京都のお客様の「難病と闘う信心の体験談」

二階堂さんの体験発表動画(所属の県総合長 承諾済み)

二階堂道廣さん 体験発表

この体験談は、2016年3月29日付の聖教新聞5面「脊髄性進行性筋萎縮症と闘い、介護事業所を設立」に掲載された内容を、改めてご本人が体験発表された貴重な映像記録です。ぜひ一度ご覧ください。(収録時間:18分32秒)

京都・二階堂さんの体験がニッポン放送のラジオ番組で全国放送されました!

ニッポン放送 ラジオ番組出演

番組名:「八木亜希子 LOVE & MELODY」(ニッポン放送)

さすがプロのアナウンサーの代読は深く胸に染み入ります。改めて二階堂さんの不屈の共戦の歩みを拝聴し、猛烈な感動を覚えました。二階堂さんとFacebookのメッセンジャーでリアルタイムにチャットをさせていただいておりましたが、放送直前までご自宅で真剣に唱題を送られていたそうです。

🎵 ニッポン放送の番組音声が下記よりお聴きいただけます

👉 ラジオ放送音声を再生する(MP3)

ニッポン放送のホームページでも大反響の「グッとストーリー」として紹介されました

「今朝は、SPMA(脊髄性進行性筋萎縮症)のため、身体がほとんど動かせない状態で、自ら介護事業所を設立。難病に悩む人や、その家族を救っている男性のグッとストーリー」

二階堂様は、難病を強盛な信心で悠々と乗り越え、常に未来の夢を抱いて果敢にチャレンジされ、介護事業所のオーナー理事長として社会の第一線で活躍されました。その偉大なるお人柄と境涯に心からの敬意を覚え、私は生涯の「宝の友」として、京都のご自宅へ何度も足を運ばせていただきました。

【二階堂様よりいただいた重みあるコメント】
「大聖人ご生誕の日に桜梅桃李.comの島さんより、拠点用の仏壇を購入させていただきました。なぜ桜梅桃李.comさんを選んだかといえば、島様の人間性(特に笑顔)が深く生命に印象に残ったからです。大手サイトは商品の紹介に終始していますが、桜梅桃李.comはアフターサービスやメンテナンス、体験の対話をサイトに載せるなど、島様の真心の情熱が躍動していました」

二階堂さんの体験が聖教新聞全国版(5面)に燦然と掲載!

聖教新聞全国版 掲載紙面

二階堂さんとはお仏壇のお迎えをきっかけに深いご縁をいただき、これまで何度もご自宅に泊めていただきました。一緒に真剣な勤行・唱題をさせていただいた際、「一念に億劫の辛労を尽くせば本来無作の三身念々に起こるなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書753ページ)の御文そのままの、五体に響き渡る本気のお題目の波動を、背中にビンビンと強烈に感じました。人生に不可能は絶対にない! 二階堂さんの『信心即生活』の実証、誠実な振る舞いは、私が尊敬してやまない創価の宝の王者のお姿そのものです。

【聖教新聞 掲載内容】絶望の淵から開いた“道”

脊髄性進行性筋萎縮症と闘い、介護事業所を設立(2016年3月29日付)

【京都府亀岡市】市内にある、在宅・訪問介護の事業所「ホームヘルプセンターぴかピカ」を訪ねると、二階堂道廣さん=曽我部創光支部、副常勝長(副ブロック長)=が満面の笑顔で迎えてくれた。この介護事業所を設立して8年半。現在、理事長として、約30人の利用者へ真心のサービスを提供する二つの事業所を活発に運営している。
“どうすれば、介護が必要な人に、本当の手助けができるか”――追い求めてきた答えは、自身の宿命との壮絶な格闘の中で見つかった。

■ 奪われた自由
「進行性」という言葉が頭から離れることはなかった。1985年(昭和60年)12月、「脊髄性進行性筋萎縮症(SPMA)」と診断された。脊髄の運動神経細胞の病変により、体幹や四肢の筋力が著しく低下していく難病。当時、大学を卒業し化学メーカーの研究開発部で仕事に没頭していた。結婚し、温かい家族を養って……。そんな“人並みの幸せ”を描いていた。

宣告を境に、病魔は徐々に二階堂さんの体をむしばんでいく。背筋の力が落ち、走ることができなくなった。降りしきる雨の日、しゃがみ込んだまま自力で立ち上がることができず、通り掛かる人の助けを泣く思いで待つしかなかったこともある。40歳で杖を突く力さえ失い、車いす生活を余儀なくされた。「絶望を感じた」のは一度や二度ではない。いら立ちが募り、心臓をわしづかみにされたような息苦しさと不安に襲われる。発病から10年、首から上と両手首しか動かすことができなくなった。こんな体で生きる意味があるのか、何度も激しく自問し続けた。

■ 募るもどかしさ
98年(平成10年)、二階堂さんを長年献身的に介護してくれていた母・靜子さんが認知症と診断された。自宅には寝たきりの父もいた。一つ屋根の下、一家3人がそれぞれに全面的な介護を必要とする「三重苦」の状態となった。
ある冬の夜、誤ってベッドから滑り落ちてしまった父が、冷たい床に伏したままピクリとも動けないでいた。父の消え入るような声を聞いても、首しか動かせない自分はどうすることもできない。胸が引き裂かれるように痛んだ。

周囲からは施設への入所を勧められたが、“住み慣れたわが家を離れたくない”という両親の思いを痛いほど分かっていたから、どうしても皆で一緒にこの家で過ごしたかった。しかし現现实は、障がい者支援と高齢者介護の縦割り制度に阻まれ、ヘルパーの融通すら利かない。「もう、このまま生けない」と自ら命を絶つことさえ考えた。絶望の淵で、何かにしがみつくようにお仏壇に向かい、天地を揺るがす思いで題目を唱え抜いた。「それでも生きたい。広布の役に立ちたい、どうにかしてくれ!」と生命の底から叫び、時を忘れて御本尊に祈り続けた。

■ 局希望の灯から宿命を使命へ
2006年3月、日常に“希望の灯”がともった。「私でよければ、お手伝いさせてもらえませんか?」。入浴介助で自宅を訪れていた、ヘルパーの朝戸香織さん(婦人部員)だった。朝戸さんは友人と交代で介護を支えてくれるようになり、いつしか「24時間365日、本当に困っている難病の人に対応できる介護事業所を自分たちで創ろう」という夢へ発展した。

会社経営のノウハウなど一切ない。それでも「自身の経験が必ず生きる」と信じ、題目根本に祈り抜くと無限の智慧が湧いた。池田SGI会長の「迷うことなく突き進め! 恐れなく前へ前へ! そうすれば、結果は必ず、わが方についてくる」との指針に魂を奮い立たせ、独学で経営を学び、07年7月、NPO法人「自宅生活応援団 ぴかピカ」を設立。理事長に二階堂さんが就任した。過酷な状況のなかでも常に朗らかに「こんな自分でも、最高に幸せなんや」と堂々と実証を語る二階堂さんの姿を通し、仏法の偉大さを確信した朝戸さんは、08年5月に晴れて創価学会に入会した。

事業所開設から数年後、市から「ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんを受け入れてもらえないか」と緊急の打診があった。24時間体制の介護は過酷を極めるため葛藤したが、「このような苦しむ人のために、この事業所を立ち上げたんやないか!」と使命の炎を燃やし、24時間365日体制での受け入れを敢行。ALS患者のご家族から絶大な信頼を寄せられ、依頼が急増した。ある利用者の家族から「二階堂さんは、私たちの苦しみを誰よりも分かってくださるために、その不自由なお体で生まれてこられたのですね」と言われた瞬間、仏法に説かれる「願兼於業(ねがわくはごうをかねて)」の深き法理が生命にガツンと響き、「全部自分で願ってきたんだ。これを果たすことこそが我が使命なんだ!」と、絶対の確信に変わった。

不思議なことに、40歳を過ぎてから病の進行は完全に停止。それどころか首の可動域は広がり、わずかに動く手首 of 力でパソコンを自在に操作して事務をこなした。「自分が障がい者だとは思わなくなった。不思議やね。心が変われば、全てが変わる。もっと社会のために戦い抜きたい」。二階堂さんの心は、今、いささかの曇りもない澄みきった大宇宙のように晴れ晴れと広がっている。

直線距離400kmを超えて結ばれた、生涯の友情の歴史

島社長と二階堂様の初対面

二階堂さんとの出会いは、桜梅桃李.comへ一本のお電話をいただいたことから始まりました。お電話口からは非常に堂々たる立派なお声で「支部拠点用のお仏壇についてお尋ねしたい」との内容でした。集われる同志の皆様が四方から一番美しく拝せるようにと、サイズやクオリティ、アフターケアについて何時間も熱心にご質問を重ねられ、拠点への深い真心に私は胸の底から大感動し、「どうしてもこの偉大な先輩に直接お会いしたい!」という衝動が止まらなくなりました。

可動式展示台を喜ぶ二階堂様

茨城から新幹線で京都、そして亀岡へ。お仏壇の無事の納品と設置が完了した夜、二階堂さんとの熱い仏法対談が夜更けまで続きました。
「お仏壇を最高に荘厳することは、自分自身の人生の境涯を荘厳することと全く同じです。ご本尊様を何より大切にし、生活の真ん中にお仏壇を据え付けるからこそ、生命力溢れる宿命転換のパワーが湧き上がる。境涯が広がれば経済革命も実り、高価だと思っていたお仏壇も楽々と御供養させていただける身に大成長できました。島さん、私たちは生涯の良き宝の友、同志として、広布の勝利のドラマを共々に勝ち飾っていきましょう!」と、熱い握手を交わしてくださいました。

二階堂様宅での歓談のひととき

二階堂さんからは「桜梅桃李.comは単なる『物』の売買ではなく、相手を大切に思う『気配りの心』を届けてくれる、人間が生き生きと躍動している店だ。はるばる 400kmを走って設置に来てくれるお仏壇屋さんは他には絶対にいない。我が家にお仏壇が来たというより、怒涛の黄金のエネルギーが注入されたような感動だ」と、涙が出るほど嬉しい最大級の賛辞を寄せていただきました。

京都の支部壮年部唱題会へ参加

光栄なことに、滞在中は二階堂さん宅で開催された地元の「支部壮年部唱題会」に2回もゲストとして参加させていただきました。私自身のこれまでの自営業での経済革命の苦闘、精度高く、そして「絶対に諦めない信心」の体験を恐れ多くも関西の熱き同志の前で語らせていただき、参加されたメンバーから「今日の唱題会に来て本当に良かった! 島さんから無限の勇気と元気をいただきました。大勝利のドラマをここから開きます!」と涙ながらの熱い決意が炸裂する素晴らしい人材育成の歴史を、二階堂さんと共々に刻むことができました。

二階堂道廣理事長は霊山へと旅立たれましたが、その不屈の負けじ魂、御本尊根本に難病と戦い抜いた偉大なる「実証のドラマ」は、この桜梅桃李.comの城において永遠に消えることはありません。私たちは二階堂さんとの宝の約束を胸に、これからも日本全国の同志の皆様へ、人生に勝利するため最高の「真心の城」をお届けし続けることを、深く、固く誓うものです。二階堂さん、本当にありがとうございました!