人の仏法を自分自身が実践しその体験を縁する人々にどんどん語り広げていく事でる。題目をあげにあげ、生命の奥底より突き上げる広布誓願への情熱を行動に表して行こう!
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 七を読んだ感想と決意 島幸弘
八月二十日の午後、山本伸一は、東京・台東文化会館を訪問したあと、長野県・軽井沢町の長野研修道場へ向かった。
軽井沢は、戸田城聖が逝去前年の一九五七年(昭和三十二年)八月に訪れ、最後の夏を過ごした地である。滞在中、戸田は、伸一と森川一正を招き、鬼押出に車を走らせて、奇岩の連なる景観を見せ、ホテルで共に食事をした。大阪事件で不当逮捕された伸一を、ねぎらいたかったのである。
食事をしながら、師弟の語らいは弾み、話題は、戸田が「妙悟空」のペンネームで執筆した小説『人間革命』に及んだ。この小説は、五一年(同二十六年)四月の「聖教新聞」の創刊号から連載されてきたもので、この五七年(同三十二年)七月に単行本として発刊されたばかりであった。
小説の主人公「巌さん」は、印刷工場に勤め、八軒長屋に住む市井の壮年である。
その「巌さん」が、「牧田城三郎」(牧口常三郎の仮名。後の出版では本名に改める)の折伏を受け、日蓮大聖人の仏法を実践するようになり、信仰の実証を示し、やがて印刷会社の社長となる。さらに学会の理事長に就任し、牧田会長を支えていくのだ。
しかし、戦時中の軍部政府の弾圧で、会長の「牧田先生」も、牧田を師と慕う「巌さん」も、共に投獄されてしまう。「巌さん」は、獄中にあって唱題を重ね、法華経を読み進むなかで、自分は、法華経で説かれた虚空会の会座にいた地涌の菩薩であることを悟達する。そして、生涯、この法華経を弘めていこうと決意するところで、小説は終わる。
小説の前半、「巌さん」は、戸田城聖とは全く異なる架空の人物として描かれていくが、後半の「巌さん」の体験は、戸田自身の体験となる。特に逮捕・投獄され、広宣流布の使命を自覚する獄中の悟達は、現実そのものの描写であり、創価学会の精神の原点が浮き彫りにされている。
「おれは地涌の菩薩ぞ!」――この「巌さん」の叫びこそ、創価の確信の源である。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 七を読んだ感想と決意 島幸弘
小説「人間革命」「新・人間革命」は創価三代の偉大な師匠の歴史であり、創価学会が唯一世界広宣流布達成した事実を小説として描写されている。我々創価学会員は人間革命の小説を学び、自分自身が現実の社会の中で自身の宿命・宿業を信心で乗り越えていくためにも、大聖人の南無妙法蓮華経のお題目を唱えに唱え、自身の使命である誓願の人生を送っていきたいものである。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 六を読んだ感想と決意 島幸弘
八月六日から八日まで、法主・日達の通夜、本葬が営まれ、山本伸一をはじめ、学会の首脳、代表も参列した。
この夏、世界四十一カ国三地域のSGIメンバー千三百人が来日していた。伸一は、十三日に神奈川文化会館で開かれた国際親善友好の集いや、十五日に行われた東京戸田記念講堂での世界平和祈願勤行会に、SGI会長として出席し、メンバーを激励した。
彼は、いかなる状況下にあろうが、広宣流布のために奮闘し、世界各地から求道の心を燃やして来日した健気な同志を、励まさずにおくことなど、絶対にできなかった。
日蓮大聖人は仰せである。
「法華経の一偈一句をも説かん者をば『当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし』の道理なれば仏の如く互に敬うべし」(御書一三八三ページ)と。しかも大聖人は、この「当起遠迎、当如敬仏」(法華経六七七ページ)の文を「最上第一の相伝」(御書七八一ページ)とされたのである。
根本とすべきは、大聖人の御指導である。
伸一の胸中には、いよいよ世界広布の新時代が到来したとの思いが、日々強まっていた。
国際親善友好の集いで伸一は訴えた。
「世界から千三百人ものメンバーが、大聖人の仏法を求めて来日したこと自体、仏法史上、画期的な出来事です。皆さんは、世界広宣流布の未聞の道を開いている先駆者であり、歴史の創造者であるとの自覚を忘れないでください。
それぞれの国へ帰れば、メンバーはまだ少なく、広大な地域に、信心しているのは自分しかいないということも多いにちがいない。しかし、大事なのは一人立つことです。
日蓮大聖人は、お一人から、広宣流布の波を起こされた。戦後の学会の再建も、戸田城聖先生が、ただ一人立たれたことから始まっています。それが、仏法者の精神であり、学会精神です。
今こそ、師子となって、一人立とうではありませんか! 私も立ちます!」
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 六を読んだ感想と決意 島幸弘
日蓮大聖人は仰せである。「法華経の一偈一句をも説かん者をば『当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし』の道理なれば仏の如く互に敬うべし」(御書一三八三ページ)と。しかも大聖人は、この「当起遠迎、当如敬仏」(法華経六七七ページ)の文を「最上第一の相伝」(御書七八一ページ)とされたのである。根本とすべきは、大聖人の御指導である。
御書根本・題目根本・池田先生のご指導を根本に、願兼於業の我が人生の使命を自覚し一つ一つの出来事を感謝しこれからの人生を大切に生きよう!
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 五を読んだ感想と決意 島幸弘
山本伸一が法華講総講頭、学会の会長を辞任することで、若手僧らによる学会攻撃はピリオドが打たれることになっていた。
五月一日には、宗務院から「院達」として、次のような事項が徹底されている。
「御講等に於ては、御書による教義以外の説法は固く禁ずる。従来、しばしばこれについての通達あるにもかかわらず、乱れが見られたが自今以後は厳しく自誡せられたい」
「創価学会員に対しては、自分からの意志・希望によって檀徒となることを申出た者は受け入れて差支えないが、それ以外は一切の働きかけを固く禁止する」
「院達」を無視して学会誹謗を続ける僧には、法主の日達も叱責することがあった。ところが、若手僧の寺の多くが、御講の席などで、学会への中傷、攻撃を繰り返していたのである。また、学会員を檀徒にする動きも、むしろ活発化していた。
もはや彼らは、宗務院の言うことも、さらには、法主の言うことさえも、耳を傾けようとはしなくなっていたのだ。宗内は、次第に混乱の様相を見せ始めていたのである。
七月二十二日午前六時過ぎのことであった。伸一のもとに日達法主が亡くなったとの連絡が入った。日達は、十七日、福岡の寺院の法要に出席し、十八日に総本山に戻るが、翌十九日朝、体調が優れず、富士宮市内の病院に入院した。そして、二十二日午前五時五分、心筋梗塞のため息を引き取ったのである。七十七歳であった。
伸一は、直ちに神奈川文化会館から弔問に向かった。午前九時前には総本山に到着。懇ろに唱題、焼香し、冥福を祈った。
この日夜から、大客殿で仮通夜が営まれ、席上、重役である僧から、「重大発表」があった。それは、総監の阿部信雄が、前年四月、日達から内々に相承を受けており、彼が第六十七世の法主になることが決まったというものである。この時も、広宣流布のために和合を願い、宗門を守っていくというのが、学会の姿勢であった。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 五を読んだ感想と決意 島幸弘
日達が亡くなる事によって、急きょ天魔日顕が法主の座を盗み取り日蓮大聖人の仏法に違背ていく歴史を満天下に示した。御書に「大悪起これば大善来る」とある。極悪日顕宗の現出をもって、いよいよ創価学会は世界広布への新たなスタートを切った。池田先生の世界広布新時代への決断と実行は小節「新・人間革命」として未来の弟子たちに明確に残されている。最高の人生の師に出会えた喜びはたとえようのない私の歓喜となっている。
御聖訓 「過去の宿縁追い来って 今度《こんど》日蓮が弟子と成り給うか 釈迦多宝こそ御存知候らめ 在在諸仏土常与師倶よも虚事候はじ 」(生死一大事血脈抄、御書1338㌻)
3月19日、茨城県内の地区総会にお招きいただきました。
先日、19日は遠い所、大変にお世話になりました。お忙しい中、島さん御家族4人で来ていただき、感涙の限りです 島さん御一家とは仏壇購入を通して島さんの信行学・信心の魂魄に共感、奥さん、娘さんの素晴らしい対応に御家族のファンになり機会があれば皆にも島さんの熱意に触れて貰いたいの想いがあり、伝統の三月に地区総会を島さんに打診したところ、「地域広布のお役にたてれば」と、快諾していただきましたヽ(*´∀`)ノ‥第二総県と第三総県で県を股いでの交流になるので、組織上 、支部長・本部長・圏長へ話を通してもらった 所、流石、圏長から「kさんがお願いして、好意で来てくれるのであればいいです」。と承諾してくれ今回の運びになりました。
未入信の方々に気軽に参加していただくために、島さんの歌三線と、信心の二字のセミナーを考えました、3月6日月曜日の夜になんと仕事終了後、疲れた身体で協議会に2時間半かけて来てくださり、内容立案から参加、「Kさんは面識がありますが、他の皆さまにも事前にお会いしてお話を交わし交流をさせて頂きたいと思い来させていただきました」 当日は体調不良や」仕事でメンバーが欠席、支部長と私と3人で大成功を期して、勤行唱題に続き協議を開始しました。 島さんからは「セミナーを開くからには私も地元の一員、総会の成功を全員で祈りましょう!」等、私自身、島さんの心温まる思いのこもったお話しに感謝感激、地区総会に来て頂いた人が一つでも心に残る総会をと決意を更に深め、外部に声掛け、支部は勿論、本部まで声掛けをしました、地区参加目標、内20、外5名(今まで、外部5名の参加無し)新来者が参加してくれるか、再度外部に声掛け「行けたら」、妻の友人も「当日は、無理かな」の返答、新来者が出席無しでは意味無し、不安になりましたが、島さんの御恩に報いる為、「支部内で総会が開かれていない金曜日に勝利唱題会を開きたい」と支部長に連絡、婦人部の方々にも連絡しました。おかげさまで 当日、地区で四人の未入信の方が参加、婦人部会員さんの 未入信息子さ ん、妻の友人(会友さん)、私の幼馴染と実の姉の二人、姉は初めて学会の会合へ参加、今までは何度か声掛けしたのですが、出ませんでした、今回は、「沖縄三線の音色に癒されに来たら」と、声掛けた所、参加してくれました。 後日、姉の感想を聞くと「三線の音色にも癒されたが、無償で古河からわざわざ御一家が来てくれた事に、驚きで感動した」との事、島さ んにお願いして本当に良かったと心底想いました。一人のしらゆり長さんが、「当日、娘のピアノ発表会で出席出来ないので、ポスター作成のお手伝い」と、言ってくれ、総会のメインポスターを作成してくれました当日、卒業式で参加が遅れていた、女子高等部員の創価短大入学のお祝いに、島さんの歌三線「かじゃで風節で、送り出してあげる事が出来ました。想い出に残るプレゼントが出来たと思っています。
島さんには色々な配慮をして頂きました、その姿勢は仕事面でも表れていると思います。きめ細かい対応に感涙の限りです。機会がありまし たら、又、是非とも、お願いしたく、思います。お礼のメールを、すぐ出そうと、文面作成しているうちに、想いが、次々と湧いて来てしまい、このような長文になってしまい、申し訳ありません。感謝しかありません。ありがとうございました。
島:今回はお招きいただき大変にありがとうございました。三線初めてもうすぐ3年になりますが、やはり一人で唄三線は緊張してしまいます。宮古民謡「なりやまあやぐ」リクエスト頂いていました。沖縄本島の「19の春」八重山、竹富島の「安里屋ユンタ」は皆さんで一緒に歌えてよかったです。三線を使った信心の話はみなさま首を縦に振ってくださっていましたので安心しました。プチセミナーでは創価学会の勤行の内容のすばらしさを簡単できるだけわかりやすくご紹介させて頂きました。
私にとってもとても良い経験となりました。地域広布のために少しでも貢献できて本当に良かったです。こちらこそありがとうございました。
先駆の日:第103回、古河県南三和支部壮年男子・体験御書学習会集会開催しました!
3月26日は支部内地域行政区で班長などの引き継ぎなどあり出席者がすくなくなりました。男子部も別に2名が出席して居ましたが未来部の卒業部員会があり途中で戻りました。
今回の先駆の日は、副支部長さんの体験発表:病気と仕事の凄い内容で、心臓病からの影響で急性腎不全、そして腎機能低下による人工透析の開始、自営業されていますので仕事を終わってからの夜間透析に週三回、片道50分の道のり。新しいクリニックと新しい発想の院長の巡り合いで仕事を続行しながらの透析が可能となった事。自営業で一人親方のため経営も厳しい中の一大事でもあった。しかし透析を受けると体がとても楽になり、仕事の内容も改善された。透析により腎機能が少々アップ、人工透析が外れるためには15%を目指し頑張っていきたいと決意、またうれしい事にクリニック院長から仕事を依頼されたとの事。私が見ていても時間のやりくりが大変だと思うところですが、毎日1時間の唱題を実践、腎臓の完全復帰を目指す!と男子部、壮年部の皆の前で決意表明いたしました。
毎回、壮年部の信心の体験発表は参加メンバー特に男子部から「感動しました!」とのうれしい感想が勃発しています。
御書講義は私が行っています。3月号の大白蓮華:池田先生の「世界を照らす太陽仏法・人間革命宗教:誓願-信念と誠実の青年を世界が希求」を教材にさせて頂きました。内容的には、この信心の目的は宗派の拡大ではなく人類の幸福と世界平和であり、私たち個人個人が信心根本で絶対的幸福境涯を実現できるのが創価学会であると私の体験と確信をもってお話しさせていただきました。男子部の本部長、副部長も「大変わかりやすく、具体的に熱く語っていただき改めて勇気が出てきました。ありがとうございました。またよろしくお願いします!」と感想を頂けました。最後にVOD視聴し、池田先生のご指導を心にしみわたらせ皆で記念の撮影を行い解散、次回は4月に104回先駆の日を行います。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 四を読んだ感想と決意 島幸弘
山本伸一は、平和友好の対話を積極的に推進していった。
五月二十五日には、ザンビアのM・K・チーフ・マパンザ駐日大使と会談し、二十九日には、中国文芸界の指導者・周揚夫妻と語り合った。六月も、ニュージーランドのR・M・ミラー駐日大使や、ナイジェリアのB・A・T・バレワ駐日大使らと対話を広げている。
伸一は、特に、アフリカの関係者との語らいに力を注ぐようにしていた。それは、二十一世紀は「アフリカの世紀」になるというのが、彼の信念であったからだ。また、長年、大国の植民地として支配され、貧困や飢餓に苦しんできたアフリカの平和と繁栄が約束されなければ、人類の未来はないと痛感していたからである。
彼は、海外の要人と会談する一方で、日本の有識者とも対話を重ねていった。
また、その間隙を縫うようにして、神奈川県横浜市の鶴見区や港北区、東京の板橋区や中央区、豊島区、小金井市、小平市など、行く先々で、共に広宣流布に汗を流してきた同志の家を訪問し、激励に努めた。
広宣流布の師弟の心が強く結ばれていれば、いかなる嵐にも創価のスクラムは微動だにしない。そのためには胸襟を開いた対話が不可欠であり、その生命の触発が使命の自覚を促すとともに、信頼の絆を育んでいく。
伸一は、草創の同志と会うと、決まって言うことがあった。それは、「人生は、総仕上げの時が、最も大切である」ということであった。過去にどんなに活躍し、栄光の歴史を残したとしても、晩年になって退転してしまえば、結局は敗北の人生となってしまう。
日蓮大聖人は、「譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこ(運)びて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき」(御書一四四〇ページ)と仰せである。
「生涯求道」「生涯挑戦」「生涯闘争」の精神を持ち続けていくなかにこそ、三世永遠にわたる燦然たる生命の勝利がある。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 四を読んだ感想と決意 島幸弘
繰り返しになるが、以下掲載させて頂く。
「人生は、総仕上げの時が、最も大切である」ということであった。過去にどんなに活躍し、栄光の歴史を残したとしても、晩年になって退転してしまえば、結局は敗北の人生となってしまう。日蓮大聖人は、「譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこ(運)びて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき」(御書一四四〇ページ)と仰せである。「生涯求道」「生涯挑戦」「生涯闘争」の精神を持ち続けていくなかにこそ、三世永遠にわたる燦然たる生命の勝利がある。
3月26日、私の男子部の時の大先輩にお会いした。やはり尊敬する大先輩は偉大だった。本当にうれしく私の成長もとても喜んでいただけた。先輩のお話をお聞きしながら新たな決意がふつふつと沸き上がりそして大きな決意と決断をした。いよいよの思いで還暦でのスタート、これからの20年に向けて自分の誓願の人生を計画したのだ。これまでは自分の人生の助走であり、これからがスタートと位置ずけたのだ。歓喜雀躍しながら帰宅した。二日間かけて大筋の計画ができた。未来20年の誓願計画だ!なんと素晴らしい信心、師匠、先輩であることか!
〈池田先生と共に 新時代を進む〉7 (聖教新聞より点転載)
師弟誓願の3月から「4・2」「5・3」へ、我ら創価は勝利のリズムで進む。総本部の青年桜も開花し、各地から集われる尊き友が笑顔で仰ぐ季節となった。
年々歳々、「冬は必ず春となる」との希望の劇を宝友と飾りながら、恩師・戸田城聖先生の祥月命日を迎えられることに感無量である。
アメリカSGIの初代から第4代まで歴代の婦人部長・書記長たちも、仲睦まじく来日された。世界広布の道なき道を、共々に開いてくれたパイオニアである。
妻と一緒に懐かしい再会をすることができた(25日、戸田記念国際会館で)。
皆、健康長寿と幸福和楽の実証を示しながら、姉妹のように、母娘のように、麗しく後輩を慈しみ、人材の流れを築いてくれている。
「アメリカは大勝利します!」との若々しい心意気が、何より嬉しかった。
全世界に輝き広がる創価家族の功徳満開の晴れ姿を、恩師もどれほどお喜びくださるであろうか。
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日蓮大聖人は門下の先駆の功労を讃えられ、「国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし」(御書1241ページ)と仰せになられた。
法のため、友のため、社会のため、苦難に怯まず、広布に生き抜く福運は無量だ。時とともに、いやまし光る。
学会活動には、何一つとして無駄はない。あらゆる苦労が、最極の「今生人界の思出」となり、自身と一家眷属の「人間革命」の力となる。さらには愛する地域と国土の「立正安国」へとつながっていくのだ。
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法華経には「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(法華経575ページ)と。
苦悩の絶えない社会にあって、生命尊厳の大哲学を持ち、希望と勇気の光を送りゆく地涌の友の使命は、いかに大きく誇り高いか。
“どうすれば組織が盛り上がるか”と悩む青年を、私は励ましたことがある。
――君自身が燃えていればいいんだよ。一人の信心が、一人の成仏が、最後には全てを変えるんだから、と。
一人から一切は始まる。自分が太陽となれば、いかなる闇も消え去るのだ。
今の祈りと行動が種となって、必ず勝利の花を咲かせる。生き生きと友情と仏縁を広げ、いざ爛漫と創価桜の道を開きゆこう!
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 三を読んだ感想と決意 島幸弘
山本伸一は、世界を結び、確かな平和への道を開くために、各国の識者や大使らとも積極的に交流を図っていった。五月十九日には、親善交流のために、中日友好の船「明華」で、交流団の団長として来日した中日友好協会の廖承志会長と都内のホテルで会談した。
語らいのなかで伸一は、いかなる立場になろうが、日中の平和・文化・教育の交流を推進し、両国の友好に、さらに尽力していきたいと決意を披瀝した。そして、万代にわたって崩れることのない友好のためには、民間次元の強いつながりが重要になると訴えた。
また、廖会長は、伸一に、五度目となる訪中を要請したのである。
二人は、第一次訪中以来、幾度となく対話を重ね、深い友情に結ばれてきた。廖会長は、この四年後の一九八三年(昭和五十八年)六月に他界する。伸一は、その翌年、廖家を弔問し、経普椿夫人、子息と、廖承志の尊き生涯を偲びつつ語り合った。
二〇〇九年(平成二十一年)十月、中国・広州市にある仲愷農業工程学院から、伸一と妻の峯子に、それぞれ名誉教授の称号が贈られる。「仲愷」とは、孫文の盟友で、廖承志の父・廖仲愷のことである。同校の淵源となる仲愷農工学校は、彼と共に新中国の建設に生きた夫人の何香凝によって創立されている。
さらに同校には、廖承志と伸一の研究センターがつくられ、二〇一〇年(同二十二年)十一月に開所式が行われた。
伸一の植えた友誼の苗木は、二十一世紀の大空に大きく枝を広げていったのである。
彼は、廖承志会長との会談に続いて、五月二十二日にはソ連のノーボスチ通信社の国際部長や論説委員、大使館関係者らと神奈川文化会館で語り合った。米ソ第二次戦略兵器制限交渉(SALTⅡ)や、アジア及び世界の平和・文化・教育の問題などをめぐって意見交換したのである。その席で伸一に、強い訪ソの要請が出されたのだ。
恒久平和の実現を願い、懸命に努力し、行動していくことこそ、仏法者の責務である。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 三を読んだ感想と決意 島幸弘
友好の懸け橋は一人とのご縁から始まり信義を重んじ誠実な対応を行い年数をかけて継続的に信頼関係を構築する事なのだと深く感じました。相手の幸福と福徳豊かな人生を祈りながら新たな架け橋を結べるようにして行きたいと決意しました。