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情熱店長ブログ

〈小説「新・人間革命」〉 力走 五十七 を読んだ感想 島 幸弘

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「ジョン万次郎」という名が日本中に広く知られるようになったのは、作家・井伏鱒二の小説『ジョン萬次郎漂流記』によるところが大きい。伸一も、少年時代に胸を躍らせながら読んだ、懐かしい思い出がある。
 中浜万次郎は、文政十年(一八二七年)の元日、現在の土佐清水市中浜に、半農半漁の家の次男として生まれた。
 少年期に父が他界し、母を助け、体の弱い兄に代わって懸命に働いた。
 天保十二年(一八四一年)一月、十四歳になった彼は、漁を手伝って、暴風雨に遭い、四人の仲間と共に漂流したのである。
 数日後、たどり着いたのは、伊豆諸島にある無人島の鳥島であった。渡り鳥を捕まえて食べ、飲み水を探し回らねばならなかった。
 島での生活は、百四十三日も続いた。ようやくアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救出された彼らは、ハワイのオアフ島に送り届けられる。日本は鎖国をしており、日本に送ることはできなかったのである。
 仲間四人は、ハワイにとどまることになったが、万次郎は、そのまま捕鯨船に残り、航海を続けることを希望した。
 彼は、家が貧しかったために、寺子屋に通って、読み書きを学ぶこともできなかった。しかし、聡明であった。世界地図の見方や英語などを船員たちから学び、瞬く間に吸収していった。
 強き向上、向学の一念があれば、人生のいかなる逆境も、最高の学びの場となる。(聖教新聞より転載)

「自分自身の境遇がどうのこうのではない!自分自身がどうしたいのか!そのための信心であり、自分自身の価値創造は自分自身の手の内にある」

 

沖縄三線のヒヤミカチ節は練習できませんでした~

2016年クイチャーパラダイス大文化祭で一般エントリーで絆メンバーも多数参加
させて頂きましたが、私たちはヒヤミカチをうたむちまでしかできない状態で当
日を迎える事となりました。そこで、急きょ どうしょうと悩み、ビビり、ひや
ひゃしながら三人で考えた結果!絆三兄弟としてエアーでヒヤミカチやるしかな
いようね~と開き直りこのパフォーマンスになりました!
ほかの方々はみんな真剣に練習して素晴らしいヒヤミカチを演奏されていまし
た!皆様に喜んでいただける様に三人で盛り上げたいと頑張りました!っていう
か楽しみました!ありがとうございました~
 

私の趣味は沖縄三線ですが、地元古河イオンのカルチャースクール

私の趣味は沖縄三線ですが、地元古河イオンのカルチャースクールにあるクイチャーパラダイスの沖縄三線教室に月二回通っています。昨年家内も三線を一緒にやりたいと言ってくれましたので、今回は夫婦一緒に初めて参加しています。私たち夫婦はとても仲良いのですが、今回の演奏曲は
「19の春」です。実際は「59の春」なのですが・・・

いつも楽しく、そして仲の良い古河教室は関根先生の丁寧で優しくそしてしっかりと基本を中心に沖縄民謡を練習しています。毎回の課題曲の歌詞の内容やその時の状況などもお話ししていただけるので曲や歌に思いも込めて唄えます。メンバーは古河市野木町から来ています。古河イオン店で月二回練習しています。興味のある方はお気軽に見学してくださいね

私の趣味は沖縄三線です!先日の土曜日に東京上野で発表会がありました。

私の趣味は沖縄三線です!先日の土曜日に東京上野で発表会がありました。そこでの演奏会の模様をYouTubeにアップしました。日本一のクイチャーパラダイス三線教室に通って8カ月になりました。三線2年目、クイチャーで8カ月、この曲は4か月です。まだまだ完成には程とおいのですが、琉装のくろちょうも新調して気合い入れてやって見ました。揚作田節と鳩間節です。どうぞご覧くださいませ!
 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 五十六を読んだ感想 島 幸弘

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“同志がいるならば、どこまでも行こう!”と、心に決めていたのだ。
 車は、坂道を下って、国道を足摺岬に向かって進んだ。右手に青い大海原が広がっていた。土佐清水市の中心街を通って、足摺スカイラインを走り、足摺岬灯台の手前にある、学会員が経営するレストランを訪れた。このお宅は、座談会などの会場になっているという。そこに、多くの会員が集っていた。
 伸一は、皆と勤行したあと、外へ出て、一緒に焼きイカを頰張りながら語り合った。
 「ここは交通は不便かもしれませんが、空気もきれいで、美しく雄大な自然がある。そのなかで学会活動に励めるなんて、最高に幸せではないですか。私も住みたいぐらいです。
 自分のいる場所こそが、使命の舞台です。大都会の方がいいと思うこともあるかもしれないが、大都会は自然もないし、人間関係も希薄です。東京などに憧れて出ていった人たちが、懐かしく心に思い描くのは、結局、ふるさとの美しさ、温かさなんです。
 彼方に幸せを求めるのではなく、自分のいるこの場所を、すべての面で、最高の地に、常寂光土にしていってください。自分の一念を変えることによって、それができるのが仏法なんです」
 さらに伸一は、「私たちは、御本尊を通し、いつも心はつながることができます。皆さんの健康と、ご活躍を祈っています」と言って、皆に別れを告げた。(聖教新聞より転載)
「人生で常に一番大切なもの、それは足元、そして目の前の人である。自分自身の足元からすべてを始めて行くごく当たり前の生活を梵字徹底して行きたい!」

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 五十五を読んだ感想 島 幸弘

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山本伸一は、高齢の芝山太三郎の手を、ぎゅっと握ったまま語っていった。
 「お会いできてよかった。同志もいない山間の集落で、病弱な奥さんと共に、あなたは敢然と広宣流布に立ち上がった。苦労したでしょう。辛い思いもしたでしょう。何度も悔し涙を流したことでしょう。
 でも、歯を食いしばり、御本尊を抱きかかえるようにして、日蓮大聖人の仏法の正義を叫び抜いてきた。まさに、地涌の菩薩の使命を果たしてこられた大功労者です。
 口先で広宣流布を語ることはたやすい。大切なのは、実際に何をしてきたかです。
 日々、心を砕いて、身近な人びとに仏法を教え伝えていく――その地道な実践のなかに、世界広布もあるんです。
 私は、健気な庶民の王者であるあなたを、見守り続けていきます。毎日、題目を送ります。どうかあなたは、私に代わって、地域の同志を、集落のすべての人びとを守ってください。よろしくお願いします」
 芝山は、決意に燃えた目で大きく頷いた。
 それから伸一は、四国総合長の森川一正たちに視線を注ぎながら語った。
 「この方が、集落の広宣流布を決意して戦ってきたように、目標を決めて信心に励むことが大切なんです。自分の住んでいる集落でも、自治会の範囲でも、向こう三軒両隣でもよい。あるいは、親戚、一門でもいいでしょう。そこを必ず広宣流布しようと決めて、年ごとに、具体的な前進の目標を立てて挑戦していくことです。目標がなければ、どうしても惰性化していってしまいがちです」
 伸一は、後日、芝山に杖を贈った。
 その杖を彼は誇りとし、八十歳近くになってからも、杖を手に、こう言って弘教に飛び出していった。
 「今夜は、月が明るいけん。折伏に行かなあいかん。山本先生と約束しちょうけん。噓をついたらいかん」
 広宣流布の誓いに生き抜き、行動する人こそが、真の師弟であり、同志である。(聖教新聞より転載)

「自分自身の生き方、弟子の生き方がある。自分の命がいつも師弟不二かどうか!師弟共戦の人生を歩もう!」

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 五十四 を読んだ感想 島 幸弘

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勤行が終わり、皆の方を向くと、「先生!」と声をかける人がいた。補聴器をつけた、高齢の男性であった。土佐清水市の中心部から二十数キロ離れた集落で、最初に入会した芝山太三郎である。その集落は、タヌキやウサギが生息する、山間にあった。
 彼の悩みは、妻が病弱なことであった。近くには病院もない。一九五八年(昭和三十三年)、“妻が元気になるなら”と信心を始めた。
 芝山は、学会の指導通りに弘教に歩いた。すると、周囲から「いよいよ、頭がおかしゅうなってしもうた!」と陰口をたたかれた。
 だが、彼は微動だにしなかった。芝山もまた「いごっそう」であった。こうと決めたら、どこまでも突き進んでいった。
 半年後、妻が健康を回復した。
 “この御本尊はすごい! どんな願いも、必ず叶えてくれる!”
 その確信が、ますます弘教の闘志を燃え上がらせていった。
 広宣流布の原動力とは、御本尊への絶対の確信であり、功徳から発する歓喜である。体験を通して、それを実感し、そして、大法弘通の使命を自覚することによって、広布の流れは起こってきたのだ。
 芝山は、この日、地域広布の伸展を伸一に報告しようと、妻と息子の三人で、勇んで研修道場に駆けつけてきたのである。彼は、あらん限りの力を振り絞るようにして語った。
 「先生。わが集落は、もう一歩です。入会二十年、半分ほどの人たちが学会員となりました。なんとしても広宣流布します! それまでは、わしゃ、死ねんと思いよります」
 「ありがとう!」
 伸一は、この男性のもとに歩み寄り、抱きかかえるようにして、手を握り締めた。
 「信念の勝利です。敬服いたします!」 (聖教新聞より転載)

「自分でチャレンジし続けた体験もとに、すべてに実証を示しきっていける人生を歩んでいこう!」

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 五十三を読んだ感想 島 幸弘

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「地元の女子部の大ブロック長(後の地区リーダー)で金山智美さんといいます。研修道場の事務所を手伝ってくれております」
 実は、彼女は膠原病を患い、薬の副作用による肌荒れや目の充血があった。そのなかで裏方として、準備にあたってきたという。
 伸一は、金山に声をかけた。そして、「ありがとう!」と感謝を述べると、力を込めて励ましていった。
 「信心をしているのだから、必ず宿命転換はできます。絶対に病は治すと決めて、題目を唱え抜いていくんだよ。二百万遍、三百万遍と、真剣に祈り抜いていくんです。何よりも、“病になんか負けるものか!”という、強い一念をもつことです。いいですね」
 「はい……」
 緊張していたのか、か細い声であった。
 伸一は、諭すように言った。
 「小さな声だね。そんな弱々しい声では、病魔を打ち破っていくことはできないよ。はつらつと生命力をみなぎらせていくんです。“私は、必ず元気になってみせる! 断じて乗り越えてみせる!”という、師子の気迫が大事なんだ。もう一度、言ってみようね」
 「はい!」
 決意のこもった明るい声が帰ってきた。
 「そうだ! その意気だよ!私も題目を送ります。一人じゃないよ。すべての諸天善神が、あなたを守ってくれます。必ず元気になって、またお会いしよう」
 金山の頰に赤みが差し、瞳は誓いに輝いていた。伸一も愁眉を開いた。束の間の出会いであったが、彼女は奮い立った。
 その後、金山は、見事に病を乗り越えている。そして結婚し、家庭を築き、夫妻で土佐清水の広布に駆け巡ることになるのである。(聖教新聞より転載)

「信心とは自分自身を信じる心と書きます。世の中なかなか自分自身に自信がもてないって事もあります。この信心は自分自身の力を信じる信仰です!私はこの信心で自分自身に自信がみなぎる生き方をする事ができました。これからも日々成長して行きたいと思っています」

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 五十二を読んだ感想 島 幸弘

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研修道場の大浴場で、役員の男子部員らと一緒に入浴し、懇談を続けた。湯につかりながら、皆の仕事のこと、家庭生活のこと、学会活動のことなどを尋ねた。
 伸一は、幡多地域本部の面積が、ほぼ香川県と同じぐらいであることを聞くと、地域本部男子部長の宮西益男に語った。
 「広大な地域だね。山も多く、移動するにも時間がかかる。大都会である東京とは、皆の仕事や、生活のリズムなど、多くの面で異なっている。したがって、何から何まで、東京と同じことをする必要はありません。ここは、ここらしく、皆が楽しく活動していけるリズムをつくっていくことです。
 大事なことは、青年である君たちが、この地域の広布は自分たちの手で担おう、全責任をもとうと、決意していくことです。人を頼んではいけない。自分たちでやるのだと、心を決めるんです。勝負を決するのは二十一世紀だ。そこをめざして何を創るかです。
 青年が、今、広げた友情のスクラムが、そのまま未来の学会の広がりになる。頼むよ!」
 伸一から「何か要望は?」と尋ねられた宮西は、「事務の効率をよくするために、研修道場の事務所にコピー機を設置していただけないでしょうか」と答えた。コピー機がないために、行事日程や連絡事項など、ガリ版で作成し、配布していたのである。
 「私から、本部にお願いしてみます」
 伸一は、全面的に応援したかった。すぐに、東京から同行してきた幹部に、コピー設置の経費などを調べてもらった。
 そして伸一は、宮西に言った。
 「では、君を“コピー長”に任命します。コピー用紙一枚も、全部、学会員の浄財なんだから、大切に使うんだよ」(聖教新聞より転載)

「自分らしく!桜梅桃李、その地域らしく!随方毘尼(ずいほうびに)ですね。これが一番の幸福境涯の第一歩だと思う

※ 随方毘尼 (ずいほうびに)(SOKAネット、教学基礎情報から転載)

仏法は、時代・地域・人種・性別・年齢を問わず、万人に共通の根本法則です。そのうえで、仏法は、さまざまな文化の多様性を認め、その在り方を最大限に尊重します。そうした仏法の考え方から出てきた法理の一つに随方毘尼があります。これは、随方随時毘尼ともいい、仏法の根本の法理に違わないかぎり、各国・各地域の風俗や習慣、時代の風習を尊重し、それに随うべきであるとした教えです。「随方」とは、地域の風習に随うこと、「毘尼」とは、戒律の意味です。日蓮大聖人は「此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり」(御書1202ページ)と仰せです。要するに、正法という根本基準を立てたうえで、成仏・不成仏という仏法の根本原理に関する事柄でなければ、一般の風俗、世間の普通の約束事を尊重し、用いていくことを説いているのが日蓮大聖人の仏法です。

 

〈小説「新・人間革命」〉 力走 五十一 を読んだ感想 島 幸弘

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山本伸一は、研修道場で天宮に言った。
 「あなたのように、必死になって戦い抜いてきた方が、今日の広宣流布の流れを開いてきたんです。『いごっそう、万歳!』です。
 私がお願いしたいのは、さらに大きな心で皆を包み込んでいただきたいということです。一徹な人は、ともすれば、人の意見を聞かず、自分の考えを人に押しつける傾向があるといわれています。しかし、広宣流布は、団結の力によってなされる。皆が心を合わせ、伸び伸びと前進していくには、リーダーの包容力、寛容さが必要なんです。
 また、あなたの強盛な信心を、お子さんたちにも伝えていってください。二十一世紀が、広宣流布の本当の勝負になります」
 天宮は決意を確認するように深く頷いた。
 伸一は、天宮を顕彰していくため、この広場の名称を、彼の名を冠したものにしてはどうかと、方面や県の幹部らに提案した。
 社会では、顕彰されるのは権力者や著名人がほとんどである。しかし、伸一は、黙々と人びとの幸福のために奮闘してきた、無名の民衆リーダーたちの名を、樹木や庭などの名称に冠することによって、末永く顕彰するように努めていた。そこにこそ、万人の平等を説く仏法の眼があり、民衆を王とする、真の民主があるからだ。(聖教深部により転載)

「一人の一歩も大切、しかし社会は大勢の人で成り立っている。その多くの方々のためにもリーダーとして寛容で心豊かな包容力で皆を包み込んでいけるように自分自身も成長して行こう!」