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2017年2月 3日 AM 10:37

情熱店長ブログ

〈小説「新・人間革命」〉 大山 二十八 (聖教新聞より転載)

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山本伸一は当初、一九八九年(平成元年)九月に中国を訪問し、建国四十周年の関連行事に出席する予定であった。しかし、諸情勢から延期を余儀なくされた。彼は代理を立て、鄧穎超あてに、明春には必ず訪問する旨の伝言を託した。また、周夫妻の等身大の肖像画を贈った。
 “中国を孤立化させてはならない!”と、彼は強く心に期していた。
 そして翌九〇年(同二年)五月、創価学会第七次訪中団と友好交流団の計二百八十一人が、大挙して中国を訪れたのである。それは中国との交流再開の大きな流れをもたらし、関わりを躊躇し、状況を見ていた多くの団体等が、これに続いた。
 伸一と峯子は、この折、再び北京市・中南海にある鄧穎超の住居・西花庁を訪問した。
 彼女は八十六歳となり、入院中であったが、わざわざ退院して、玄関に立ち、伸一たちを迎えたのだ。彼は、駆け寄って、手を取った。彼女の足は既に不自由であり、衰弱は誰の目にも明らかであった。しかし、頭脳はいたって明晰であった。
 伸一は、祈る思いで訴えた。
 「人民のお母さんは、いつまでも、お元気でいてください。『お母さん』が元気であれば、『子どもたち』は皆、元気です」
 彼女は、周総理の形見である象牙のペーパーナイフと、自身が愛用してきた玉製の筆立てを、「どうしても受け取ってほしい」と差し出した。「国の宝」というべき品である。人生の迫り来る時を感じているにちがいない。その胸の内を思うと、伸一の心は痛んだ。
 彼は“永遠に平和友好に奮闘する精神の象徴”として拝受することにした。これが最後の語らいになったのである。
 鄧穎超は、二年後の九二年(同四年)七月、八十八歳で永眠する。しかし、彼女が周総理と共に結んだ、両国間の友情と信義の絆は、民衆交流の永遠の懸け橋となった。
 心は見えない。しかし、その心と心が、固く、強く結ばれてこそ、真実の友好となる。

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 二十八を読んだ感想と決意 島幸弘

誠実なこころで自分人生を生きる!そんな思いをさらに深く決意する今回の鄧穎超さんとの語らいであったと思う。日中友好の懸け橋はこの歴史の事実があって現在に続くが、2017年の現代、時代は変化変化との池田先生のご指導の通り、政治の動静は日本との緊張が現出し末法の様相が色濃くなっている。民間外交の重要性がいや増して世界平和の大きな影響となるだろうと思う日々である。