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情熱店長ブログ

〈小説「新・人間革命」〉 力走 六十五を読んだ感想と決意 島 幸弘

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合唱団のピアノ演奏を担当した女子部員が、伸一に報告した。
 「先生、私は平尾光子と申します。今回、高知で先生の出られた勤行会に、すべて合唱団として参加することができました。
 実は、家族のなかで、父だけが未入会なんですが、私は感激のあまり、毎日、先生のお話を父に伝えておりました。父も、熱心に話に耳を傾け、一緒に喜んでいました。
 それで、こんな句を詠んでくれたんです」
 彼女は、短冊を差し出した。
 「大いなる 冬日の如き 為人」
 「曰はく 一語一語の 暖かし」
 伸一は、微笑みながら言った。
 「いいお父さんだね。あなたは本当に愛されているんです。娘さんが、冬の太陽のように周囲を照らし出し、慕われる人に育ったことを、心から喜んでいる心情が伝わってくる句です。また、あなたの姿を通して、私のことを知り、共感してくださっているんだね。
 娘としてのあなたの誠実な振る舞いが、お父さんの心に響いたんです。大勝利です。
 私も、お父さんに句をお贈りしたいな」
 しかし、出発間際であり、筆もなかった。
 「では、お父さんに、『近日中に句をお贈りさせていただきます』とお伝えください」
 それから一週間ほどして、伸一から彼女のもとへ、父親あてにトインビー博士との対談集『二十一世紀への対話』が届けられた。
 そこには、一句が認められていた。
 「父の恩 娘の幸せ 祈る日々」
 ほどなく父親は、自ら入会した。そして、自宅を会場に提供するなど、学会を守る頼もしい壮年部となっていったのである。(聖教新聞より転載)
「人は縁によってその人の人生が変わるときがある。そしてその瞬間も必ず何かの縁によることが多い、ご縁を大切に生きていきたい!」

 

自分で進化して行く!もっと自分を表現して行きたい!

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お客様に自分自身の伝えたい事がたくさんあります。それは創価学会仏壇の事を中心にお客様がこれがわかるととても徳をすると言う内容の情報をたくさんお伝えして行きたいと常々考えていますが、人間進化の途中でもあります。自分では精一杯お伝えしたと思っても、さほどではなかった。なんてこともあると思います。桜梅桃李.comのこれからの課題は、動画をもっと分かりやすく、そしてお客さまのご要望をしっかりととらえたものに進化して行く必要があると思っています。私、島 幸弘がどんな思いでこの仕事をしているのか!機械の調整はこういうふうにすれば大丈夫とか!塗装なんかも個人でできるんだよ!なんてこともこれから動画でお届けできると思っています。そのためにも自分自身がもっともっと進化して行くために、今回はこの本を学んでいこうと思っています。
私がいつもチャレンジして行く事、沖縄の三線もそうですが、自分自身があらゆるチャンスをものにして自身の表現力を創造ていることでもあるのです。自分自身が進化した分だけお客様のメリットも増えていく、そんな人生でありたいと願っています。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 六十四を読んだ感想 島幸弘

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長い広布旅の人生には、一家の問題、職場の問題、自身の性格の問題等、多くの悩みと直面するでしょう。私たちもそうでした。
 しかし、肝に銘じてもらいたいことは、ともかく御本尊から離れないこと、創価学会の組織から離れないことです。
 しがみつくようにしてついてくる。どんなに苦しくても、いやであってもついてくる――その人が最後の勝利者になります。
 また、一人ひとりが、なんらかのかたちで社会に貢献してほしい。何かでトップになっていただきたい。それが、未来の広宣流布を決する力となっていきます。
 ともあれ、諸君は、既に創価学会という世界で青春を生きてきた。自分の信念、信条として、その人生を選んだのだから、“誰がなんと言おうと、この仏法を一生涯貫き通して死んでいく。もしも、皆が倒れても、その屍を乗り越えて、広布の峰を登攀してみせる”という、決意で進んでいただきたい」(聖教新聞より転載)
「自分の人生は自分で決める!自分自身の信心ですべてが決まる!」
 
 

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 六十三を読んだ感想 島幸弘

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ブロック組織こそが、広宣流布の現場である。ここに創価学会の実像がある。わがブロックが学会なのだ。そこを離れて、どこかに特別な学会があるわけではない。ゆえに、自分のブロックの建設に最大の力を注ぎ、強化し、理想の組織を創り上げていく以外に広宣流布の伸展はない。
 伸一は、渾身の力を込めて訴えていった。
 「悔いなき人生のため、悔いなき信心を」
 「信心即生活である。現実の社会で勝利していくために、揺るぎない生活の確立を」
 そして、万感の思いを込めて呼びかけた。
 「皆さんが、敢然と創価の旗を掲げて勇み立ってくださるならば、地域広布の勝利は間違いありません。どうか皆さんは、『私の姿、生き方を見てください。ここに仏法の力の証明があります』と、胸を張れる一人ひとりであってください。わが兄弟、姉妹として、私に代わって地域広布の指揮を頼みます」
 “広布のいごっそう、創価のはちきんに大勝利あれ!”と念じての指導であった。(聖教新聞より転載)
「信心とは実証なり、誓願の祈りと決意、そして実践し、実証を示し行く人生でありたい」

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 六十二を読んだ感想 島 幸弘

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彼女は、結婚後、貧乏と家庭不和に悩みながら幼子を育て、半身不随の舅の面倒をみた。釣瓶で水を汲み、薪でご飯を炊き、家族の朝食の世話をする。自分は残り物を口に入れると、農作業に飛び出す毎日であった。
 身も心も、へとへとに疲れ果て、なんの希望も感じられなかった。その時、実家の母の勧めで入会した。義父母からは「嫁が先祖代々の宗旨を変えるとはもってのほかだ」と叱られた。近所からは「あそこの嫁がナンミョーに入った」と嘲笑され、村八分にもあった。
 “信心をやめよう”と思い悩む日が続いた。しかし、学会の先輩が足繁く訪ねて来ては、「この信心は正しく、力があるから、魔が競ってくる。あなたが変われば、必ず環境も変わる」と確信をもって指導してくれた。
 励ましによって、人は師子となる。
 “よし! どんなに苦しくとも頑張ろう。この信心で、宿命を転換していくんだ!”
 高原は、信心で、逆境を一つ一つ乗り越えていった。そのたびに確信が増した。
 ある時、持っていた土地が高く売れた。それを資金にして、家の周りの土地を購入し、保育園をつくろうと思った。地域の人たちの要請であった。保育園の開園は、順調に進んだ。献身的な職員にも恵まれた。地域の人びとも、さまざまに尽力し、守ってくれた。
 高原は、喜びを嚙み締めながら語った。
 「山本先生! 入会前には、思ってもいなかった幸せな境涯になれました」
 「断固として信心を貫いてきたからです。だから、周囲の方たちも協力してくれるんです。信心こそ、一切に勝利する力なんです」
 妙楽大師は「必ず心の固きに仮って神の守り則ち強し」(御書一一八六ページ)と。(聖教新聞より転載)
「人生は試練の連続かもしれない、しかしこの信心は自分自身に確固たる信念を築き上げ自身の宿命転換ができる人間革命できる信心である」
 
 

 

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konishi kikakuさんからシェアさせて頂きました。
感動の物語をダイジェスト版で製作していただきました
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〈小説「新・人間革命」〉 力走 六十一を読んだ感想 島 幸弘

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「信心の基本は信行学にあります。教学を研鑽し、こうして試験に取り組んでいること自体が、人間としても、仏法者としても、尊い求道の姿です。また、それは、福運と功徳を積む源泉となっていくことを確信してください。皆さんは、一人も漏れなく信心の勝利者となるよう、お願いします」
 受験会場から廊下に出て運動場を見ると、二百人ほどの人たちが待機していた。受験者の付き添いで来た人たちである。
 “この方々は、受験者の家を訪れ、任用試験に挑戦するように説得し、日々、励ましながら、教学を教えてきたにちがいない。誠実さ、真剣さ、粘り強さが求められる労作業であったであろう。そこにこそ、人材育成の王道があり、歓喜と充実がある。そして、創価の広宣流布運動の本流があるのだ!”
 伸一は、感動と感謝の思いを込めて言った。
 「皆さん、本当にありがとう!」
 そして、記念撮影を提案し、三回に分かれてカメラに納まり、出会いをとどめた。(聖教新聞より転載)
「信心で一番大事な求道心、自分自身を究極まで信じ切るために信、行、学がある。自分自身の大切な人生である。自分自身に希望と勇気と感謝をもてる人生のために創価学会の信心がある」

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 六十を読んだ感想 島 幸弘

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「万次郎は、普仏戦争が起こると、視察団としてヨーロッパに派遣される。その途次、アメリカのフェアへイブンを二十年ぶりに訪れている。親代わりであり、師でもあったホイットフィールド船長に会うためだよ。大恩人に、なんとしても、感謝の思いを伝えたかったんだろうね。報恩は人道の礎だ。私も、片時たりとも、戸田先生への報恩感謝を忘れたことはない」古代ローマの政治家キケロは、「いかなる義務も恩を返すより重大なものはない」(注)との箴言を残している。報恩は、古今東西を問わず、普遍的な人間の規範といえよう。
 万次郎像から二百メートルほど歩いて、白い灯台の下に立った。眼下には白波が躍り、彼方青々とした大海原が広がっていた。同行していた地元のメンバーが言った。「ここでは、自殺者も出ております」「可哀想だな……」追い詰められて、人生の断崖に立ち、自ら命を絶った人たちを思うと、伸一の胸は痛んだ。皆で冥福を祈り、題目を三唱した。
 それから、学会員が経営しているという土産物店に激励に立ち寄ったあと、中村市(後の四万十市の一部)にある幡多会館へと向かった。車が土佐清水市の中心街に入ると、道路脇に三人、五人と立って、路上を行く車を見ている人たちがいた。「見送ろうとしてくれている学会員だね」伸一は、そうした人たちに出会うたびに、車を止めてもらい、窓を開けて声をかけた。一度の激励が、人生の転機となることもある。一回の出会いを生涯の思い出として、広宣流布に生き抜く人もいる――そう考えると、励まさずにはいられなかったのである。彼は、自らを鼓舞し、使命の力走を続けた。(聖教新聞より転載)
「人として日々自分自身に何が出きるのだろう?、自分自身が仏法者として人格形成する途上において、瞬間、瞬間のその行動、振る舞いが人間革命の実証でると肝に銘じて行きたい!」

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 五十九 を読んだ感想 島幸弘

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自分に力もなく、立身出世や保身に執着する者ほど、胸中で妬みの炎を燃やす。大業を成そうとする英傑は、嫉妬の礫を覚悟しなければならない。
 人間は、ひとたび嫉妬に心が冒されると、憎悪が燃え上がり、全体の目的や理想を成就することを忘れ、その人物を攻撃、排斥することが目的となってしまう。そして、さまざまな理由を探し、奸策を用いて、追い落としに躍起となる。
 国に限らず、いかなる組織、団体にあっても、前進、発展を阻むものは、人間の心に巣くう、この嫉妬の心である。
 万次郎は、スパイ疑惑をかけられたりもしたが、日米和親条約の締結にも尽力した。日米修好通商条約の批准書交換に際しては、遣米使節団の一員となり、咸臨丸で渡米し、通訳などとして活躍する。明治に入ると、政府から開成学校(東京大学の前身)の英語教授に任命されている。
 山本伸一は、万次郎の生涯に思いを馳せながら、同行の幹部に語った。
 「万次郎は周囲の嫉妬に苦心したが、信心の世界にあっても同様だよ。魔は、広宣流布を阻むために、外からだけでなく、学会の中でも、互いの嫉妬心を駆り立て、団結させまいとする。大事なことは、その心を超克する、人間革命の戦いだ」(聖教新聞より転載)
「志高く自身の使命を生き抜く力と責任の人生でありたいものだ」

 

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 五十八 を読んだ感想 島 幸弘

20166163438.jpeg万次郎は、帰国資金を作るため、ゴールドラッシュに沸くサンフランシスコへと向かう。遭難から九年既に二十三歳になっていた。金鉱で採掘に取り組み、資金を得た彼は、サンフランシスコから商船でハイに渡り、ホノルルにとどまった仲間と再会し、日本へ戻る計画を練った。いまだ鎖国は続いている。結果的にその禁を破ったのだから、死罪も覚悟しなくてはならない。彼は、琉球をめざすことにした。琉球は薩摩藩の支配下にあるが、独立した王国であったからだ。上陸用のボートを購入し、上海に行く船に乗せてもらった。琉球の沖合で、ボートに乗り換えた。彼が、琉球、鹿児島、長崎、土佐で取り調べを受け、故郷に帰ったのは、嘉永五年(一八五二年)、二十五歳のことであった。万次郎は、常に希望を捨てなかった。行く先々で、その時に自分ができることにベストを尽くした。だから活路が開かれたのだ。(聖教新聞より転載)                                         「人は様々な境遇で生きている、いや行きぬいている!そして困難に出会った時に一つの決断をする。それはやるか?やめるか?人生とはその決断の連続かもしれない、そして自分で自分の人生は決めている」