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2016年5月31日 AM 06:18

情熱店長ブログ

〈小説「新・人間革命」〉 力走 五十七 を読んだ感想 島 幸弘

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「ジョン万次郎」という名が日本中に広く知られるようになったのは、作家・井伏鱒二の小説『ジョン萬次郎漂流記』によるところが大きい。伸一も、少年時代に胸を躍らせながら読んだ、懐かしい思い出がある。
 中浜万次郎は、文政十年(一八二七年)の元日、現在の土佐清水市中浜に、半農半漁の家の次男として生まれた。
 少年期に父が他界し、母を助け、体の弱い兄に代わって懸命に働いた。
 天保十二年(一八四一年)一月、十四歳になった彼は、漁を手伝って、暴風雨に遭い、四人の仲間と共に漂流したのである。
 数日後、たどり着いたのは、伊豆諸島にある無人島の鳥島であった。渡り鳥を捕まえて食べ、飲み水を探し回らねばならなかった。
 島での生活は、百四十三日も続いた。ようやくアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救出された彼らは、ハワイのオアフ島に送り届けられる。日本は鎖国をしており、日本に送ることはできなかったのである。
 仲間四人は、ハワイにとどまることになったが、万次郎は、そのまま捕鯨船に残り、航海を続けることを希望した。
 彼は、家が貧しかったために、寺子屋に通って、読み書きを学ぶこともできなかった。しかし、聡明であった。世界地図の見方や英語などを船員たちから学び、瞬く間に吸収していった。
 強き向上、向学の一念があれば、人生のいかなる逆境も、最高の学びの場となる。(聖教新聞より転載)

「自分自身の境遇がどうのこうのではない!自分自身がどうしたいのか!そのための信心であり、自分自身の価値創造は自分自身の手の内にある」