創価学会仏壇の桜梅桃李のお知らせ・日常が、ここでご覧になれます。

  • 桜梅桃李.com
  • 昭和57年創業以来38,000件以上の創価学会仏壇を安心価格でお届けしています。
  • 昭和57年創業以来38,創価学会・SGI仏壇の事ならお気軽にご相談ください
  • 0120-7676-43 電話受付 10:00~18:00 水曜・日曜定休
サイズから選ぶ

2016年7月22日 AM 07:58

情熱店長ブログ

〈小説「新・人間革命」〉 清新 三十二を読んだ感想と決意 島幸弘

201672275826.png
山本伸一は、この日、「信心」と「実践」の関係について語っていった。
 「正しい仏道修行には、『信』と『行』の両方が、正しく備わっていなければなりません。『信』とは、御本尊を信じ抜いていくことです。『行』とは、自ら唱題に励むとともに、人にも正しい仏法を教えていく、折伏・弘教であり、現代でいえば学会活動です。
 たとえ、御本尊を信受していたとしても、信心の実践、すなわち具体的な修行をおろそかにしては、本物の信心とはいえません。
 青森から東京へ行こうとしても、ただ思っているだけでは、到着することはない。行動を起こし、実践があってこそ、目的を果たすことができる。また、せっかく行動に移し、出発したとしても、途中で止まってしまえば、東京へは着きません。
 同様に、信心も観念的で中途半端なものに終わってはならない。実践がなければ、功徳の体験を積めず、強い確信を育むこともできない。そして、何かあると縁に紛動され、退転してしまうことになりかねません。それに対して、実践の人は、いざという時に強い。
 その実践は、大聖人が『行学は信心よりをこるべく候』(御書一三六一ページ)と仰せのように、『行』も、『学』すなわち教学の研鑽も、御本尊への強い『信』から出発するものでなければならない。
 『信』なき実践は、一生懸命に動いていても、形式的なものになり、惰性化し、次第に歓喜も失われていってしまいます。
 ともあれ、純粋にして強き信心は、おのずから、果敢にして忍耐強い実践につながっていく。『我もいたし人をも教化候へ』(同)の御聖訓のごとく、自行化他にわたる実践を展開し、この東北の天地から、新しい広布の光を放っていただきたいのであります」
 風雪は、ともすれば人の行動を奪う。しかし、東北の同志は、吹雪にさっそうと胸を張り、広宣流布に戦い抜いてきた。その粘り強い実践を貫き通していくならば、愛する「みちのく」に、必ず陽光輝く清新の春は来る。(聖教新聞より転載)
 
「信心は観念ではなく実践だ、どのように自分自身が決意して実践行動に移るのか?それによって違う結果となる。自分の一念の通りの所願満足の人生を送っていきたい!」