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2016年12月27日 AM 09:25

情熱店長ブログ

〈随筆 永遠なれ創価の大城 14〉 寒風に胸張り前進!(聖教新聞より)

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年の瀬、いよいよ本格的な冬が到来しました。札幌で五十年ぶりの大雪となった北海道など、北国の同志の無事安穏を祈らずにはいられません。

 また尊き使命を胸に、誰よりも朝早く、広布拡大の一歩をしるしてくださる「無冠の友」の皆様には、いつにも増してご苦労をお掛けします。
 毎朝、皆様の「絶対無事故」「健康長寿」を妻と共に、ひたぶるに祈っております。配達員の皆様の無事故・健康こそ、私たち創価家族の願いであり、喜びであります。
 どうか悪天候の時など、決して無理をせず、焦らず、偉大な福徳の道の歩みをお願いします。
 
「冬は必ず春」と
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書一二五三ページ)――今、世界中の同志が拝する日蓮大聖人の御聖訓である。
 厳しい冬を越え、春に咲く花は愛おしい。「桜梅桃李」と説かれる通り、試練の冬を経てこそ、“自分らしい花”“可能性の花”は開花する。
 創価学会の誕生からこれまで、幾たび試練の嵐が吹き荒れたことであろうか。だが、いかなる時にも、創価の師弟は正義の旗を高々と掲げ、共々に励まし合い、一切を勝ち越えてきた。
 スイスの哲学者ヒルティは述べている。
 「苦しみは人間を強くするか、それともうち砕くかである。その人が自分のうちに持っている素質に応じて、どちらかになる」と。
 苦しみのたび、我らは強くなる。試練のたび、我らの絆は強固になる。そして今、全世界同時に地涌の勇者たちが躍動する「世界広布新時代」となった。牧口先生、戸田先生が、どれほど喜んでくださっていることか。
 我らの前進は止まらない。世界には、限りなく多くの、この仏法を求めている人がいる。いよいよ共に境涯を開いていくべき人がいる。
 御書には、仏法とは、あらゆる差異を超えて、「共に離苦得楽・現当二世の為なり」(一四三ページ)と示されている。
 この精神を体現した、最も尊貴な創価学会を、皆で、共々に、断じて発展させ、栄えさせていこうではないか。
 主役は、次代を担う青年たちだ。青年と一緒に、青年とスクラムを組んで、青年の心で、朗らかに拡大の年を勝ち飾っていきたい。
 
「壁を破ろう!」
 今月十日、わが愛する大分の地で、意気高く九州総会が行われた。
 席上、懐かしき共戦の父母たちが、そして新しき共進の青年たちが、堂々と歌い上げてくれたのは、「青年よ広布の山を登れ」であった。
 この「十二月十日」は一九八一年(昭和五十六年)、私が大分の青年部二千五百人の前で、長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」を発表した日である。
 この日を記念して、全九州の青年部代表千人も広宣流布大誓堂での誓願勤行会に勇み集ってくれた。師弟正義の魂が厳然と継承されていることを、「先駆の大九州」の後継の友たちは満天下に示したのだ。私は快哉を叫び、喝采を送った。
 三十五年前、私は大分で一つの提案をした。
 ――私が秋田に行く時に、大分から代表が参加してはどうか、と。
 私が決めていた翌年の戦いの助走は、既に始まっていたのである。
 「民衆を安んずるより大いなる道はなく、民衆を利するよりすぐれたる功はありません」とは、江戸時代の大分の哲人・三浦梅園の言葉だ。
 大分も、秋田も、邪知謗法の僧らの人権蹂躙によって、愛する健気な同志たちが最も苦しめられた地域であった。
 その両県が手を携え、距離の遠さや県民性の違いを超えて双方が互いに学び合うならば、「創価の新時代」を開く新たな活力が生まれるはずだと私は確信していた。
 大晦日も近づいた頃、私は信濃町の聖教新聞社で、秋田の代表に会い、宣言した。「秋田に行くよ!」。友の目が輝いた。いよいよ戦闘開始だ。
 そして年明け早々、同じく悪僧らと勇敢に戦ってくれた東京・目黒区を訪れて「壁を破ろう!」と訴え、翌日、寒風の秋田へ飛んだのである。
 “こんな真冬に行かなくても”との声もあったが、今、行かずしていつ行くのか! 厳寒に耐え抜く同志たちがいる。ならば自らが希望の春風となり、「冬を必ず春にする」との確信と勇気と希望を送る。これが広布のリーダーの責務ではないか!
 こうして、わが同志と共に、「吹雪に胸はり いざや征け」と声高らかに歌い、共に勝鬨を上げた、あの「雪の秋田指導」が生まれたのだ。
 
勇者の大連帯を
 この訪問中に、秋田と大分の第一歩の交流も実現した。列島の北と南で、苦難に負けず戦った勇者たちの連帯が、共戦の炎を広げたのである。
 「交流」は、わが創価家族の良き伝統である。
 六十年前、私が指揮を執った「山口開拓指導」も、東京・関西・中国・九州など全国の同志が応援しての大交流であった。
 現在、それは地球規模に広がり、SGIの友を迎えた日本各地の交流交歓会は、爆発的な歓喜の波動を生んでいる。
 ダイナミックな交流は新たな創造を生む。新たな勢いと拡大の力となる。自分の持ち場を死守しつつ、心広々と打って出て、励まし合い、触発し合って、共に成長し、皆が勝利していくのだ。
 文豪・森鷗外は福岡の小倉(現・北九州市)で足かけ三年を暮らした思い出として、ある青年と結んだ友情を印象深く書き残した。胸臆から溢れる青年の言葉は時に無遠慮でさえあったが、その噓のない真実は「却って面白く感じた」と、鷗外は綴っている。
 胸襟を開いた対話は愉快である。そして世代や地域を超えた交流は生命を豊かにし、自身の境涯を拡大してくれるのだ。
 まして我らには、いかなる力にも勝る、偉大な妙法がある。どこよりも強く温かな異体同心の団結がある。
 「最も勇気ある人」とは誰か。ヒルティは言う。「この世のあらゆる力にまさる偉大な力を、ゆるぎない拠点としている人間のことである」と。
 この創価学会を“揺るぎない心の拠点”とする限り、障魔の烈風に立ち向かう最強の勇気と団結が無限に広がっていく。ゆえに、我らが試練に負けるはずなど、断じてないのだ。
 
生きる力の言葉
 先月、諸天が喜び寿ぐ大晴天のもと、宮城の仙台で、新・東北文化会館が最高に晴れやかにオープンした。
 この日を迎えた東北の参加者一人ひとりの歩みの尊さを思えば、私もまた決意を深くする。
 この五年八カ月、大地に膝をつきながら、自らの力で立ち上がったその負けじ魂の手を、強く強く握って讃えたい。私と妻の心は、いつも大東北と共にある。
 新会館の一角に、生きる力となった言葉を、思い思いに付箋に書いて壁に貼るコーナーが設けられていると伺った。
 とりわけ多かった言葉は「希望」――。
 希望は、与えられるものではない。絶望の底からも、自ら生み出せるものだ。不屈の祈りで、創り出すものだ。そこにこそ、仏法の真髄がある。
 「法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」(御書一四九二ページ)と仰せの通り、何があろうと信心に励む人は、万里の彼方から、幸せを集め、わが身を荘厳できる。紛れもない、御本仏のお約束である。
 不撓不屈のみちのくの友は、いかなる寒風にも希望と友情を手放さずに、生き抜いてこられた。
 その強さ、その懐の深さ。「青葉の誓い」を堂々と歌いながら、復興への歩みを一歩、また一歩と進め行く。その一歩が世界の模範となり、未来の指標となるのである。
 壁に貼られた「希望」という文字に込めたのは、金剛不壊の確信であり、信念であり、決意でもあると、私は思う。
 
本因妙の生命で
 思えば、あの秋田訪問の一九八二年(昭和五十七年)、学会は「青年の年」と掲げて出発した。その年頭に私は詠んだ。
  
 妙法の
  広布の彼方に
   山みえむ
  金剛かがやき
    旭日光りて
  
 九州の天地で、青年たちと共に二十一世紀の広布の山を展望し、雪の東北で一緒に歴史を刻んだ青年たちから、創価勝利の旭日は燦然と輝き昇ったのである。
 今年二〇一六年の掉尾を飾る会合では、シンガポールやインドネシア、ポルトガルをはじめ各国でも、英語などに訳された「青年よ広布の山を登れ」の歌声が轟いた。
 そして、いざ、迎える「世界広布新時代 青年拡大の年」――我らが登攀すべき広布の大山は、眼前に見えている。
 さあ、出発しよう!
 わが胸に広布の誓いを燃やせば、誰もが永遠の青年だ。その本因妙の生命で戦おうではないか。
 皆で“歓喜の凱歌”を高らかに歌いながら、金色に染まる新たな希望の大山に向かって!
     
 ――この一年も、日本中、世界中の同志の祈りと勇気の行動で、偉大な広布拡大の勝利の歴史を飾ることができました。心より感謝申し上げます。本当にありがとう!
 新しい年も、学会は、仲良く、朗らかに笑顔満開でスタートしよう!
 どうか、よいお正月をお迎えください。