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〈小説「新・人間革命」〉 源流 五十五を読んだ感想と決意 島幸弘

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日蓮大聖人は、「観心本尊抄」において、地涌の菩薩は、「末法の初に出で給わざる可きか」
(御書二五四ページ)と明言され、その出現の具体的な様相について、「当に知るべし此の
四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し」(同)と述べられている。
 
地涌の菩薩が末法において「折伏」を行ずる時には、「賢王」すなわち在家の賢明なる指導者
となって、荒れ狂う激動の社会に出現するのだ。
 
「愚王を誡責」するとは、社会に君臨し、民衆を不幸にしている権威、権力の誤りを正してい
くことである。主権在民の今日では、各界の指導者をはじめ、全民衆の胸中に正法を打ち立て、
仏法の生命尊厳の哲理、慈悲の精神を根底にした社会の改革、建設に取り組むことを意味していよう。
 
つまり、立正安国の実現である。弘教という広宣流布の活動は、立正安国をもって完結する。
個人の内面の変革に始まり、現実の苦悩から人びとを解放し、幸福社会を築き上げていくことに折伏
の目的もある。
 
しかし、それは困難極まりない労作業といえよう。山本伸一は、末法の仏法流布を実現しゆく創価学会
の重大な使命を、深く、強く、自覚していた。
 
初代会長・牧口常三郎は、軍部政府が国家神道を精神の支柱にして戦争を遂行していくなかで、その誤り
を破折し、神札を祭ることを敢然と拒否して逮捕された。取り調べの場にあっても、日蓮仏法の正義を語
り説いた。まさに「愚王を誡責」して獄死し、殉教の生涯を閉じたのである。
 
また、共に軍部政府と戦い、獄中闘争を展開した第二代会長・戸田城聖は、会員七十五万世帯の大折伏を
敢行し、広宣流布の基盤をつくり、民衆による社会変革の運動を進め、立正安国への第一歩を踏み出した
のである。
 
戸田は、学会を「創価学会仏」と表現した。そこには、濁世末法に出現し、現実の社会にあって、広宣流布
即立正安国の戦いを勝ち開いていく学会の尊き大使命が示されている。

 源流 五十五を読んだ感想と決意 島幸弘

創価学会は日蓮大聖人の教義を根本に末法の現在の世の中に世界平和のために広宣流布していく団体です。個人の内面の変革から始まり、現実の苦悩から人々を開放し、幸福社会を築き上げていく事を目的に折伏。弘教を行っている団体です。

創価学会の理念は、平和・文化・教育の3点、この理念を元に現実の中で創価学会員の個々人が個人の宿命を転換しながら自他共の幸福を目指し人間革命して行く素晴らしい人生を歩んでいける。この尊き人生に巡り合えた事に最大に感謝し、自他共の折伏を実践して行こう!

〈小説「新・人間革命」〉 源流 五十四を読んだ感想と決意 島幸弘

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ガンジスの河畔には、点々と炎が上がり、その周囲に幾人もの人影が見える。故人を荼毘に付しているのだ。
灰となって“聖なるガンジス”に還る――永遠なる別離の厳粛な儀式である。
 
生と死と――永劫に生死流転する無常なる生命。しかし、その深奥に常住不変の大法を覚知した一人の聖者
がいた。釈尊である。菩提樹の下、暁の明星がきらめくなか、生命の真理を開悟した彼は、苦悩する民衆の
救済に決然と立ち上がった。
 
その胸中の泉からほとばしる清冽なる智水は、仏法の源流となってインドの大地を潤していった。釈尊の教
えは、月光のごとく心の暗夜を照らして東南アジア各地へと広がり、北は中央アジアからシルクロードを通
って、中国、韓・朝鮮半島を経て日本へと達した。
 
彼の教えの精髄は法華経として示されるが、末法の五濁の闇に釈尊の仏法が滅せんとする時、日本に日蓮大
聖人が出現。法華経に説かれた、宇宙と生命に内在する根本の法こそ、南無妙法蓮華経であることを明らか
にされた。そして、その大法を、御本仏の大生命を、末法の一切衆生のために、御本尊として御図顕された
のである。
 
「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日
蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」(御書一一二四ページ)
 
また、「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末
法二百余年の比はじめて法華弘通のはた(旌)じるしとして顕し奉るなり」(同一二四三ページ)と。
大聖人は、濁世末法にあって、地涌の菩薩の先駆けとして、ただ一人、妙法流布の戦いを起こされ、世界広
宣流布を末弟に託されている。以来七百年、創価学会が出現し、広布の大法戦が始まったのである。
 
それは、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同一三六〇ページ)と仰せのように、現代における地
涌の菩薩の出現であった。

 源流 五十四を読んだ感想と決意 島幸弘

不思議なるかな、時空を超えて仏法出現の正法時代より末法の初めに大聖人が出現され、その700年後に創価学会が出現して末法の広宣流布を担っていくという歴史の真実は壮大な生命の生じ流転の物語でもあろう。

仏法では生命は永遠であり生死は不二であると説かれ現世安穏後生善処とも御書にある。私たち全世界の広がった創価のうねりは個々人の更なる人間革命により万波といやまして広がっていくと確信する。

〈小説「新・人間革命」〉 源流 五十三を読んだ感想と決意 島幸弘

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ナラヤンは、すべての階層の人びとの向上をめざして運動を展開し、社会、経済、政治、文化、
思想等の総体革命(トータル・レボリューション)を主張してきた。山本伸一も、総体革命を
提唱・推進してきた者として、その革命の機軸はどこに定めるべきかを訴えた。
 
「私は、結局は一人ひとりの人間革命がその基本になり、そこから教育・文化など、各分野へ
の発展、変革へと広がっていくと思っています。いかなる社会にせよ、それをつくり上げてき
たのは人間です。つまり一切の根源となる人間の革命を機軸にしてこそ、総体革命もあるので
はないでしょうか」
 
「全く同感です!」と力強い声が響いた。
 二人は、死刑制度の是非などについて論じ合い、多くの点で意見の一致をみた。
 対談を終えた伸一は、夕刻、ガンジス川のほとりに立った。インド初訪問以来、十八年ぶりである。
 
対岸は遥か遠くかすみ、日没前の天空に、既に丸い月天子が白く輝いていた。空は刻一刻と闇に覆われ、
月は金色に変わり、川面に光の帯を広げていく。
 
伸一は、戸田城聖の生誕の日に、恩師が広布旅を夢見たインドの、ガンジス河畔に立っていることが不思
議な気がした。戸田と並んで月を仰いでいるように感じられた。また、広宣流布の険路をひたすら歩み続
けた一つの到達点に、今、立ったようにも思えるのだ。
 
戸田の後を継いで第三代会長に就任してからの十九年、さまざまな事態に遭遇してきた。いかにして難局
を乗り越え、新しい創価の大道を開くか、悩みに悩み、眠れぬ夜を過ごしたこともあった。疲労困憊し、
身を起こしていることさえ辛いこともあった。そんな時も、いつも戸田は彼の心にいた。そして、厳愛の
叱咤を響かせた。
 
“大難は怒濤のごとく押し寄せてくる。それが広宣流布の道だ。恐れるな。戸田の弟子ではないか! 地涌
の菩薩ではないか! おまえが広布の旗を掲げずして誰が掲げるのか! 立て! 師子ならば立て! 人間
勝利の歴史を、広布の大ドラマを創るのだ!”

 源流 五十三を読んだ感想と決意 島幸弘

世界広布の旅は、人間革命の道でもある。どんなに理想が高くても現実的に個々人の人間革命がなければ総和としての総体革命は不可能であると思います。今こそ世界新時代青年拡大の年のテーマん如く、自らが青年の気概で自分自身が人間革命していける日々でありたい!

〈小説「新・人間革命」〉 源流 五十二を読んだ感想と決意 島幸弘

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ナラヤンは、静かな口調で山本伸一に語り始めた。
「獄中では独房に入れられ、拷問に近い責めを受けたこともあります。家族とも会えず、手紙のやりとりも許されない。
手紙は外の世界とのコミュニケーションの手段として重要なのに、それが許されないのは辛かった」
その苦境が鋼のような不屈の意志を鍛え上げたのだ。日蓮大聖人は「鉄は炎打てば剣となる」(御書九五八ページ)と
仰せである。
 
老闘士は、こまやかな気配りの人であった。途中、何度も菓子を勧める。
「インドのお菓子です。わが家の手製です。召し上がってください。甘いですよ」
 
伸一が礼を述べて、語らいを続けようとすると、ナラヤンは、「あなたは、先ほどから、全然、召し上がっていませんよ」
と“抗議”する。
「いや、今はお話が大事なので。探究、学習の最中ですから」と応えると、“不屈の人”のにこやかな微笑が伸一を包んだ。
強い心の人だから、人に優しくできる。
 
伸一は、信条について尋ねた。
「時代のなかで変わっていきましたが、今は、ガンジーの思想が私の信条です。それは釈尊の教えにも通じます。その思想とは、
ズボンは膝までの半ズボンで、上は何も着ない、半裸のガンジーの姿に象徴されるように、“裸の思想”ともいうべきものです」
 
 “裸の思想”――その意味するところは深いと伸一は思った。イデオロギーで武装し、人間を締めつける甲冑のような思想で
はない。人間の現実を離れた観念の理論の衣でもない。ありのままの人間を見すえ、現実の貧しさ、不幸から、いかにして民衆
を解放するかに悩みながら、民衆と共に歩み、同苦するなかで培われた思想といえよう。
 
その思想の眼から、ナラヤンは、インド社会が直面する主要な問題は「カースト制度」の弊害であると指摘する。そして人間と
人間を生まれで差別し、疎外し合うこの制度が、仏陀の国に、いまだ根強く残っているのは悲しいことであると、憂えの色をにじませた。

 源流 五十二を読んだ感想と決意 島幸弘

思想が集まり権力と迎合し政治を利用すると、法としての制度化がはじまる。一部の権力者階級が最も好む仕組みの一つでもある。ささやかな庶民の平和で安心の暮らしこそが自由平等の世の中の価値観であり、本来の人間主義に通じて行くものと思う。しかして我々庶民こそもっと賢く政治を監視し、平和楽土建設のためにも自身の人間革命は必要であると確信する!

〈小説「新・人間革命」〉 源流 五十一を読んだ感想と決意 島幸弘

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山本伸一は、「人類の平和のために、ナラヤン先生の思想をお聞きし、世界に紹介したいと思って
やってまいりました」と会見の趣旨を伝えた。
「私の思想など、決してそのような大それたものではありません。私が信じているのは永遠にわた
る真理を説いた釈尊の思想です」この言葉には、インドに脈打つ精神の源流とは何かが、明確に示
されていた。
 
ナラヤンは、彼が師と仰ぐマハトマ・ガンジーとは「亡くなった妻を通して知り合いました」と言う。
「この建物は、その妻が建てたもので、ここを使って、女性が社会福祉のために貢献できるように教育
を行っております。また、子どもの育成のために、幼稚園としても使っています。できる限り、妻の遺
志を継ぐように努力しているんです」
 
会談場所を仕切るカーテンも粗末なものであった。まさに可能な限り、すべてを民衆に、社会に捧げて
いるのだ。
信念が本物かどうかは、身近なところに、私生活にこそ、如実に表れるものだ。
彼は、何度となく獄中生活を過ごしている。伸一は、今日が自分の恩師である戸田城聖の誕生日にあた
ることを伝え、創価学会の初代会長・牧口常三郎は軍部政府の弾圧によって獄死し、第二代会長の戸田
も、二年間、投獄されたことを述べた。そしてナラヤンに、獄中で得たものは何かを尋ねた。
 
彼は、じっと伸一を見詰め、口を開いた。
「私は、あなたが、そういう目に遭わないことを望みます」
「ありがたいお言葉です。私も短期間でしたが、無実の罪で投獄されました」
 氏は頷き、机の上に置いてあった本を手にした。本のタイトルは『獄中記』。氏が獄中体験を綴った
手記だ。初版は秘密出版され、後に日の目を見た本である。そこに署名し、インド人の著名なジャーナ
リストが書いたという自身の伝記とともに伸一に贈った。そのなかに質問の回答があるのであろう。

源流 五十一を読んだ感想と決意 島幸弘

うそか誠か?その人の行動をしばらく静観すればよくわかるものである。何を言ったかではなく、どのような行動をとったか?その人の人間性、信念がわかるものである。表と裏のある人、言っている事とやっていることが違う人はたくさんいる。しかし有言実行の人は稀である。自分の信念に生きたければ自分自身の行動にきおつけていきたいものだ。凡夫の生命は都合よいように解釈する傾向があるものだ、こころして日々生きたいものだ。

〈小説「新・人間革命」〉 源流 五十を読んだ感想と決意 島幸弘

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パトナは、その昔、「花の都」(パータリプトラ)と讃えられた街である。
緑が多く、道を行くと、車に交じって、鈴の音を響かせながら闊歩する牛車の姿も見られ、のどかな風景が広がっていた。
午後四時前、山本伸一は、ジャイプラカシ・ナラヤンの自宅を訪ねた。ナラヤンは、マハトマ・ガンジーの弟子であり、
“インドの良心”として、民衆から敬愛されているインドの精神的指導者である。
 
土壁の家が立ち並ぶ路地裏の入り組んだ道を車で進み、白い石造りの家に着いた。思いのほか質素な建物であった。
ナラヤンは、銀縁のメガネの奥に柔和な眼差しを浮かべ、初対面の伸一を歓迎し、黄色い花のレイを、手ずから首にかけてくれた。
彼の茶色のガウンからマフラーが覗いていた。体を冷やさぬよう気遣っているのであろう。既に七十六歳の高齢であり、健康が優れ
ぬため、週に何度か病院に通い、自宅で静養していると聞いていた。それにもかかわらず、丁重に出迎え、会談の時間を取ってくれ
た真心に、伸一は深い感動を覚えた。
 
ナラヤンは、高校時代に国民革命の理想に燃え、非暴力・不服従運動に参加する。やがてアメリカに渡り、そこで、マルクスの革命
思想に傾斜していく。急進的な社会改革に心を動かされ、ガンジーの非暴力の闘争を否定し、武力革命を肯定した時代もあった。
しかし、ガンジーの高弟・ビノバ・バーベに触発され、再び非暴力革命の道をめざすようになる。紆余曲折を経て、ガンジーの懐に
帰ってきたのだ。“良心”の大地ともいうべきガンジーの思想は、ナラヤンの“良心”の樹木を蘇生させていったのである。
 
ガンジー亡きあと、彼は、師の思想を受け継ぎ、すべての階層の人びとの向上をめざす「サルボダヤ運動」を展開していった。
どんなに豊かそうに見えても、その陰で虐げられ、飢え、苦しむ人のいる社会の繁栄は虚構にすぎない。皆が等しく幸せを享受して
こそ、本当の繁栄といえよう。

 源流 五十を読んだ感想と決意 島幸弘

ガンジーの弟子であるナラヤン、そのナラヤンも青年期に様々な思想に感化されたが、最終的に師でるガンジーに戻ってきました。自分自身の心が定まらず個人の思想が定まらない限り、人は不変的に心が揺れ、そしてどこかよそに自分自身の幸福があると錯覚する。ちょうど青い鳥の物語のようなもの、しっかりと自分自身の個の命に向かうきっかけを作れば、自然に心が定まり本来の自分の心の確信がつかめることになる。創価学会の信心は、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経のご本尊様に向かいお題目を唱える行動によって、自分自身の命の無限の可能性を信じ行じて自分自身の本来望む人生へと進化していくのある。この素晴らしい自己実現の信心を一人でも多くの方にお伝えしていきたい!

第99回南三和支部先駆の日 開催しました!

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古河県古河友光ゾーン三和南本部南三和支部の月一回の壮年・男子の体験と大白蓮華の池田先生の御書講義の勉強会が行われました。

池田先生の「希望の経典御書に学ぶ」「勝利の経典御書に学ぶ」「世界を照らす太陽の仏法」を参加者全員で自身の体験を踏まえて学んでいます。

先駆の日98・99・100回と信心の根本「信・行・学」を池田先生から学べる不思議さに、驚きと感動でいっぱいです。

高齢化も進み、100回までがんばるっていていた亡くなった壮年部もいます。80回の時には43名の方々が参加しましたが100回記念では母数も少

なくなっています。各地区部長と男子部部長と共に100回記念の広布の歴史をしかりと造り上げ、地域広布を着実にして行く黄金柱でありたい!

 

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日蓮仏法は、徹頭徹尾「人間のための宗教である」どこまでも眼前の一人を救い、幸福にして行く実践です・人を救うという実践があるかないか?この一点が「人間のための宗教か、手段化するかの分かれ目」である。
その意味で「菩薩行」こそ21世紀の宗教」の行方を決定ずけるキーワードである
信じているだけの「信者」
学んでいるだけの「学者」
他者のために行動に打って出る「行者」でなければ仏法はわからない。
菩薩行①自行ー自分が功徳を受けるためのの修行:勤行・唱題
②化他行ー他人に功徳を受けさせるために仏法を教える実践:折伏・弘教。広宣流布のための様々な活動は全部、化他の修行となります。
一念の変革 日蓮仏法においては「我が一念の変革」こそが重要であると明かされている。仏とは「覚り」であり、衆生とは「迷い」の違いにすぎない
この「迷い」の生命を、そのまま「覚り」の生命に変革する方途が唱題行です。日々の勤行・唱題で自身の生命を磨き、境涯を革命して行けるのです。

 

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衆生所遊楽 どんなに厳しい苦難があっても、唱題によって胸中の仏界を力強く涌現して行けば、 断じて負けない、師子吼の題目の力ですべてを勝ち越え、人生を「遊楽」できる
宿命に泣く悲哀の人生も、人々を励ます使命の人生へと転じることができる。
仏法対話:私たちが友人知人に語る信心の話は自分の体験を話せばよい、下種仏法の活動はすぐに結果が出る場合とそうでない場合がある。大事なのは相手が信心してもしなくても、誠実に堂々と仏法を語り抜く事です。相手の生命に植えた仏の種は、必ず大きく育っていくのです。
広宣流布に生き抜く人こそが、本当の大聖人の弟子であり、信心の継承者となります。
大願とは法華弘通なり(御義口伝)それは地涌の菩薩の「誓願」とも一体です。
 
牧口先生は「仏法は生活法」であると言われました。私たちの「生」を最大に「活かす」「法」です。人生の道に迷い、苦悩に沈む友に、生きる意味を見いだせない人に、対話で希望と蘇生の光を送り「生命の意義」を共々に高め合っていく事により、人類の境涯革命を進める実践になります。
私たちは「広宣流布の大願」をして行く実践の中で題目を上げ、自らの仏の力を涌出し自身のどんな悩みも変毒為薬し、宿命を使命へと転じていけることができます。

 

〈池田SGI会長 四季の励まし〉 挑戦し続ける人が勝利者 (聖教新聞より)

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「開拓」とは、自分自身への挑戦だ。
 人は、誰でも
 未踏の原野をもっている。
 それも、どこか遠い彼方ではなく、
 ごく身近にあるものだ。
 
 最も手強い壁は、
 実は心の中にある。
 ゆえに、勇気をもって
 自分と向き合い、
 
 「自己拡大の戦い」
 「人間革命の戦い」を起こすことだ!
 「汝自身の原野」に雄々しく挑め!
 
 その人こそ、
 最も勇敢なる開拓者である。
  
 自分が太陽になることである。
 太陽が一人いれば、
 家庭も地域も、皆が照らされる。
 
 皆が温められる。
 広布のために
 動きに動く行動の果てに、
 生命は太陽と輝くのである。
  
 勝利を誇る姿――それも美しい。
 しかし、それ以上に美しく、
 気高いのは“さあ、戦うぞ!”
 “いよいよ、これからだ”という、
 挑戦の姿であろう。
 
 尊いのは、「戦う」一念である。
 ある意味で、勝っても負けても、
 「戦う」こと自体が偉いのである。
 
 何があろうと「戦い続ける」人は、
 すでに人間として
 「勝っている」といえる。
  
 “もう駄目だ”と思うような時に、
 御書を開き、学会指導を学び、
 また同志の励ましを受けて、
 あらためて
 「信」を奮い起こしていくことだ。
 
 御本尊に向かって
 真剣に唱題行を貫いていけば、
 必ず、わが胸中から変革が始まる。
 
 自身の仏性が開かれて、
 歓喜と確信が込み上げ、
 挑戦する勇気が湧いてくる。
 
 そこに絶対勝利への
 仏の無限の智慧と力が現れるのだ。
 
 彼方へ続く緑の地平。大空を舞う鳥たち。1992年(平成4年)2月、池田SGI(創価学会インタナショナル)
会長がインドのニューデリーでカメラに収めた。この訪印の折、SGI会長はインドの友に詩を贈った。
「人間を忘れて信仰はない/ゆえに智慧を磨き 人格を磨き/社会に人間性の枝葉を茂らせていこう/その着実にして
/確実な前進のなかにこそ/希望の明日が開かれていく」
 
 悠久の大地に蒔かれた妙法の種子は今、見事な大樹と育ち、豊かな“人材の森”が広がる。
 広宣流布の旅路に、「もう、これでよい」という終わりはない。絶えず挑戦し続ける人にこそ、勝利と栄光は輝く。
さあ、創立の月・11月へ、自分自身の“未踏の原野”を勇敢に切り開いていこう。
 

 

〈小説「新・人間革命」〉 源流 四十九を読んだ感想と決意 島幸弘

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二月十一日――恩師・戸田城聖の生誕の日である。戸田が存命ならば七十九歳になる。
 山本伸一は今、その師に代わって平和旅を続け、師が最も広宣流布を願った仏教発祥の地・インドで、紺青の空を仰いでいることに、深い感慨を覚えた。
 
 伸一は、“戸田先生には、長生きをしていただきたかった……”と、しみじみと思う。
 しかし、命には限りがある。“だから、先生は不二の弟子として私を残されたのだ。先生に代わって、生きて生きて生き抜いて、東洋広布を、世界広布を進めるのだ!”と、
 彼は、何度も自分に言い聞かせてきた。
 伸一は、弟子の道に徹し抜いてきたことへの強い自負があった。この晴れ渡る空のように、心には一点の後悔もなかった。師子の闘魂が、太陽のごとく燃え輝いていた。
 
 この日の朝、伸一たち訪印団一行は、ニューデリーから、空路、ビハール州の州都・パトナへと向かった。
 彼方に、白雪をいだき、光り輝くヒマラヤの峰々を眺めながらの旅であった。
 
 午前十一時過ぎ、パトナの空港に到着した一行を、パトナのR・N・シンハ行政長官をはじめ、先に来ていた「インド文化研究会」の友らが出迎えた。
 そのなかに、長身のインド人青年の姿があった。彼はメンバーで、この日の朝、地元の新聞を見て、伸一のパトナ訪問を知った。そして、自宅の庭に生えていたバラで花束を作り、空港に駆けつけてきたのである。
 
 青年が花束を差し出すと、伸一は、「ありがとう! 感謝します」と言って固い握手を交わし、しばらく語り合った。彼は、家族のなかで、自分だけが入会しているという。
 伸一は、同行していたインド駐在の日本人会員に面倒をみるように頼み、青年に言った。
 
 「最初は、すべて一人から始まります。あなたには信心に励んで、幸せになり、パトナに仏法を弘めていく使命があるんです」
 
 眼前の一人に魂を注いで励ます。そこから、広宣流布の道が開かれる

 源流 四十九を読んだ感想と決意 島幸弘

東洋広布と叫ばれた戸田先生、そしてその師弟の思いを体現され世界広布を実現された池田先生、世界の指導者と会見・会談・書籍の刊行されています。目の前の一人の人から世界の指導者まで池田先生は何処までも一人を大切に慈折広布の戦いに私も弟子の一分として陣列に加わり地域広布即世界広布の思いで戦いきってまいります!

〈小説「新・人間革命」〉 源流 四十八を読んだ感想と決意 島幸弘

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訪印団一行の歓迎宴が一段落したころ、ゴエンカ会長はいたく恐縮した表情で、山本伸一に伝えた。
「誠に申し訳ありませんが、孫娘の結婚披露宴にまいりますので、一足お先に失礼させていただきます」
 
明日が愛する孫娘の結婚披露宴であり、夜行列車で式典会場に向かったのである。人づてに聞いた話では、
インドの結婚式は盛大で、披露宴の一週間ほど前から祝いの催しが始まるという。そのなかを、披露宴前日
の夜まで時間をとって歓迎してくれたのだ。
 
伸一は、会長の“人間”に触れた思いがした。信義には信義で応えたいと強く思った。
インドには、悠久の歴史がある。
 
十日午後、伸一たちは、ニューデリーのジャンパット通りにあるインド国立博物館を訪問した。
石器時代に始まり、インダス文明の都市遺跡であるハラッパーとモヘンジョダロの発掘物、マウリヤ朝のアシ
ョーカ王やクシャン朝のカニシカ王、グプタ朝などの各時代の文化遺産が展示されていた。
 
彫刻、絵画、コイン、武具、織物、宝石、伝統芸術作品など、どれも貴重な品々である。
館内を見学した伸一は、館長のM・R・バナルジ博士と会談した。長年、考古学の研究に携わり、多くの文化
遺跡の発掘作業を行ってきた館長は、目を細めて語った。
 
「発掘をしていて最も嬉しかったことは、過去にインドで鉄器が製造されていたことがわかり、インドの鉄器
時代が明らかになったことです」
発掘作業は、根気と忍耐の作業である。しかし、この作業を通して人類の歴史が一つ一つ解明されていく。
 
戸田城聖は、よく「人材を発掘せよ」と語った。それもまた、家庭訪問を重ね、対話を積み重ねていく、まこと
に地道な忍耐の作業である。だが、人材という宝の発掘こそが、広宣流布の未来を開く黄金の光となる。

 源流 四十八を読んだ感想と決意 島幸弘

世界四大文明、エジプト・インダス・メソポタミア・黄河(順不同)、今回はインダス文明のことに触れていますが、せっかくの文明もすべて継続していた例はなく必ず衰亡の途をについている。人間同士が賢く話し合いができれば世の中も変わっていたであろうと思うと、今も昔(古代)も同じ人間のせめぎあいは変わらず、世界の紛争は今だ癒えていない、その事を考えると人間ほど残酷なものはないとの印象にもなりかねない。真の平和を求める庶民の声を糾合していかねばならない。そのために池田先生は創価一貫教育を設立し世界平和に有用な人材育成をされていました。私たち創価学会員は社会での経験をもとに日蓮大聖人の仏法を学び、自分自身の存在・環境への影響を考える時、自らが世界平和の人材となるべく日々学び成長していきたいものである。