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2016年5月21日 AM 06:39

情熱店長ブログ

〈小説「新・人間革命」〉 力走 四十九を読んだ感想 島 幸弘

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伸一は、丁重にあいさつした。
 「多大なご尽力をいただき、大変にありがとうございます。四郎さんとおっしゃるんですね。いいお名前です。熱原の三烈士の神四郎を思わせます。昭和の神四郎となって、地域の同志を守り抜いてください」
 天宮は、瞳を輝かせて「はい!」と答え、伸一が差し出した手を握り締めた。小柄ではあるが、気骨を感じさせる壮年であった。
 彼は、研修道場のある土佐清水市の隣・幡多郡大月町で建築業を営んでいた。
 十四歳で大工の道に入った。やがて太平洋戦争が始まると、特攻隊を志願した。しかし、出撃となった時、乗り込んだ戦闘機のエンジンが不良のため、延期となった。同じことが三度も続いて、終戦を迎えた。
 戦後は、再び大工の修業を始め、やがて結婚。故郷の大月町で工務店を開いた。夢は大きく膨らみ、営業にも力を注いだ。
 努力の末に、仕事が軌道に乗ると、夜のつきあいも連日のようになり、酒量も増した。
 腹部に痛みを感じるようになった。それでも我慢しては、つきあい酒を重ねた。遂に、我慢も限界に達し、病院に駆け込んだ。腎臓病と診断された。“いよいよ、これから”という時である。描いていたバラ色の未来が、一転して暗黒に変わった。続く腹部の痛み、募る苛立ち……。それを忘れるために、さらに酒を飲んでは、妻の繁美にあたった。
 見かねた繁美の姉から入会を勧められ、藁にも縋る思いで、夫妻は信心を始めた。一九六二年(昭和三十七年)十月のことである。
 信心とは、人生のいかなる暗夜にも黎明をもたらす、希望の光源である。(聖教新聞より転載)

「人の心は常に揺れ動き留まることが無い、この信心は自分自身の変化する心の動きを良き方向へ良き方向へとコントロールできるようになる」