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2016年12月20日 AM 08:02

情熱店長ブログ

福島・楢葉町で震災後 初の座談会 (聖教新聞より転載)

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本年を締めくくる創価家族の集いが、列島各地でにぎやかに行われた今月の座談会週間。“この時”を格別の思いで迎えた地域が、みちのくにある。福島県の楢葉町。東日本大震災による原発事故のため、全町避難指示が発令された町である。昨年9月5日午前0時をもって避難指示は解除されたものの、帰還した人の数は、今月2日現在の集計で405世帯737人。震災前の2887世帯8011人と比べて、1割にすぎないのが実情だ。この楢葉町で実に5年10カ月ぶりに座談会が開催されると聞き、18日、会場へと向かった。
 
 いわき市の中心部から、国道6号線を車で北上すること約40分。広野町を過ぎてしばらく走ると、ぱっと視界が大きく開け、左右に田園風景が広がった。
 「美しく」「のどかな」と形容するのが、ふさわしいはずのその景色の中に、いや応なしに目に飛び込んでくるものがある。除染した土や草木を入れる膨大な数の黒い袋(フレコンバッグ)だ。ここ楢葉町のほぼ全域が、福島第1原発から20キロ圏内に入っている。
 脇道を抜け、住宅地に進むと、解体作業中の家や更地が目立ち始めた。借地が多いために、町外に避難した人がこの機に家を壊し、土地を返すケースが少なくないという。
 楢葉町を訪れる前に聞いた、原発事故によって故郷を追われた婦人部リーダーの言葉を思い出す。「どんどん変わってゆく古里に、自分の心が付いていけずにいるんです」
 座談会の会場は、一部区間が不通となっているJR常磐線の“仮の終着駅”竜田駅から程近い場所にあった。楢葉支部の支部婦人部長、新妻節子さんの自宅である。
 玄関の外では、夫の文明さん(地区幹事)が竹ぼうきを右に左にと、リズミカルに動かしている。節子さんは会場の準備の手をいったん止め、ガラス窓越しに映る夫の姿に目を細めた。
 「あの人、去年の7月に定年退職して以来、植木や庭の手入れにハマリだしたんですけど……。きょうは一段と力が入ってて」
 その気持ちは誰よりも分かる。座談会の開催を呼び掛けたのは、ほかならぬ、節子さんだったから――。
 楢葉町に帰町後、節子さんは、隣接する広野支部の座談会に参加してきた。広野町も一時、避難指示が出されていた地域である。どこにあっても変わらぬ創価家族の温かさ。そのぬくもりに、どれほど助けられたことか。
 一方で、ふと思いにふけることも増えた。「このままで、いいのかな……」と。きっかけは、長年勤めてきた楢葉町の社会福祉協議会で、デイサービスの仕事を再開したことかもしれない。
 帰還した高齢者たちがホッとした表情で、おしゃべりを楽しむ姿を見るたび、慣れ親しんだ古里で、勝手知ったる者同士が語り合う“場”の大切さを感じた。と同時に、帰りたくても帰れない人たちを思った。「ありのままの自分を出せず、つらい思いを抱えているかもしれない」同志たちのことを――。県外に移っても「福島から来たとは言えない」と、電話で苦衷を訴える友がいた。「賠償金のことで、イヤなことを言われるから」と。福島の地名が入った車のナンバーを変えた壮年もいる。「子どもが学校でいじめられるかも……」と、不安に襲われる母もいる。
 自分に何ができるんだろう――そんな節子さんの葛藤に気付いたのか。本年6月に行われた広野支部の協議会の場で、一人の壮年が笑顔で言った。「できることから、やればいいじゃないですか」
 ハッとした。“そうだ。何かを始めなければ、何も始まらない”
 やろう。今、自分にできることを――それが「座談会」だった。
 心を同じくした関根春子さん(圏副婦人部長)が、家庭訪問や連絡に率先してくれた。皆で少しずつ準備を重ね、ついに開催の日を迎えたのである。
 ◇◆◇ 
 開会30分前の午前9時半から、続々と皆が集ってきた。町に帰還した友だけではない。県内避難した同志や、遠くは長野県から駆け付けた友もいる。
 午前10時。加藤大蔵支部長がやや緊張した面持ちで立ち上がる。「『新生福光第1回 楢葉支部座談会』を、開会します!」
 東北の歌「青葉の誓い」の合唱の後、四家徳美さん(副支部長)による弾き語りコーナーへ。「実は私、入れ歯になっちゃって。発音もなまって、うまく歌えるかどうか」と笑いを誘うと、「私も同じよ!」と婦人が合いの手を入れる。
 楢葉町の復興住宅に住む四家さんは、共に暮らしていた両親を津波で失った。この5年9カ月で多くの友人も先立った。今でも声を出すと、なぜだか涙があふれ、おえつに変わってしまう時がある。「でもきょうは、最後まで頑張ります」
 四家さんのギターの旋律と歌声が響く。楽しい曲も悲しい曲も、皆の心に、そっと寄り添うように――。
 続いて一人一言コーナーへ。「皆さん、話したいことがいっぱいあるでしょう」と加藤支部長が促すと、皆が我も我もと語りだす。
 避難指示解除後、真っ先に帰還した渡辺正尉さん(壮年部副本部長)は行政区長を務めている。「今年の夏からみんなと協力して、竜田駅周辺に花を植え始めてね」。ヒマワリから始まって、スイセン、チューリップ、さらに「楢葉町の花」であるヤマユリも。「少しでも“復興の証し”を示したくて」と。
 いわき市へ移り住んだ新妻サキ子さん(地区副婦人部長)は「正直、座談会への参加をちゅうちょしていたんです」と打ち明けた。
 楢葉に帰還しない自分が行ってもいいのだろうか、と。だがそれを聞いた金澤清子さん(福島常磐総県婦人部総合長)から“一喝”されたという。「何言ってんの! ずっと楢葉が大好きで、頑張ってきたんでしょう」
 座談会で、サキ子さんは語った。震災が起きるまで28年間、楢葉町の聖教新聞配達に駆けた。広布の戦いともなれば町中を対話に走った。「だから今、いわきの地でも対話拡大に頑張っています!」――その一言に、皆が称賛の拍手で応えた。
 次から次へ、友の報告は尽きない。避難生活の苦労話から、創価大学の野球部に入った孫の活躍の様子、町外に避難した男女青年部が弘教を実らせたエピソードまで。新来の友人も、思いを語った。
 終了予定時刻を大幅に超え、座談会は幕を閉じた。帰途に就く一人一人を、節子さんが手を振って見送る。
 ――これから、どれくらいの頻度で座談会を開催していけるか。今は、まだ考えられない。それでも、地道に続けていこうと思う。
 避難指示が解除されてしばらく、日が沈むと闇に包まれていた集落に、ぽつんと一軒、家の明かりがともった時の、あの何とも言えぬ安心感のように――座談会が皆の“小さな光”になれたらいい。
 「だから、いつでも来ていいからね」
 それぞれの生活の場へと戻ってゆく、大好きな同志たちの背中に向かって、節子さんはそっとつぶやいた。