創価学会仏壇の桜梅桃李.com>店長のブログ>情熱店長ブログ

情熱店長ブログ

〈小説「新・人間革命」〉 大山 六十一を読んだ感想と決意 島幸弘

201731710057.png

山本伸一は、前年の一九七八年(昭和五十三年)七月三日、男子部歌「友よ起て」を作詞・作曲して、後継の青年たちに贈った。
  
 〽広布のロマンを 一筋に
  打てよ鳴らせよ 七つの鐘を
  やがては誉れの 凱歌の世紀
  花に吹雪に 友よ起て
   
 その歌詞にあるように、「七つの鐘」は鳴り響き、今、学会は「凱歌の世紀」をめざして、新しい旅立ちの朝を迎えたのだ。
 五月三日――五月晴れの空のもと、「七つの鐘」の総仕上げを記念する第四十回創価学会本部総会が、東京・八王子市の創価大学体育館で行われた。参加者は皆、新出発の祝賀の本部総会であることはわかっていた。しかし、誰もが心のなかで、一抹の寂しさを拭いきれずにいた。“これから学会は、どうなってしまうのか”との思いも強かった。
 開会は、午後二時である。この総会には、法主の日達をはじめ、宗門僧の代表も出席することになっていた。伸一は彼らを迎えるために、午後一時半前から新会長の十条潔らと創価大学の玄関前に立った。やがてマイクロバス、乗用車が到着し、僧が降りてきた。
 「ようこそ、おこしくださいました!」
 伸一はモーニングに身を包み、丁重にお辞儀をし、僧たちを迎えた。しかし、多くはあいさつもせず、無表情に、傲然と通り過ぎていく。なかには、したり顔で一瞥し、冷ややかな笑いを浮かべる者さえいる。
 伸一の脳裏には、悪僧の冷酷な仕打ちに苦しんできた学会員の悲痛な顔が浮かんでは消えた。今回、自分が身を引くことで、宗門が言うように事態が収まるなら、それでよいと彼は思った。
 守るべきは誰か――健気な学会員である。最愛の同志である。尊き仏子たちである。
 そのために自分は盾になり、犠牲にもなろうと、彼は心を定めていたのである。
 決定した心には、勇気の太陽が昇る。

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 六十一を読んだ感想と決意 島幸弘

創価学会は当時は、宗門外護の立場であった。宗門とは「日蓮大聖人の正報正義を正統に継承している」と言う定義がある。宗門が宗祖大聖人の仏法を否定しても外護するなどという事はあるはずもない。宗門は数々の失態をひた隠してきた。また創価学会が現代の世界広宣流布への布石の戦いに対して難癖をつけてきた。末法の世の様相を呈しており、双方が謙虚に大聖人の仏法の原点に立ち返るべきであったと思う。創価学会は御書根本に展開しているが宗門は「僧が上、在家は下」と明確に大聖人の本義に違背している。当時の創大体育館での双方の態度がすべてを物語っている。勘違いも甚だしい!。この歴史の流れの時に私自身が今世を生きていたことに強く誇りと責任を感じている。

〈小説「新・人間革命」〉 大山 六十を読んだ感想と決意 島幸弘

201731493715.png

山本伸一は、しみじみと思うのであった。
 “戸田先生は、私という一人の真正の弟子を残した。全生命を注ぎ尽くして、仏法を、信心を教え、万般の学問を授け、将軍学を、人間学を伝授し、訓練に訓練を重ねてくださった。また、先生の事業が破綻し、烈風に立ち向かった、あの辛酸の日々を過ごしたことも、師子として私を鍛え上げるための、諸天の計らいであったのかもしれない。
 私も会長就任以来十九年、全精魂を傾けて後継の人材を、一陣、二陣、三陣、四陣……と育ててきた。しかし、その本格的な育成は、いよいよこれからだ。
 後を継ぐ第一陣ともいうべき首脳幹部たちは、嵐のなかに船出し、学会の全責任を担い、懸命に戦うなかで、真正の師子となってもらいたい。退路なき必死の闘争が覚悟を決めさせ、師子の魂を磨き上げるからだ。
 それに、今ならば、私も彼らを見守り、個人的に励まし、一人の同志としてアドバイスしていくこともできる。執行部を、後継の同志を、正行のように、討ち死になど、断じてさせるわけにはいかぬ!”
 そう考えると、すべては御仏意であると、伸一は強く確信することができた。
 “あとは、二十一世紀を託す若き師子たちの育成が、大事な仕事となる。一人ひとりが、いかなる時代の激動にも対応できる、知勇兼備の後継の逸材に育ってほしい”
 彼は、青年たちに、その思いを伝えるために、“大楠公”の歌のピアノ演奏をテープに収め、門下の代表に贈ろうと思った。
 早速、職員にテープレコーダーを用意してもらった。そして、初めに「わが愛し、信ずる君のために、また、二十一世紀への大活躍を、私は祈りながら、この一曲を贈ります」との言葉を録音し、ピアノに向かった。
 ひたすら弟子の成長を願い、一心に、時に力強く、魂を込めた演奏が続いた。
 “立てよ! わが弟子よ、わが同志よ。勇み進め! 君たちこそが伸一なれば!”と心で叫びながら――。

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 六十を読んだ感想と決意 島幸弘

艱難辛苦を乗り越えて!人生の荒波、そして潮の目の変化、潮の満ち干など大海原も常に変化変化の連続でありその躍動に満ち溢れた大海の一滴は多くの生命に影響を与えている。自分の人生も同じだ、これまでも順風満帆な時期など決してなかった。願兼於業の人生だから当然である。何があろうとどんな状況になろうとも師弟不二の信心で生き抜いて行こう!

〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十九を読んだ感想と決意 島幸弘

2017313133215.pngのサムネイル画像

一九五一年(昭和二十六年)の一月六日、万策尽きた戸田城聖が書類整理をしながら語った言葉は、山本伸一には“大楠公”に歌われた楠木正成の心情と重なるのであった。
  
 〽正成涙を打ち払い
  我子正行呼び寄せて
  父は兵庫に赴かん
  彼方の浦にて討死せん
  いましはここ迄来れども
  とくとく帰れ故郷へ
  
 以来、二十八年余――伸一は今、静岡研修道場にあって、後継の人を残して決死の大戦に赴こうとする勇将の胸の内を、そして、わが師の思いを嚙み締めていた。
 彼もまた、十条潔ら新執行部に、さらには後継の若き人材たちに、これからの学会を託して、新しき世界広宣流布へと旅立つことを思うと、あの時の戸田の覚悟が強く心に迫ってくるのである。
 伸一は、研修道場の白いピアノに向かった。指が鍵盤を走り、“大楠公”の曲を奏で始めた。
   
 〽父上いかにのたもうも 
  見捨てまつりてわれ一人
  いかで帰らん帰られん
  此正行は年こそは
  未だ若けれ諸共に
  御供仕えん死出の旅
   
 〽いましをここより帰さんは
  わが私の為ならず
  己れ討死為さんには
  世は尊氏の儘ならん
  …………
   
 彼は心で恩師・戸田城聖に誓っていた。
 “正成も、父の遺志を継いだ正行も、足利方と戦い、敗れ、無念の最期を遂げましたが、私は負けません。必ず全同志を守り抜き、世界広宣流布の新舞台を開きます!”

 *小説『新・人間革命』文中の「青葉茂れる桜井の(大楠公)」(作詞=落合直文)の歌詞は、正規には本文中のとおりですが、学会のなかでは慣習的に、「いまし」は「汝(なんじ)」、「来(きつ)れ」は「来(きた)れ」、「わが私の」は「われ私の」と歌われています。

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十九を読んだ感想と決意 島幸弘

日本の歴史を考え思う事、先人が何のために様々な時代を文化を造りながら生きてきたのか?当然己の欲に生き抜きはかない最後を遂げた武将、家を守るために死を決した者たちなど様々な歴史を刻んできたのであろう。21世紀を生きる私たちは何を考え、どう生きるのか?立正安国論に「汝須らく 一身の安堵を思わば 先ず四表の静謐を祷らん者か」(通解) あなたは、すべからく一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである。(立正安国論 31ページ)とある。国の単位も自分自身の単位も同じで自分だけが救われ自分だけが幸せになるという時代ではないことは現在の世界の情勢を見れば納得できる、しかし世界のリーダー自身が民衆のリーダーであり、民衆が望む安心、安全の平和というものを二度の大戦を経験したものなら理解できそうにもかかわらず、個人の生命の魔性をコントロールすることができないようだ。世界平和のために民衆が立ち上がり連携していく広宣流布は時代が最も望む犠牲の無い世界平和実現の大きな試金石なのである。我ら創価学会員自らが日々自身の使命の尊さに歓喜雀躍して人生を送っていきたいものだ!

〈随筆 永遠なれ創価の大城〉17 東北は世界の希望  2017年3月11日(聖教新聞より転載)

2017311183527.png

不屈の魂の「人材城」は厳たり
新しき民衆の連帯に「福光の春」

今、私は、妙法で結ばれた創価家族の縁の深さを嚙み締めております。
 それは、生死を超えて「常楽我浄」の生命の旅を共々に続ける絆です。
 御本仏・日蓮大聖人は遠く離れた門下へ、「我等は穢土に候へども心は霊山に住べし」(御書一三一六ページ)と仰せになられました。
 いかなる試練にあろうとも、私たちの心は、常に大聖人とご一緒です。亡くなられたご家族も友も、広宣流布に懸命に進みゆく私たちの心の霊山に一緒なのであります。
 あの東日本大震災から六年――。未曽有の災害の犠牲になられた全ての方々に、さらに震災後の苦難の中で逝去された方々に、あらためて、心からの追善回向の題目を送らせていただきます。
 そして、縁深き東北の皆様の幸福勝利と郷土の繁栄を、ひたぶるに祈念し続けてまいります。
 「生死一大事血脈抄」には、「過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり」(同一三三七ページ)と明かされています。
 法華経に結縁した生命には、成仏の血脈が滔々と流れ通い、「三世の生死」にわたって、決して離れることも、切れることもありません。
 ゆえに妙法に包まれた「仏界の生死」であり、「生死ともに仏」(同一五〇四ページ)です。これ以上、大安心の生死は、断じてないのです。

「仏をば能忍と」

 仙台の新・東北文化会館を中心に六県を結んで行われた、凱歌の「新生・東北総会」を、私も嬉しく見守った。
 「負げでたまっか!」――わが東北の同志は、この負けじ魂を命がけで発揮してきた。皆が勇敢なる信心で「心の財」を無量に積み、東北中に「功徳の山々」を築き上げてきたのだ。
 御聖訓に、「此の世界をば娑婆と名く娑婆と申すは忍と申す事なり・故に仏をば能忍と名けたてまつる」(同九三五ページ)と仰せである。
 すなわち苦悩多き娑婆世界にあって、あらゆる苦難を「能く忍ぶ」勇者を「仏」というのだ。
 御本仏はその永遠の鑑を、打ち続く大難に「いまだこりず候」(同一〇五六ページ)と立ち向かう御自身のお姿を通して示してくださった。
 不撓不屈なる東北家族が、この「師子王の心」に直結していることは、絶対に間違いないのだ。
 復興は道半ば。今も、多くの方々が仮設住宅や避難先で暮らされている現実がある。帰還にも、期待と不安は交錯する。
 まして、悲しさや寂しさ、苦しさは皆違う。一人ひとりの心の復興への歩みは、時間で測れない。
 それでもなお、東北の皆様方は、今いる場所、今いる地域で、生きる勇気を奮い起こし、凍てつく大地から再び草木が芽吹くように、雄渾に立ち上がってこられた。
 御書に「妙とは蘇生の義」(九四七ページ)とある。妙法とは最極の希望の力といってよい。
 ゆえに私は、宮城、岩手、福島の三県をはじめ、青森、秋田、山形の「歓喜の友々」こそ、「世界の希望なり!」と声を大にして叫びたいのだ。
 この東北の希望の足音に歩調を合わせてこそ、真の「人間主義の世紀」が生まれていくのだと、私は確信してやまない。

支え合って強く

 今回、東北を訪れ交流したSGIの友も、どこまでも温かく、明るく、強靱な、みちのくの同志の姿に感動していた。
 目の前に、苦しむ人、悲しむ人がいれば、そっと手を差し伸べ、寄り添ってきた。ありのままに悩みを語り合い、分かち合い、励まし合って生き抜いてきた。
 信心で戦えば元気になる。だから一緒に戦いたいと声を掛ける――ある被災地の婦人部の友が、深い決意を語っていた。
 「目的は『壁を破る』こと。誰かと比べて勝つことじゃなくて、今の自分より進歩すること」
 そうやって、一歩また一歩と歩みを重ねる一人ひとりが、互いに支え、支えられて、地域社会は強く豊かになる。
 今、私には、「一切衆生は互に相助くる恩重し」(御書四三五ページ)との御金言が、不滅の輝きをもって拝されてならない。
 我らは、いやまして強盛な「立正安国」の祈りで進み、同苦と励ましの連帯を広げ、地域に根ざした人のつながり、友情で結ばれた心の結合を強めていきたい。そこに、生命尊厳と共生の社会の創造があるからだ。
 ◇ 
 尊きブラジルの来日メンバーは「タイヨウ音楽隊」の代表であった。音楽の持つ偉大な励ましの力を、生き生きと体現する若人たちだ。
 福島でも、浜通りの北部、四市町村(相馬市、南相馬市、新地町、飯舘村)からなる「福島旭日県」の皆さん方は、各部それぞれに合唱団をつくられている。
 壮年部は「福光銀河合唱団」、婦人部と女子部は合同で「福光春風合唱団」、男子部は二十代のメンバーを中心に「福光若獅子合唱団」を結成した。苦闘の日々、歌が元気の力になってきたという。
 昨年の「うつくしまフェニックスグループ」(原発事故等の影響で福島県内外に避難した友の集い)の総福島での大会でも、“福光の春”を声高らかに歌った。
 しなの合唱団、創価グロリア吹奏楽団、関西吹奏楽団、創価ルネサンスバンガード、そして東北の音楽隊が被災各地で行ってきた演奏は、百回を数える。
 法華経に登場する妙音菩薩は、「能く娑婆世界の諸の衆生を救護する者なり」(創価学会版法華経六一六ページ)と説かれる。
 私の心を心とし、希望と勇気の妙音を響かせてくれている創価の楽雄たちに感謝は尽きない。

尊き三つの椅子

 東北国際女性会館に、この度、設置された「東北福光みらい館」を観賞した海外の友の反響も、大きかった。
 展示品の中に、石巻の木工作家の方が制作してくださった、尊い三つの椅子がある。大津波で亡くされた三人のお子さん方への尽きせぬ愛情と祈りが込められている。
 椅子の写真を拝見し、まるで三人のお子さん方が仲良く笑って腰掛けているような、平和と幸福の光を感じ取り、私は深く合掌した。

私には宝がある

 思えば、一九七〇年(昭和四十五年)の一月、私は未来部への詩「大いなる希望」に詠んだ。
 「昭和五十四年に 第七の鐘は ひとたび鳴り終わる」「次に新しい 七つの鐘を鳴らすのは 君たちしかない」
 当時、岩手県雫石町の六人の少年少女部員が、私の詩を読み合い、決意の手紙を送ってくれた。
 嬉しかった。「すみれグループ」と名付けられた少年少女たちは、冬を越えて咲く花のように、けなげだった。
 「岩手に行ったら、必ず会いましょう」と、すぐに伝言を託した。
 その約束は二年後(一九七二年)の七月に実現した。将来の夢やご両親のことなどを語り合い、次のような言葉を書籍に認め贈った。
 「辛くとも 私は 決して くじけない 私には 私には 希望という 宝があるからだ」
 「希望という やさしい そして 強い心をもって 私は いつまでも 幸をつくっていくのだ」
 使命が大きいゆえに、試練もあろう。残酷な現実に直面する時もあるかもしれぬ。だが、それでも希望を忘れてはならない――そう願って綴った。
 今も私の心は、未来部の友と直結だ。生命と生命はつながっている。
 今回の東北総会では、最後に宮城の青葉少年少女合唱団が凜々しく壇上に立ち、東北の歌「青葉の誓い」を全参加者と歌い上げてくれた。
 この四月には、震災直後に小学校に上がった友が中学生になり、中学に上がった友は大学生や社会人になる。六年という歳月に、東北の若人たちは何と逞しく成長してくれたことか。未来を限りなく照らす希望の宝だ。

“流れ”を未来へ

 四十年前(一九七七年)の三月、私は福島の地で、3・16「広宣流布記念の日」の意義を語った。
 広宣流布は“流れ”それ自体である。青年が先駆となり、人材の流れを強く、深く、大きくするという儀式こそ「3・16」の意義なのだ、と。
 「広布の総仕上げ」を託した東北から、負けじ魂に燃える後継の地涌の陣列が躍り出ることを、私は祈り、信じた。
 今その通りになった。世界が東北を希望とし、東北の底力に励まされているではないか。
 岩手出身の詩人・宮沢賢治はうたった。
 「はがねを鍛へるやうに新らしい時代は新らしい人間を鍛へる」と。
 いつも私の心の真ん中には、鍛え上げられた、新生の東北家族がいる。
 「学会精神は、東北に学べ!」と、誰もが仰ぎ見る「凱歌の人々」だ。
 「冬は必ず春となる」――見よ! この不滅の大法則のままに、「福光の春」は輝き始めた。
 わが東北の不屈の魂の人材城よ、師弟の誓いの大城よ、永遠なれ!

 (随時、掲載いたします)

 宮沢賢治の言葉は『宮沢賢治全集2』(筑摩書房)。

 

〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十八を読んだ感想と決意 島幸弘

2017311181843.png

戸田城聖の目は、広宣流布の未来を見すえていた。その未来へ、創価の魂の水脈を流れ通わせるために、彼は、山本伸一という一人の弟子に、後継者として一切を託そうとしていたのである。
伸一には、その師の気持ちが痛いほどわかった。戸田は、再確認するように語った。
「私と君とが、使命に生きるならば、きっと大聖人様の御遺命も達成する時が来るだろう。誰がなんと言おうと、強く、強く、一緒に前へ進むのだ!」
伸一は、潤んだ瞳を上げた。
「先生、決して、ご心配なさらないでください。私の一生は、先生に捧げて、悔いのない覚悟だけは、とうにできております。この覚悟は、また、将来にわたって、永遠に変わることはありません」
まさに背水の陣ともいうべき状況のなかでの、厳粛な師弟の対話であった。
この時、伸一の脳裏に、湊川(兵庫県神戸市)の戦いに赴く武将・楠木正成と長子・正行の父子が交わした別れの語らいが浮かんだ。
一三三六年(延元元年・建武三年)、正成は、朝敵となった足利尊氏の上洛を防ぐために、湊川の戦場へと向かう。しかし、討つべき足利方の軍は大軍であり、敗北は必至であった。死を覚悟しての戦いである。
正成は湊川での決戦を前にし、桜井(大阪府三島郡島本町)の地で正行を呼び、引き返すように告げる。だが、正行も、父と共に討ち死にする覚悟であり、帰ろうとはしない。正成は、涙ながらに、もしも二人が共に討ち死にしてしまえば、尊氏の天下となってしまうことを訴え、正行を説き伏せる。
その情景を歌にしたのが、“大楠公”と呼ばれる「青葉茂れる桜井の」(作詞・落合直文)である。戸田が愛し、青年たちに、よく歌わせた歌である。正成は、正行に言う。
「早く生い立ち大君に 仕えまつれよ国の為」――この歌詞に戸田は、青年たちへの、“早く巣立ってほしい。広宣流布の大願に生き抜け!”との願いを託していたのである。

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十八を読んだ感想と決意 島幸弘

実は大楠公の話は池田先生のご指導から初めてお聞きした物語だった。親子であっても命は別であるし、当然生きていく使命も別である。しかしそこに貫かれた大目的に生きていく人生は同じである。戸田先生が池田先生に言われた広布の使命に生き抜こう!とのすべてを託す思いの深さ真剣さを思う時、我が人生もそうありたいと命が響いた!

〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十七を読んだ感想と決意 島幸弘

2017310103736.png

学会は、「創価学会仏」なればこそ、永遠なる後継の流れをつくり、広宣流布の大使命を果たし続けなければならない。
山本伸一は、強く自分に言い聞かせた。
“断じて、人材の大河を開いてみせる!” 彼は、一九五一年(昭和二十六年)の一月六日、恩師・戸田城聖が最も窮地に立たされていた時、自宅へ呼ばれ、後事の一切を託された日のことを思い起こした。
戸田は、四九年(同二十四年)秋、出版事業が暗礁に乗り上げると、状況打開のために東光建設信用組合の専務理事として金融事業に着手する。しかし、時代の荒波をもろに被り、事業は悪化の一途をたどった。そして、遂に業務停止という最悪な事態を迎えたのである。新たな活路を求めて、戸田が最高顧問となって大東商工がスタートしていたが、それも思うに任せなかった。 社員のなかには、戸田を恨み、憎み、罵りながら、去っていく者もいた。一部の債権者は彼を告訴さえしており、事と次第によっては、逮捕もされかねない状況である。戸田は、自ら当局に出頭し、事情説明にあたる覚悟を固めていた。
そのなかで、東光建設信用組合の残務整理のために、伸一を自宅に呼んだのである。
戸田が妻の幾枝を傍らに置き、率直に心の内を語り始めると、幾枝は肩を震わせて泣き伏した。“将軍の妻”が「大切な時に泣くとは、いったい何事だ!」と、彼は叱咤し、伸一に言うのであった。
「私に、もし万一のことがあったら、学会のことも、組合のことも、また、大東商工のことも、一切、君に任せるから、引き受けてくれまいか。そして、できることなら、私の家族のこともだ」
さらに、言葉をついだ。
「私の、この世に生まれた使命は、また君の使命なんだよ。わかっているね。何が起きたとしても、しっかりするんだぞ」
いかなる事態になろうが、共に広宣流布の大使命に生き抜いてこそ師弟である。

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十七を読んだ感想と決意 島幸弘

人生は長いようで短い、しかも山あり谷ありだ。艱難辛苦を乗り越えて生きて生きてそして現在がある。振り返っても縁するすべての方々に感謝の念で一杯である。創価の師弟はなおさらである。人生の規範ともゆうべき師匠からのご指導を元にここまで来られたと確信している。これからの人生も弥弥の心で一歩でも深く高く強く自身の命の境涯を高めていく日々でありたい。

〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十五を読んだ感想と決意 島幸弘

201739122445.png

山本伸一は、静岡研修道場で、世界の平和を推進するために、各国の指導者、識者らとの今後の交流や、文明・宗教間の対話をいかにして進めるべきかなど、深い思索を重ねていった。また、その間に、学生部や婦人部、地元・静岡県の代表とも懇談の機会をもち、広宣流布に生きる創価の師弟の道を確認し、新たな前進を開始するよう懸命に訴えた。
既に、この時、学会の支配を企む弁護士の山脇友政と宗門僧らの陰謀によって、伸一は自由に会合にも出席できない状況がつくられていたのだ。
――会長を辞めるのだから、会合に出席して指導するのはおかしい。その話や行動を機関紙誌に報道する必要はない。
結局、伸一に関して「聖教新聞」が伝えることができるのは、海外の訪問や要人との会見などに限られ、彼の会内の活動は功労者宅の訪問や個人指導等に制限された。邪智の反逆者と悪僧らの狙いは、伸一を徹底して排除し、学会員と離間させることにあった。そうすれば学会を自在に操り、会員を自分たちに隷属させられると考えたのだ。
創価学会を貫くものは、広宣流布に生きる師弟の精神である。初代会長・牧口常三郎は獄死という殉難の生涯をもって死身弘法の魂をとどめ、第二代会長・戸田城聖は獄中の悟達によって地涌の菩薩の大使命を自覚した。そこに創価の精神の源流が開かれた。
出獄した戸田は、地涌の同志の陣列・七十五万世帯達成を宣言し、弟子・伸一と共に、その誓願を成就した。日蓮大聖人が仰せの「地涌の義」が実証されたのだ。そして、伸一は、同志と師弟の絆で心を結び合い、世界広宣流布をめざして進んできた。
かつて戸田は、「学会は、この末法にあって、これだけ大勢の人に法を弘め、救済してきた。未来の経典には、『創価学会仏』という名が厳然と記されるのだよ」と語っていたことがあった。広布の大使命に生きる学会なればこそ、第六天の魔王は牙を剝いて襲いかかるのだ。

〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十五を読んだ感想と決意 島幸弘

経典には『行解既に勤めぬれば、三障四魔、紛然として競い起こる。乃至随うべからず、畏るべからず。これに随えば、まさに人をして悪道に向かわしむ。これを畏れば、正法を修することを妨ぐ』等云云とある。池田先生が世界広宣流布に向け大躍進したが故の三障四魔であった。さらなる元弁護士であった悪の大陰謀から抜け出すために更なる大闘争を静かに開始した。またこれだけの大難に立ち向かった全国の創価学会員も、各地で宗門などの難に会いながらも切り抜けてきた。未来の経典に「創価学会仏」と記されると明言された戸田先生の未来眼はいかばかりか!

創価学会仏(そうかがっかいぶつ)とは、戸田先生は、「日蓮大聖人の曠大なる慈悲を体し、末法娑婆世界において大法弘通しているのは創価学会しかない」ゆえに戸田先生は、もしも未来に仏が経典をつくられるならば、大聖人直結した広宣流布の和合僧団ー創価学会に「仏」の名を冠されるのは当然だろう、「創価学会仏」と記されるであろうと断言されました。「広宣流布を推進しゆく創価学会が仏の存在であり、創価学会なくして広宣流布はなく、学会を守ることが広宣流布を永遠ならしめることである」と指導された。一閻浮総与と言われた日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の十界曼荼羅を世界192か国地域に流布してきた創価学会、創価学会員こそ仏の存在である。師匠である池田先生の広宣流布のご構想を地域広布に置き換えて自分でできる使命と自覚をしながら日々勇猛精進して行こう!

 

〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十四 を読んだ感想と決意 島幸弘

20173795053.png

最後に十条潔は、胸の思いをありのままに語っていった。「私自身、山本先生のこれまでの指導を深く心に刻み、模範の実践を展開していくとともに、組織の最前線で戦ってこられた皆さんから、信心を学んでまいります。
したがって、どうか会長だからといって、私のことを、『先生』などと呼ぶようなことはしないでいただきたい。厳粛なる歴代の創価の師のみが『先生』であります。
私に対しては、『十条さん』や『十条君』で結構ですし、呼び捨てでもかまいません。共に同志として、平等に、異体同心の団結で切磋琢磨しながら、新しい前進を開始してまいろうではありませんか!
ともかく私は、皆様が安心して朗らかに仏道修行に励んでいかれますように、“会員奉仕”に徹してまいりますので、どうかよろしくお願い申し上げます」
彼の真摯で率直な話に、皆、さわやかな共感を覚えた。

信心指導とは、高みに立って同志を教訓することではない。リーダー自らが一個の人間として、決意と情熱と行動をもって進むべき道を指し示し、共感をもたらしていく生命の触発作業にほかならない。
創価の新しい前進の歯車は、山本伸一が見守るなか、回転を開始していったのである。
   
翌二十六日、伸一は、静岡県・富士宮の宗門の総本山に法主・日達を訪ね、法華講総講頭の辞表を提出した。その折、日達からは、長年にわたり宗門の隆盛に尽くしてきた伸一の功労をねぎらう言葉があり、法華講名誉総講頭の辞令が渡された。
 夕刻、彼は、静岡研修道場へ向かった。殉教の先師・牧口常三郎の魂を刻む道場で、二十一世紀への大飛躍を期すために、具体的に何を成すべきかを、思索しようと思ったのである。
 一つの終了は、新しい出発である。未来への大いなる飛翔のためには、確たる構想と緻密な計画が不可欠である。

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十四 を読んだ感想と決意 島幸弘

「信心指導とは、高みに立って同志を教訓することではない。リーダー自らが一個の人間として、決意と情熱と行動をもって進むべき道を指し示し、共感をもたらしていく生命の触発作業にほかならない。」

自身の広布にかける思い、地域広布は自分自身が情熱的に実践し行動するしかない!座して指揮を取る事ではないのだ。自ら戒めて行こう!他者への言葉ではなく自ら動けばよいのだ。自分自身の決意を表し、その決意のまま行動していく!今日も家庭訪問を19時から始める。

小説「新・人間革命」〉 大山 五十二を読んだ感想と決意 島幸弘

201734104344.png

山本伸一の言葉には、次第に熱がこもっていった。
「広布の旅路には、さまざまな出来事がある。変遷もある。幹部の交代だって当然あります。そんなことに一喜一憂するのではなく、ひたすら広宣流布に邁進していくんです。それが学会精神ではないですか!  
『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』(御書一六一八ページ)との、日興上人の御遺誡通りに進んでいこうではありませんか。
私は私の立場で、一個の人間として、全精魂を尽くして広宣流布を推進していきます。皆さんも一個の人間としての使命を自覚し、一人立ってください。何があろうが広宣流布に生き抜いていこうという決心が大事です。組織というのは、人びとを成仏へ、幸福境涯へと導いていくための手段であり、組織の機構や役職自体に功徳があるわけではない。組織は大切だが、人間に例えれば骨格といえます。その組織にあって懸命に広布のため、友のために活動に励んでこそ、そこに温かい人間の血が通い、皆が歓喜につつまれ、自身も偉大なる功徳を受けることができる。
 したがって、幹部は、組織の上に安住したり、官僚化するようなことがあっては絶対にならない。どこまでも、会員のため、広宣流布のために、異体同心で助け合い、潤いのある、安心できる組織の運営をお願いしたい。
何があろうが、御本尊の功徳は絶対です。ゆえに、不変の信心で進むことです。決して感傷的になってはいけません。
ともかく、幸せになってください。ご自身が、ご一家が、皆が幸せになることです。それが私の願いであり、祈りです。そのために日蓮大聖人から、“立派な信心であった。良き弟子であった”と賞讃される、悔いなき前進の日々であってください」
 伸一は、心からの思いを訴えた。
 彼は、皆が“一人立つ信心”の勇者であってほしかった。それこそが、自身の幸福を開き、広宣流布を開く根源の力となるからだ。

小説「新・人間革命」〉 大山 五十二を読んだ感想と決意 島幸弘
 
組織は手段であり幹部が安住したり官僚化してはならない!どこまでも会員の幸福のため、その一点で創価学会も私たち一会員も池田先生のご指導を実践していきたいものである。昨夜は担当の地区唱題会と協議会を開催、初めに題目を20分、地区部長からの簡単な挨拶後に、新・人間革命を白百合長さん二人が拝読し、感想をみんなで言ったのちに、今月の座談会の内容について協議、毎月体験発表を式次第に入れているこの地区の毎回のメインディッシュはやはり体験談、地区部長から白百合長さんに「00さんいかがですか?」と軽く言うと「ハイ!」と軽快に承諾。参加者全員が「素晴らし~」と感動。信心は素直にハイ!で行きたいですよね。この地区は地区部長、地区婦人部長、創価長、白百合長さんがとても良く家庭訪問を行っているので、各人の信心や生活状況を把握しているのです。この地区に担当になり5年が過ぎました。毎年延長を希望し協議会・唱題会・座談会を改善・人材の育成も年月をかけて皆さんと一緒に水かさをあげて行った結果です。支部では壮年・男子の先駆の日は102回を数え、担当地区、そして新たに現支部長と一緒に火曜日・木曜日の支部内、壮年・男子の家庭訪問+支部員さんが絶対的幸福境涯を得るための題目闘争を開始しました!
 
池田先生のご指導をどのように自分自身が実践できるか?始めたら継続しながら改善していく!その日々は地域広布の歴史・伝統になっていけば人材も育ち4者も揃い益々信心が活性化し個人の信心即生活が円滑になると行動しています!

〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十一を読んだ感想と決意 島幸弘

2017338257.png

本部幹部会で山本伸一は、新会長の十条潔の登壇に先立ってあいさつした。マイクに向かうと、皆、緊張した面持ちで凝視した。
「そんな怖い顔で睨みつけないで。新会長誕生のお祝いなんだから。それに、私も十九年間、会長として頑張ってきたんですから、笑顔を浮かべて、『お疲れさまでした』ぐらい言ってくれてもいいんじゃないの」
彼のユーモアに大爆笑が広がった。会場の重たかった空気は、一瞬にして軽くなった。
伸一は言葉をついだ。
「『七つの鐘』――ここには、戸田第二代会長の、広宣流布への強い、強い決意が込められていた。それは、この終了までに、広宣流布の大いなる世界的展開の基礎をつくっておきたいということであった。その『七つの鐘』の総仕上げを、御本尊の御力と全同志の健気なる努力によって成し遂げることができました。この席をお借りして全会員の皆様に心から感謝申し上げます。
一人の指導者がいつまでも指揮を執っていることは、永続性を維持していくうえで、どうしても改めていかなければならない。その意味から、未来を展望し、今回の新たな出発となった次第であります。
十条新会長は、私よりも少し年上です。年齢の下の人にバトンタッチする方が自然かもしれませんが、学会の組織は大きい。したがって分別盛りで、学会の草創期から共に苦労して歴史を築いてきた人が会長に選出され、大変に嬉しく、安心いたしております。
新会長は、非常に几帳面で責任感が強く、公平であり、体も人一倍頑健です。
一方、森川新理事長は、私や十条新会長の先輩でもあり、一緒に戸田先生の後継を担ってきた一人です。あまり目立たなかったが、信心の姿勢は抜きん出ています。
どうか、新会長、新理事長を中心に、異体同心の信心で大いなる奮闘をお願いします」
大聖人は「異体同心なれば万事を成じ」(御書一四六三ページ)と記されている。この御文にこそ広宣流布実現の要諦がある。

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十一を読んだ感想と決意 島幸弘

昨夜はここ何日間か支部長と相談して地元南三和支部の地域広宣流布への新たな戦いとして、火曜日、木曜日の午後7時から二人で集合してお題目をあげて家庭訪問へ出発、終了後お題目を上げる。このお題目お祈りは「支部員全員が絶対的幸福境涯を得られますように!」だ。まずは決意した二人が今までの先輩、地区部長、創価長、先駆出席者、そして未活動の方々に仏の使いをしっかりと実践して行く。昨夜もは3軒、家庭訪問は学ぶことが新鮮でうれしい!お題目もスルスルっと上がる上がる!生涯青年部の一人としてすっきりさわやかに行こう!

これが新しい南三和支部の出発式であった。自らの人間革命が今、新・人間革命となったのである。