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〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十五を読んだ感想 島 幸弘

〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十五 の挿絵

日蓮大聖人は、「忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり」(御書一三八二ページ)と仰せである。さらに、同志の怨嫉は、破和合僧となり、仏意仏勅の団体である創価学会の組織に亀裂を生じさせ、広宣流布を内部から破壊する魔の働きとなる。山本伸一は、愛する同志を、決して不幸になどさせたくなかった。ゆえに、厳しく怨嫉を戒めておきたかったのである。「学会のリーダーは、人格、見識、指導力等々も優れ、誰からも尊敬、信頼される人になるべきであり、皆、そのために努力するのは当然です。
 しかし、互いに凡夫であり、人間革命途上であるがゆえに、丁寧さに欠けるものの言い方をする人や、配慮不足の幹部もいるでしょう。いやな思いをさせられることもあるかもしれない。そうであっても、恨んだり、憎んだりするならば、怨嫉になってしまう。“どう見ても、これはおかしい”と思うことがあれば、率直に意見を言うべきですし、最高幹部にも相談してください。もし、幹部に不正等の問題があれば、学会として厳格に対処していきます。また、リーダーの短所が災いして、皆が団結できず、活動が停滞しているような場合には、その事態を打開するために、自分に何ができるのかを考えていくんです。他人事のように思ったり、リーダーを批判したりするのではなく、応援していくんです。それが『己心の内』に法を求める仏法者の生き方です。末法という濁世にあって、未完成な人間同士が広宣流布を進めていくんですから、意見の対立による感情のぶつかり合いもあるでしょう。でも、人間の海で荒波に揉まれてこそ、人間革命できる。人間関係で悩む時こそ、自分を成長させる好機ととらえ、真剣に唱題し、すべてを前進の燃料に変えていってください。何があっても、滝のごとく清らかな、勢いのある信心を貫いていくんです。

「凡夫であるがゆえにこの信心、創価学会の組織によってあらゆる機会で人間革命できる。怨嫉はしない!」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

九州の母は負けない 熊本・益城の婦人部の友(聖教新聞より転載させて頂きました)

九州の母は負けない 熊本・益城の婦人部の友

熊本・大分を襲った一連の地震は、最初の揺れの発生から、きょうで1週間を迎えた。断続する余震、長期化する避難生活に、被災者の心身の疲労は増すばかりだ。20日には、登坂九州婦人部長が熊本西文化会館(熊本市西区)へ。避難している婦人部の友に寄り添い、声に耳を傾け、復興を誓い合った。震度7の激震に見舞われた熊本・益城町にも、不屈の創価の母たちがいる。益城婦人部の友を追った。田上好恵さん(益城本部、婦人部本部長)は、居ても立ってもいられず、急いで車に飛び乗った。20日午前10時。車内には、この日付の本紙の束が置かれている。「早く、池田先生の心を皆に伝えなきゃ」田上さん自身も被災者である。自宅は激しい揺れで“くの字”に曲がった。現在、益城町保健福祉センターに避難している。聖教新聞は、災害対策本部が置かれる熊本平和会館の予備分を、同志が届けてくれた。1面と3面に池田SGI(創価学会インタナショナル)会長の随筆が掲載されていた。「自分も負けない。決して屈しない。とともに、苦しんでいる人を絶対に置き去りにしない。手を取り合い、支え合って、断固と乗り越えてみせる――この最も強く温かな心を燃え上がらせ、進んでくれているのが、愛する九州家族です」と。 震災直後から、電話やメールで同志の安否確認を続けてきた田上さん。「絶対に置き去りにしない」との師の言葉が生命を揺さぶる。“そうだ! 私たちも……”最初に訪れた先は池﨑智子さん(益城常勝支部、支部婦人部長)の自宅。外からは一見、無事のようだが、中はあまりの惨状で「現実と思えない」と、池﨑さん。菊陽町内で車中泊を続けながら、自宅の片付けに通っている。随筆を読むと、自らに言い聞かせるようにつぶやいた。「前を向かなきゃね。少しずつ、少しずつ……」続いて避難所の駐車場で、車中生活を続ける木山支部の澤村嘉代子さん(支部婦人部長)のもとへ。同じく避難中の支部の同志、松本美知子さん(白ゆり長)も居合わせ、共に聖教新聞を広げた。澤村さんの目に飛び込んできたのは、随筆に掲載された一枚の写真。35年前、阿蘇の“白菊講堂”に師を迎えた時の模様だ。実はこの場に「私もいたんです」。終了後、師と記念撮影をした一葉は今も保管してある。「あの日、初めて先生にお会いして、誓ったんです」。自分に負けず、苦難に負けず、人に尽くす人生を――と。澤村さんは、ぎゅっと唇をかみしめた。被災者の置かれている状況は、一人一人違う。時が経つにつれ、先行きの見えない不安や、大切なものを失った悲しみがあふれてくる人もいるだろう。田上さんも将来のことを考えると胸が詰まる。「けど、先生が、同志がおるけんね!」。不屈の創価家族がいる限り、九州の母は断じて負けない。

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十四を読んだ感想 島 幸弘

〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十四の挿絵

山本伸一は、さらに「一生成仏抄」の「仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり、若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し」(御書三八三ページ)の御文に即しながら話を進めた。「自分の生命を磨き、わが胸中の仏性を涌現する以外に、崩れることのない絶対的幸福境涯を確立する道はないんです。しかし、自らが妙法蓮華経の当体であると信じられなければ、本当の意味での自信がもてず、自分の心の外に幸せになる道を求めてしまう。すると、どうなるか。周囲の評価や状況に振り回されて、一喜一憂してしまう。たとえば、社会的な地位や立場、経済力、性格、容姿など、すべて、人と比べるようになる。そして、わずかでも自分の方が勝っていると思うと優越感をいだき、自己を客観視することなく、過剰に高いプライドをもつ。ところが、自分が劣っていると思うと、落胆し、卑屈になったり、無気力になってしまったりする。さらに、人の評価を強く意識するあまり、周りのささいな言動で、いたく傷つき、“こんなに酷いことを言われた”“あの人は私を認めていない”“全く慈悲がない”などと憎み、恨むことになる。また、策に走って歓心を買うことに躍起となる人もいる。
実は、怨嫉を生む根本には、せっかく信心をしていながら、わが身が宝塔であり、仏であることが信じられず、心の外に幸福を追っているという、生命の迷いがある。そこに、魔が付け込むんです。皆さん一人ひとりが、燦然たる最高の仏です。かけがえのない大使命の人です。人と比べるのではなく、自分を大事にし、ありのままの自分を磨いていけばいいんです。
また、自分が仏であるように、周囲の人もかけがえのない仏です。だから、同志を最高に敬い、大事にするんです。それが、創価学会の団結の極意なんです」

「信心していていちばん大切な事、それは自分自身が仏であるとの確信である。仏だと信じられない元品の無明との闘いこそが凡夫の宿命でもある。素直な心で自分と他者との仏性を信じ貫く人生でありたい」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

御聖訓「妙とは蘇生の義なり」― 不撓不屈の大九州たれ!池田先生の随筆より掲載

御聖訓「妙とは蘇生の義なり」― 不撓不屈の大九州たれ!聖教新聞より

このたび九州の熊本県、大分県で起こった大地震により、被災された全ての皆様に、心よりお見舞い申し上げます。熊本地方、阿蘇地方、そして大分県……打ち続く地震に、眠れぬ夜を過ごされている方々を案じ、胸をかきむしられる思いです。また、南米エクアドルでも大きな地震があり、心を痛めております。日蓮大聖人は、「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書三一ページ)と、「立正安国」の根本の祈りを示してくださいました。甚大な災難が、突然、人びとの絆を断ち切るが如く襲いかかる時、その試練をはね返すものは、我ら民衆の、何があっても共に守り合い、生き抜いていくという誓いであり、祈りではないでしょうか。 自分も負けない。決して屈しない。とともに、苦しんでいる人を絶対に置き去りにしない。手を取り合い、支え合って、断固と乗り越えてみせる――この最も強く温かな心を燃え上がらせ、進んでくれているのが、愛する九州家族です。御聖訓には、「真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」(同一一七〇ページ)と、厳然と仰せであります。色心を苦しめる、いかなる難にも怯まず、一つ一つ必ず打開していく原動力が、妙法の信心です。「妙とは蘇生の義なり」(同九四七ページ)です。不退の負けじ魂で、蘇生の希望の光を広げゆかれる同志に、私も、日々、懸命に題目を送っております。苦難に遭遇した時に、「師子王の心」を取り出し、最大の生命の底力を発揮して、一切の艱難の山を登り切ってみせる。これが日蓮仏法の極意であり、創価の師弟の誇りです。
わが熊本の同志よ!
わが大分の同志よ!
世界一の勇気と同志愛で先駆する、わが大九州の勇者たちよ!
断じて、負けるな!
今こそ不撓不屈たれ!
「未来までの・ものがたり(物語)なに事か・これにすぎ候べき」(同一〇八六ページ)と謳われゆく「異体同心」と「変毒為薬」の凱歌の歴史を頼みます。(聖教新聞より抜粋させて頂きました)

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十三を読んだ感想 島 幸弘

聖教新聞〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十三の挿絵

今日は、皆が和気あいあいと広宣流布を進め、功徳を受けきっていくうえで、大きな障害となる怨嫉という問題について、未来のために語っておきたい。信心をしていても、同志を嫉妬し、恨んだり、憎んだりするような心があれば、功徳も、福運も積めないし、喜びも、感激も、生命の躍動もありません。そうなれば、表面的に、いくら取り繕っていたとしても、その人の実像は不幸です。そんな事態にならないために、何が大事か。学会の世界は、信心の世界です。信心から出発し、信心で終わる。すべてを信心の眼でとらえていくことが肝要なんです。では、信心とは何か。万物の一切が、わが生命に、己心に収まっており、自分自身が妙法蓮華経の当体であり、仏であるとの絶対の確信に立つことです。大聖人は『都て一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず』(御書三八三ページ)と仰せです。
 “自分の胸中に仏の大生命が具わっていることを信じて、ひたすら唱題し、自分を磨いていきなさい。それ以外に人生の苦しみ、迷いから離れることはできない”というのが、大聖人の教えなんです。皆さんが、本来、仏なんですよ。その自分を信じ抜くんです。他人と比べ、一喜一憂する必要はありません」

「怨嫉という己心の魔に紛動されないように、題目根本に自身を磨いていこう」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十二を読んだ感想 島 幸弘

〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十二の挿絵

高等部員にも声をかけた。「頑張って、創価大学に来てね。二十一世紀のリーダーを育てるために創立した大学です。世界の未来は、君たちに託すしかない。皆さんは、大切な使命の人です。だから、しっかり勉強して、社会的にも存分に力を発揮できる人になってください。若い時には、うんと苦労して、努力することが大事です。それが、生き方の土台になる。青春時代に苦労を避けていれば、しっかりとした土台は築けず、堅牢な人生の建物を造ることはできないよ」そこに、高校三年生になる高丘の長女の寿子が、学校から帰ってきた。峯子が、微笑みながら声をかけた。「お帰りなさい!」既に就職が決まったという寿子に、伸一は「立派な女子部のリーダーに」と励ました。それから、色紙に「高丘桜」「母桜」などと揮毫して、集っていたメンバーに贈った。伸一が帰ろうとすると、小さな子どもを背負った婦人と玄関で顔を合わせた。彼が高丘宅にいると聞いて、駆けつけてきたのだ。「では、一緒に写真を撮りましょう」さらに、一人ひとりと握手を交わした。瞬間、瞬間、出会った友のために何ができるかを考え、全力で行動した。人間は、励ましによって育っていく。そして、人を励ます作業とは、生命を、知恵を、力を振り絞って、相手の心の扉を開き、深く分け入り、発心のための養分を注ぎ込む真剣勝負の対話といえよう

「自分自身の瞬間の命の中にすべての原因があり、即結果と現れる、人生は自分自身の境涯との戦いでもある」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十一を読んだ感想 島 幸弘

聖教新聞新・人間革命の挿絵

「それはすごいね。病を治す根本の力は、自身の生命力なんです。その手助けとなるのが医学の力です。信心根本に、どこまでも生命を磨き、鍛えていくことが大事なんです」伸一は、合唱祭の次の日も高丘と会った。「今こそ、唱題し抜いて、病を見事に乗り越え、信心への大確信をつかむ時です。そして、仏法の偉大さを証明するんです。それがあなたの使命です。信心は、どれだけ困難を乗り越え、功徳の体験を積んできたかが大切です。それが確信につながっていくからです。。今度、お会いする時には、もっと、もっと元気になってください。

「信仰の力は生命力を根源的にパワーアップさせ自然治癒力を最大化させる!」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

 

世界広布新時代第17回本部幹部会への池田SGI会長のメッセージ(聖教新聞より抜粋を掲載)

世界広布新時代第17回本部幹部会への池田SGI会長のメッセージ

さあ新たな一歩前進を共々に! 「地涌の菩薩」の誇りに奮い立て!
御聖訓「わざはひも転じて幸となるべし」
何があっても絶対に負けない 我ら創価の人生は不屈なり!

 輝き光る我らの5月3日を、全世界の創価家族と、希望に燃えて飾ることができました。わが誉れの同志の皆さん、誠におめでとう!思えば、恩師・戸田城聖先生が第2代会長に就任されたのは、1951年の5月3日。まさしく、20世紀の折り返し点であり、人類史の大いなる分岐点でありました。その時に先生は、東洋、さらに世界の民衆の苦しみをわが苦しみとされ、「地上から『悲惨』の二字をなくしたい」と立ち上がったのであります。それは、「閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」(御書505ページ)との、釈尊、そして日蓮大聖人の師子吼に応えゆく大闘争の出陣でありました。昨晩(14日)の九州・熊本の地震に際し、心からお見舞いを申し上げます。被災地の方々のご無事を祈り、仏天の加護も厳然であれと、題目を送っております。どうか、いずこにもまして強く温かな、わが九州家族の不屈の団結で、「わざはひ(禍)も転じて幸となるべし」(同1124ページ)との御聖訓の通り、変毒為薬していかれるよう、お願いいたします。私たちも全力で応援をいたします。日蓮大聖人は、「如説修行抄」に仰せになられました。「忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗って権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」「或はせめ返し・せめをとしすれども・かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし」(御書502ページ)と。大聖人に直結する創価の師弟が、忍辱の鎧を身につけ、智慧の宝剣を提げ、正義の旗を掲げて、如説修行の大闘争に挑み抜いていく。そのなかにこそ、妙法とともに隆々と栄えゆく平和と安穏の社会建設があることを、深く強く確信していただきたいのであります。ともあれ、勝つために歴史回天の大中部を使命の舞台として、今この時に躍り出た君たちだ。眼前にある乱世の現実は過酷であり、熾烈である。だからこそ、何があっても異体同心の同志と励まし合いながら、一人一人が職場で社会で、堂々と勝利者となってもらいたい。

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十を読んだ感想 島 幸弘

〈小説「新・人間革命」〉 力走 二十no

「断じて病魔になど、負けてはいけません。早く、良くなるんです。あなたには、名張の広宣流布を成し遂げていく、尊い使命がある。病気も、それを克服して信心の偉大さを証明していくためのものです。そのために自らつくった宿業なんです。
したがって、乗り越えられない宿命なんてありません。地涌の菩薩が病魔に敗れるわけがないではありませんか!題目です。ともかく見事な実証を示させてくださいと、祈り抜くんです。私も題目を送ります。今度は、三重でお会いしましょう。必ず、元気な姿を見せてください!」高丘は、伸一の言葉を聞いて、胸に一条の光が差し込む思いがした。勇気がほとばしった。希望が芽吹いた。強い確信と祈りを込めて、真剣勝負の唱題がさらに続いた。“先生に心配をかけて申し訳ない。必ず、治してみせる!”懸命に唱題を重ねるうちに、医師も匙を投げた病状が回復し始めた。右目に光は戻らなかったが、左目の視力は次第に良くなり、御本尊の文字が、しっかり見えるようになったのである。彼は、「大地はささばはづ(外)るるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみ(満)ちひ(干)ぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず」(御書一三五一ページ)との御聖訓を嚙み締めるのであった。

「指導・激励とは希望・勇気・やる気を起こす源泉となる菩薩の行動そのものである」(画像・記事内容は聖教新聞から転載させて頂きました)

 

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 十九 を読んだ感想 島 幸弘

〈小説「新・人間革命」〉 力走 十九 の挿絵のサムネイル画像

彼は、“もはや信心しかない。本気になって信心に励んでみよう”と腹を決めた。
 それまでは、“頑張って信心してきたのに、どうしてこうなるのだ!”という思いがあった。しかし、新たな決意で唱題に励むと、心が変わっていくのを感じた。
 “俺はこれまで、教学を学んできた。御書に照らして見れば、過去世で、悪業の限りを尽くしてきたにちがいない。それなのに大した信心もしないで、御本尊が悪いかのように考えていた。傲慢だったのだ。日蓮大聖人は、「諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし」(御書一四三九ページ)と仰せになっている。信心によって、今生で罪障消滅できるとの御断言だ。なんとありがたい仏法なんだ!”そう思うと、御本尊への深い感謝の念が湧いてくるのだ。感謝の心は、歓喜をもたらし、その生命の躍動が、大生命力を涌現させる。

「医者でダメなら信心しかない!先師戸田城聖先生のご指導、本質は他を頼るのでなく、自身の生命力による自然治癒力を活性化させるためのお題目、しかも広布誓願の祈りが最高最善の力を仏界として表す事に他ならない!忘るべからず」