情熱店長ブログ
〈小説「新・人間革命」〉 力走 四十一 を読んだ感想 島 幸弘
“水の信心”と“団結の高知”――これは、一九七二年(昭和四十七年)六月二十日、高知での記念撮影会の折に、彼が示した指針であった。
高知県人は、「熱しやすく冷めやすい」といわれる。それは、短期決戦においては、長所となるが、一生成仏をめざして信心を貫くうえでは、短所になりかねない。そこで伸一は、一時的に燃え上がり、すぐに消えてしまうような“火の信心”ではなく、生涯、求道の姿勢を持続し、川の水が流れ続けるような“水の信心”を貫くことの大切さを語ったのであった。
また、高知県の男性は、「いごっそう」との言葉が示すように、気骨があり、革新的で反権力的な傾向が強い。一方、女性は、「はちきん」といわれ、きっぷがよく、勝ち気であるといわれる。つまり、男女共に、容易に自説を曲げない気質があり、それは半面、団結しにくい要素にもなる。
高知広布を推進していくカギは、「いごっそう」も「はちきん」も、皆が力を合わせ、異体同心の信心に徹していくことにある。ゆえに彼は、“団結の高知”をめざすように訴えたのだ。
そして、今回、この二つの指針に、“功徳の高知”を加えたのである。
水の信心を貫き、団結して広宣流布に邁進していくのは、それぞれが功徳の花を咲かせて、幸せを満喫するためである。皆が、共に功徳を受けようとの思いで信心に励んでいる組織には、喜びがあり、ほのぼのとした人間性の温もりがある。また、功徳の体験は、金剛不壊の信心を築き上げる骨格となる。
これらの指針は、高知県の永遠の三指針として、同志の心に刻まれていくことになる。(聖教新聞より転載させて頂きました。
「一生成仏とは今生の人生で自分自身が仏の境涯を得ると言う事、信心根本で素晴らしい自身の人生を築きあげよう」
〈小説「新・人間革命」〉 力走 四十を読んだ感想 島 幸弘
〈小説「新・人間革命」〉 力走 三十九を読んだ感想 島 幸弘
歯科医師として働き、学会活動に取り組む幸子を陰で支えてくれたのは、母親の藤であった。藤もまた弘教に情熱を燃やし、学会員のバイクの後ろに乗せてもらっては、あの地へ、この地へと友のために走った。
山本伸一は、高知文化会館の屋上での茶会で、幸子に言った。
「よく頑張ってきましたね。あなたのことを、地域の同志は誇りに思っていますよ。
あなたが頑張ってこられたのは、お母さんが守り、支えてくださっているからです。どうか、お母さんを大事にしてください。人間は、一人では生きていけません。常に誰かの力を借りているものなんです。そのことを忘れずに、周囲の人に感謝の思いをもって接していくのが、仏法者の生き方です。
同様に、会員の皆さんを激励する際にも、その方を応援し、協力してくれているご家族に、御礼、感謝の言葉をかけるんです」
それから、和服姿の藤に視線を向けた。
「おばあちゃん、ありがとう。着物がよくお似合いですよ。
ご一家でいちばん偉いのは、娘さんやお孫さんを守り、窪川の発展を支えてこられた、おばあちゃんです。まさに樫木家の会長です。うんと長生きしてください」
伸一は、樫木家の繁栄を祈りつつ、家族と一緒に記念のカメラに納まった。
人への感謝と配慮は、心の結合をもたらし、それが新しい前進の活力となっていく。(聖教新聞より転載させて頂きました)
「人は人によって生きていける、だから人を大切にして行く事が自分もその人も幸福になる近道なのだ」
〈小説「新・人間革命」〉 力走 三十八 を読んだ感想 島 幸弘
山本伸一は、さらに、法華経の「普賢菩薩勧発品」の、「普賢よ。若し後の世に於いて是の経典を受持・読誦せば、是の人は復衣服・臥具・飲食・資生の物に貪著せじ。願う所は虚しからじ。亦現世に於いて、其の福報を得ん」(法華経六七六ページ)の文を引いて指導していった。
「この経文は、末法にあって、御本尊を受持し、信心を貫いていった人は、物欲に振り回されるような生き方を脱して、所願満足の境涯に入っていくことを述べられています。
信心を貫いていくうえで必要なのは、勇気です。勇気とは、本来、外に向けられるものではありません。弱い自分、苦労を回避しようとする自分、新しい挑戦を尻込みしてしまう自分、嫌なことがあると他人のせいにして人を恨んでしまう自分など、自己の迷いや殻を打ち破っていく心であり、それが幸福を確立していくうえで、最も大切な力なんです。
高知の皆さんは、自分に打ち勝つ、勇気ある信心の人であってください」
高知支部結成二十二周年を記念する幹部会は、喜びの弾けるなか、幕を閉じた。
彼は、休む間もなく激励に館内を回り、屋上で開かれた茶会にも、参加者の労をねぎらうために顔を出した。そこで歯科医師で県副婦人部長をしている樫木幸子と、その母親、男子部の長男、女子部の長女と懇談した。
幸子は、一九五八年(昭和三十三年)の一月、学会に入会。勤行は始めたものの、学会活動には消極的であった。その翌年、夫を交通事故で亡くした。息子は九歳、娘は五歳であった。途方に暮れた。自分の宿業を思い知らされた気がした。
“私が強くならなければ、試練の荒波に負けない自分にならなければ……。また、人生には福運が大事だ。この信心に励めば、自分を変えられるし、宿命も転換でき、福運をつけることもできるという。よし、本格的に信心をしてみよう!”
彼女は決意した。歯科医院を営みながら子どもを育て、懸命に学会活動に励んだ。
「信心とは自分自身の命の傾向性と真正面から向かい合い、その命を自分自身の意志で変革していく積極的な方法だ」(聖教新聞より転載させて頂きました)
〈名字の言〉 2016年5月3日に、北海道・厚田の戸田記念墓地公園で桜が開花した。
5月3日に、北海道・厚田の戸田記念墓地公園で桜が開花した。連休後半の今が見頃で、多くの人が8000本の桜を楽しんでいる▼実は昨年、墓園の桜の多くが咲かなかった。つぼみを食べられてしまったのだ。“犯人”は全長15センチほどのウソという鳥。天候不順などで、山中の木の実等が少ないと、群れで里に下り、果樹の花芽や桜のつぼみを食害することがある。地球温暖化の影響を指摘する専門家もいる▼どうすれば桜を守れるか――この一年、桜守の人々は懸命に考え、対策を打ってきた。研究を重ね、ウソが嫌がる音を見つけ、定期的にマイクで流した。延べ10キロに広がる桜の一本一本を、何度も確認した。風雪や低温、潮風等に対する例年の対策に加え、作業は増えた▼「桜は毎年、普通に咲くものと思っていました。今年は本当に待ち遠しかった」と、ある来園者。皆が感じる“当たり前”の喜びも、人知れぬ数々の労苦から生まれることを、あらためて知った▼御書に「全ての願いが叶っていくさまは、潮が満ちてくるようであり、春の野に花が咲き薫るようなものである」(1110ページ、通解)と。花も人生も、断じて咲かせるとの一念と努力があって、美しく開く。一回りたくましくなった桜が、そう語り掛けている。(鉄)
「日本の桜は1月中旬から沖縄の石垣島で始まり5月3日北海道で終わる。約3000kmの桜前線はの日本人の心根の象徴でもある」(聖教新聞より抜粋)
〈小説「新・人間革命」〉 力走 三十七を読んだ感想 島 幸弘
「広宣流布は、現実社会のなかを、一歩一歩、切り開いて進む、長い、長い遠征です。その前途には、不況など、生活を圧迫する、さまざまな大波もあります。
したがって、生活においても明確な長期の展望を立てるとともに、特に足元の経済的な基盤を固めていくことが大切になっていきます。“信心をしているから、どうにかなるだろう”という考えは誤りです。
仏法は道理です。展望なき生き方は、長続きしません。また、生活設計がいい加減で、日常生活のリズムも乱れていれば、厳しい現実を乗り越えていくことはできません。すべて『信心即生活』です。身近な一歩を大切にしながら、生活の安定と向上をめざし、強盛な信心を貫いていただきたい。
「創価学会の入会の目的は、自分自身の人生が日々幸せであると実感できるためにこの信心を始めました。池田先生の指導はまさにその目的をしっかりと見据えたものである。自分自身の幸福は自分自身の信心で勝ちとるべきである」(聖教新聞より転載させて頂きました)
〈小説「新・人間革命」〉 力走 三十六を読んだ感想 島 幸弘
伸一は、固く心に決めていた。
“波瀾、激動の末法にあって、誰が広宣流布を進めるのか。この方々しかいない。
学会員は、自らの宿業と悪戦苦闘しつつ、人びとの幸福のために全力で駆け回ってくださっている。まさに、大使命をもって出現した地涌の菩薩であり、尊き仏子なのだ。私は、瞬時も無駄にすることなく、目に映る一人ひとりに魂を注ぎ、合掌する思いで、激励の限りを尽くし抜こう。決して、障魔に敗れ、倒れたりする人を出してはならない!”御聖訓には、「木をうえ候には大風吹き候へどもつよ(強)きすけ(扶)をか(介)ひぬれば・たうれず」(御書一四六八ページ)と。
励ましは、勇気となり、力を生む。
「人間は自分一人だけでは生きられない、家族や仲間が必要、そして信心の同志の存在はとてもありがたい」(聖教新聞より転載させて頂きました
〈小説「新・人間革命」〉 力走 三十五を読んだ感想
高知でも、会員を学会から離反させて、寺の檀徒にするため、宗門僧らによる学会への陰湿な誹謗・中傷が繰り返されてきた。そうしたなかで、歯を食いしばって創価の正義を叫び抜き、学会員を守り抜いてきた人たちを讃え、励ましたかったのである。
伸一の一行が高知文化会館に着いたのは午後五時半で、辺りは夜の帳に包まれていた。文化会館は、高知市の中心部を流れる鏡川に面して立つ、鉄筋コンクリート四階建ての堂々たる会館であった。この夜、伸一が真っ先に出席したのは、草創からの功労者の代表百五十人との懇談会であった。懐かしい多くの顔があった。
風雪に耐えて、広宣流布の険路を勝ち越えてきた勇者たちの頭髪は、既に薄くなり、また白いものが目立ち、額には幾重にも皺が刻まれていた。しかし、その瞳は、歓喜と求道と闘魂に燃え輝いていた。
「わが姿たとえ翁と見ゆるとも心はいつも花の真盛り」(注)とは、高知が生んだ日本植物学の父・牧野富太郎の言葉である。伸一は、高知を訪問できた喜びを語り、皆を抱きかかえる思いで訴えた。「“戸籍の年齢”と“生命の年齢”とは違います。気持ちが若ければ、“生命の年齢”は青年です。永遠なる楽しき広布旅です。高知県創価学会を日本一にするために、私と共に、もう一度、頑張ろうじゃないですか!」
小説『新・人間革命』の引用文献
注『牧野富太郎自叙伝』講談社
「私の心がいつも青年のようであるならば、生命はいつも輝き生涯青春の人生を歩むことができるだろう」(聖教新聞より転載させて頂きました)
栄光の「5・3」から誓願の出発
きょう5月3日は、「創価学会の日」「創価学会母の日」。本年は、戸田城聖第2代会長の就任65周年の佳節に当たる。池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は3首の和歌(別掲)を詠み、「全世界の創価家族の健康とご多幸 各国各地の安穏と繁栄を心より祈りつつ」と添えて贈った。また、イタリア・フィレンツェ市がSGI会長を「名誉市民」として迎えることが決定。通知書とともにダリオ・ナルデッラ市長から祝辞が寄せられた。「5・3」を祝福する各界の声を2面で、ヌール・ヤーマン博士(ハーバード大学名誉教授)へのインタビューを3面で紹介する。
師弟立ち
六十五年の
凱歌かな
平和の柱と
創価は厳たり
地球つつむ
母の祈りは
揺るぎなく
乾ける土より
蘇生の泉を
誓願の
地涌の生命の
青年なれば
試練の坂も
いざ勝ち越えよ
(聖教新聞より転載させて頂きました)
〈小説「新・人間革命」〉 力走 三十四 を読んだ感想 島 幸弘
かつて高知では、草創期の中心幹部が、不祥事を起こした末に、退転、反逆していくという事件があった。そのためか、なかには、「幹部には頼らん。自分の組織は、自分で守る」と言う草創からの幹部もいた。島寺がその地域の会員宅を家庭訪問することについても、「勝手なことをされては困る」と言い出す始末であった。
彼は、言葉を失った。幹部への信頼が、ひとたび崩れてしまったならば、それを取り戻すのは容易ではないことを、肌で感じた。
“よし、大誠実をもって、皆のために粘り強く、尽くし抜いていこう!”
山本伸一は、島寺のことを気にかけ、県長会などで彼と顔を合わせるたびに、さまざまなアドバイスを重ねた。「話は、活動の打ち出しだけではなく、信心の歓喜と確信を与えることが大事だよ」
「副役職者を大切にしなさい。その力が本当に発揮されれば、広宣流布は加速度的に進みます。副役職の人には、中心者の方から積極的に声をかけ、信義と友情の絆を結んでいくんです。強い組織というのは、副役職者が喜々として活躍している組織なんです」島寺は、伸一の指導通りに実践した。
「師匠の指導のままに実践する。当たり前の事を当たり前に行う、凡事徹底!」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)