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2017年1月

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〈小説「新・人間革命」〉 大山 二十一(聖教新聞より転載)

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山本伸一は、先頭に立って、全青連のメンバーを案内した。
 「周桜」から数十メートルほどのところに植えられた、二本の桜の前に土が盛ってあった。木の高さは四メートルほどあり、淡いピンクの花をつけていた。向かって左側が「周恩来桜」、右側が「鄧穎超桜」である。
 一行と創価大学の学生代表らが見守るなか、記念植樹が行われた。伸一と高占祥団長がスコップを手にして、桜の根元に土をかけていった。青年たちから拍手が起こった。
 「では、一緒に記念写真を撮りましょう」
 伸一の提案で一行はカメラに納まった。
 高団長は感無量の面持ちで語り始めた。その言葉を、通訳の青年が日本語で伝えた。
 「『周桜』『周夫婦桜』には、中国との平和友好を心から考え、行動してこられた山本先生の真心が痛いほど感じられます。私は強い感動を覚えました。先生への感謝を、即興の詩に託したいと思います」
 中国語で朗々と詩を披露していった。
  「桜花時節訪東隣 意最濃来情最真
   賞花倍感栽花者 飲水常思掘井人
 (桜花の時節に東隣を訪ぬるに、意最も濃くして情最も真なり。花を賞でるに倍して感ずるは花を栽えし者、水を飲むに常に思うは井を掘りし人)」
 胸中深くこだまするような声調であった。この感謝の表明に、伸一は恐縮した。
 友誼の源泉とは、相互の心に宿る感謝の思いである。
 高占祥は中国に帰国したあと、日本訪問の喜びを詩に込め、手帳に「一衣帯水の流れは尽きず、友誼の花は万古に春なり」と中国語で記す。また、その後、子息と共に日本語の勉強を始めている。中日両国の人びとの友好交流は、永遠に続いていくことを、強く確信してのことである。
 周恩来総理は、世々代々にわたる友好を築かねばならないと、深く決意していた。
 世代から世代へ、友誼のバトンが受け継がれてこそ、真の友好となる。

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 二十一を読んだ感想と決意 島幸弘

世代から次の世代に人と人との絆がつながれていく、中国の未来を背負っている全青連のメンバーは池田先生との出会いを感動し命に刻み中国の代表として政治などを中心に担っていく。日中問題も複雑化するグローバルな現代のバランスは一人の心の状態に大きく起因する場合もある。なんのための人生であり、国家であるのか?一人の幸せはみんなの幸せとなれるのか?

〈小説「新・人間革命」〉 大山 二十 (聖教新聞より転載)

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你好(こんにちは)! ようこそいらっしゃいました!」
 山本伸一は両手を広げ、人民服に身を包んだ全青連代表団の高占祥団長の肩を抱き、そしてメンバー一人ひとりと握手を交わした。
 「私たちは、中日友好の橋を架けてくださった山本先生とお会いできることを、楽しみにしておりました。その願いは叶いました」
 頬を紅潮させ、声を弾ませる高団長らに、伸一は、「周桜」の由来を語っていった。
 「この桜は、一九七五年(昭和五十年)の十一月二日に、周恩来総理の健康を祈り、万代にわたる平和友好を願い、私の提案によって、新中国から留学生として創価大学に来られた青年たちの手で植樹されました。
 その前年の十二月、周総理は、北京の入院先の病院で、病を押して私と会い、未来永遠の中日友好と世界平和への熱願を語ってくださいました。この会談のなかで総理は、懐かしそうに、桜の咲くころに日本を去った思い出を話された。
 私は、『ぜひ、また桜の咲くころに日本へ来てください』と申し上げました。総理は、『願望はありますが、実現は無理でしょう』と言われた。大変に残念そうなお顔でした。だから私は、総理が愛された桜の植樹を提案して、その志を受け継ぐ中国の留学生たちに植えていただいたんです」
 友好の絆は、真心の糸によって縒られる。
 全青連の青年たちは、頷きながら彼の話に耳をそばだてていた。
 「周総理は、桜の植樹から約二カ月後の翌一九七六年(同五十一年)一月に亡くなられました。深い大きな悲しみのなかで、私は誓いました。総理が念願された中日友好に一身を捧げ、必ず永遠のものにしようと。
 この決意を込めて、よき日を選んで、中国の青年リーダーと共に、周総理と鄧穎超夫人を讃える『周夫婦桜』を植樹したいと考えておりました。実は、本日、その用意をしております。ご夫妻への感謝と、万代までの友誼を誓い合い、一緒に植樹をしましょう」

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 二十を読んだ感想と決意

池田先生は、創価大学の文学の池そばに、周総理と鄧穎超夫人を讃える『周夫婦桜』を植樹されました。日中万代の友誼の証として歴史に刻まれた事実である。私も周桜を実際に何度も拝見しているが、きちんと手入れされ清々とされている。様々な国の対立があり政治・経済・宗教で不安定になっている世界情勢があるが、一点民衆の心と心の絆は民間レベルでしっかりと取られている。世界に広がるこの心こそ!大切なれであると私は感じています。

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〈男子部のページ〉 池田先生の指針 2017年1月24日(聖教新聞より転載)

仏法のリーダーは、ともかく「人に会うこと」である。とくに、新しく入会された方々に、どんどん会っていただきたい。人間と人間の出会いのなかにこそ、仏法は脈動するからである。

御書にも、「直接、会うこと」の大切さが種々、示されている。
「人間対人間」のつながりを、どうつくるか。ここに発展のカギがある。あらゆる国家も、企業も、団体も、この一点に注目して、今、しのぎを削っている。
それには「会う」以外にない。
会ってこそ、人はつながる。心は結ばれる。人材も育っていく。
学会は、一対一の膝づめで対話してきたからこそ、今日の世界的な発展がある。これが鉄則である。
観念論や空想論ではない。戸田先生ご自身が、徹して会員と会われた。一人の人と会い、心から励まし、ともに広宣流布に進んでいく。その行動のなかにしか、創価の魂はないのである。
わざわざ会いに来てくれれば、人は「自分を認めてくれた」と思う。「会えてうれしい」「あの人と一緒にがんばろう」となるものである。
また、会合が終わっても、「一人で、さっさと帰る」のではなく(笑い)、帰る道々、後輩の話を聞いてあげることだ。
会合で話せないことでも、一対一になれば話せることもあるだろう。
一緒に語り、一緒に動くのが学会の根本精神である。策でも、方法でもない。
いわんや青年部は、決して偉ぶってはいけない。真心こめて、後輩を大切にしていくことである。友に尽くしていくことである。
仕事や家事で忙しい時もある。それでもなお、やりくりして、時間をつくって会っていく。それが慈悲である。仏の振る舞いに通ずる。これしか道はない。
 (2002年8月6日付本紙・全国最高協議会でのスピーチから)
 ◇◆◇ 
リーダーの話に気取りはいらない。事務的なことばかりであったり、味気ない話では、皆の心に響かない。また必要以上に大声を出したり、怒鳴ったりするのは、時代遅れの指導者である。
学会員は人柄がいいから、どんな話でも、皆、拍手をしてくれるかもしれない。
しかし、それで、いい気になっていては、幹部の成長はない。
幹部は、しっかりと勉強し、広布の最前線で戦って、同志と心を結んでいくのだ。
そうした努力を真剣に重ねたうえで、あとは、“真実の自分の心を友に語っていこう”と思っていけばいいのである。
気取らず、真心と勇気をもって!
皆を包み込む、慈愛と温かさをもって!
ある時は情熱的に。
ある時は心静かに。
聞く人の胸に、すーっと染み入るように。
ともあれ、学会ほど話をする機会が多いところもないだろう。
だからこそ、絶えず自らを磨き、高めて、「きょうは清々しい話を聞けたな」といわれるような聡明な指導をお願いしたい。
そこに学会が一段と発展しゆくかどうかの鍵があるからだ。
◇ 
「師弟」を語ることは大切だ。
そのうえで、大事なのは、「師匠の教えを守り、実践する」ことである。
「師弟」という言葉を単なる掛け声にしてはならない。
また、師匠の近くにいるから師弟不二であるというのも間違いである。師弟は“距離”ではない。師匠の教えを実行する人が真実の弟子なのである。
 (09年4月19日付本紙・全国代表協議会でのスピーチから)

〈小説「新・人間革命」〉 大山 十九を読んだ感想と決意 島幸弘

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山本伸一をはじめ、弟子たちの道理を尽くした真摯な説得の結果、宗会議員の多くは考えを改め、戸田城聖を処分するという決議の撤回に同意した。また、法主の水谷日昇は、この宗会決議を採用しなかったのである。
 笠原事件を乗り越えた学会の、師弟の魂の結合は一段と強くなっていった。逆風に翼を広げ、会員七十五万世帯の達成へ、雄々しく飛翔していったのである。
 伸一は今、学会の首脳たちに、広宣流布に断固と生きる師弟の気概が、燃え盛る創価の闘魂が、感じられないことを憂慮していた。
  
 四月六日、彼は、宗門の虫払い大法会に出席するため、総本山大石寺に赴き、日達法主と面会した。そこで、法華講総講頭の辞任とともに、創価学会の会長も辞任する意向であることを伝えたのである。
 伸一にとっては、悪僧らの攻撃から、学会員を守ることこそが最重要であった。
 彼には、“自分は会長を退いても、若き世代が創価の広宣流布の松明を受け継ぎ、さっそうと二十一世紀の大舞台に躍り出てくれるにちがいない”との、大きな確信があった。
 後継の人あれば、心配も悔いもない。「私には青年がいる!」と胸を張れる指導者は幸せである。未来は希望に満ちているからだ。
  
 四月七日の午後、伸一は、創価大学を訪れた中華全国青年連合会(略称・全青連)の一行二十人を、「文学の池」のほとりにある、美しく花開いた「周桜」の前で迎えた。
 一行は、この日、午前十時に、信濃町の聖教新聞社を訪問し、青年部代表の熱烈歓迎を受け、万代の友好交流をめざして意見交換した。そして、伸一の待つ創価大学にやって来たのである。
 伸一には、“今こそ、平和の哲学をもって世界を結ばねばならない”との強い思いがあった。だから、何があっても、いかなる嵐の渦中にあっても、世界に平和の橋を架ける作業に全力を注ぎ続けた。

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 十九を読んだ感想と決意 島幸弘

池田先生は一人の出会い・ご縁を大切にされ、常に世界平和への広宣流布を常に考えられ行動されている。師弟不二・師弟共戦という精神を思う時、自分自身が師の如く、我が人生を歩んでいるのか?目の前の一人を大切に、心こそ第一なれ!自分らしく精一杯今日も歩んでいこう!

創価家具調仏壇、ニュースマイルライト神奈川県川崎市に出荷しました

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創価家具調仏壇、ニュースマイルライト神奈川県川崎市に出荷しました。青年拡大の年を新しい決意で仏壇を購入頂き誠にありがとうございました

 

〈小説「新・人間革命」〉 大山 十八を読んだ感想と決意 島幸弘

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山本伸一は、一九五二年(昭和二十七年)四月、日蓮大聖人の宗旨建立七百年慶祝記念大法会の折の出来事を思った。
 ――学会の青年たちが、僧籍を剝奪されているはずの笠原慈行を総本山で発見した。
 笠原は、戦時中、時局に便乗して神本仏迹論の邪義を唱え、保身のために大聖人の正法正義を踏みにじった悪僧である。彼の動きが契機となって軍部政府の弾圧が起こり、牧口常三郎の獄死の遠因ともなったのである。
 青年たちは彼を牧口の墓前に連れて行き、神本仏迹論の誤りを認めるように迫り、それが騒ぎとなったのだ。この時、既に宗門は、笠原を密かに僧籍復帰させていた。正法を根本から歪める邪義を不問に付したのである。
 宗門は宗会を開き、戸田城聖が笠原に「加害暴行」し、法主を悩ませ、登山した檀信徒に信仰的動揺を与えたとして、「開山以来、未曾有の不祥事」としたのだ。そして、戸田に対して、謝罪文の提出、大講頭の罷免、登山停止という処分を決議した。
 神本仏迹論を主張し、宗祖の教えを踏みにじった悪僧を、宗会は庇いたて、その悪を正した戸田を厳重処分にしようというのだ。
 「宗会の決議取り消しを要求する!」「断じて戸田先生を守れ!」――伸一をはじめ、弟子たちは決然と立ち上がった。宗会議員一人ひとりと直接会って、笠原事件の経緯と真実を語り、決議の理不尽さを訴え、撤回を求めていったのである。
 伸一は、礼を尽くして対話していったが、胸には憤怒の火が燃え盛っていた。
 “宗会は、戸田先生の大講頭罷免や登山停止など、お一人だけを処分するつもりだ。これは、会長である先生と会員との分断策だ。
 戸田先生なくして、いったい誰が広宣流布を進めるのだ! 何があろうが、私たちが戸田先生をお守りする。正義を貫かれた、なんの罪もない先生を処分などさせるものか!”
 それが伸一の胸中の叫びであり、当時の学会首脳、青年部幹部の決意であった。広布破壊を狙う魔は、常に師弟の分断を画策す。(聖教新聞より)

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 十八を読んだ感想と決意 島幸弘

魔の本性は、学会に対しては広布進展の妨害、個人においては幸福境涯に至る経過での壁である。信心の本質は何があってもすべてを功徳ととらえる境涯革命である。最大の困難こそ自分自身、組織自身の成長となる。

〈小説「新・人間革命」〉 大山 十七を読んだ感想と決意(聖教新聞掲載)

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戸田城聖は、弟子たちに、「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる」と遺言していた。ここに、常勝の道を開く団結の要諦がある。
 山本伸一は、自分を守ってもらいたいなどという気持ちはなかった。しかし、恩師が広宣流布のために言い残した精神を皆が忘れかけていることに、心が震撼する思いがした。
 彼は、学会の前途を見すえながら、祈るような気持ちで首脳幹部に言った。
 「私は師子だ! 何も恐れはしない。皆も師子になれ! そうでなければ、学会員がかわいそうだ。烈々たる闘争心と勇気をもって、創価の師弟の大道を歩み抜くのだ。その一念が不動ならば、いかなる事態にも学会は揺らぐことはない。戸田先生は見ているぞ!」
 彼は席を立ち、部屋を出ていった。
 窓の外で、桜の花が舞っていた。
 伸一は、その花を見ながら、牧口常三郎と戸田城聖の師弟の大闘争を思った。
 一九四三年(昭和十八年)六月、国家神道を精神の支柱にして戦争に突き進む軍部政府の弾圧を恐れ、宗門は「学会も一応、神札を受けるようにしてはどうか」と言いだした。
 牧口は、それを拒否し、大難を覚悟で国家の諫暁に立ち上がった。その時、弟子の戸田もまた、死身弘法の決意を固めたのである。そして、牧口と共に逮捕・投獄された戸田は、獄舎の独房にあって、“罪は私一身に集まり、先生は一日も早く帰られますように”と、ひたすら祈り続けたのだ。
 宗門が謗法の濁流に没しようとしていたなかで、師弟のこの魂の結合が、日蓮大聖人の正法正義を守り抜いたのである。牧口は獄中にあって殉教するが、生きて獄門を出た戸田は、師の遺志を受け継いで学会を再建し、日蓮仏法の悠久なる流布の道を開いていった。
 創価の師とは、広宣流布を誓願し、現代に出現した「地涌の菩薩」の棟梁であり、前進の主軸である。そこに弟子の一念が嚙み合ってこそ歯車は大回転を開始する。ゆえに、師弟の結合こそが創価の生命線となるのだ。

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 十七を読んだ感想と決意

仏法の師弟の荘厳さは日蓮大聖人・日興上人、牧口先生・戸田先生、戸田先生・池田先生と日蓮大聖人の正当な仏法は創価三代に受け継がれ、世界広布新時代・青年拡大の年がスタートしている。創価の師弟を自分自身の生命の奥底に刻むときである。

池田先生、ハンコック氏、ショーター氏のてい談集「ジャズと仏法、そして人生を語る」英語版が完成

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池田大作先生と世界屈指のジャズ音楽家ハービー・ハンコック氏、ウェイン・ショーター氏とのてい談集『ジャズと仏法、そして人生を語る』の英語版『REACHING BEYOND Improvisations on Jazz, Buddhism, and a Joyful Life(限界を超えて――ジャズと仏法、そして喜びにあふれた人生の即興)』が完成した(アメリカのワールド・トリビューン出版刊)。
 ハンコック氏はジャズピアニスト、作曲家であり、音楽界最高峰の栄誉・グラミー賞を14度、受賞している。2008年にはジャズで43年ぶりとなる「最優秀アルバム賞」にも輝いた。ジャズ史にその名を刻むサックス奏者、作曲家であるショーター氏は、これまで10度、グラミー賞を受賞。83歳になる現在も世界のフュージョン界をリードし続ける。
 2人は共にアメリカSGIの一員。またSGI芸術部長として、希望の音律を世界中に響かせてきた。
 池田先生と2人の出会いは1974年。以来、幾度となく師弟の出会いを重ね、2010年9月、本紙上で、てい談「魂の人間讃歌――ジャズと人生と仏法を語る」が往復書簡等によりスタート。13年には、その内容を加筆・再編集したものが、てい談集として日本で発刊された。
 本書では、ジャズとの出合いから、人材育成の要諦、さらには、核兵器のない世界、環境問題など、さまざまなテーマで対話が織り成されていく。
 現代における音楽の役割について話が及ぶと、池田先生は「強く前向きな生き方へと人々をリードしゆく『妙音』の音声を、いやまして高めていくべき時ではないでしょうか」と展望。
 ショーター氏が「人々に、人生のあらゆる課題に挑戦し、自らが持つ生命の傾向性やネガティブ(否定的)な側面に真正面から立ち向かい、勇敢に、前に踏み出すよう励ますことであると思います」と応じ、ハンコック氏は「不透明で、急激に移り変わる現代を生き抜き、勝利するには、師子王のような勇気が必要だと思います。池田先生は、ご自身が尽力される姿と振る舞いをもって、私たちにその完璧な模範を示してくださっています」と語っている。
 当意即妙の対話のセッションから、ジャズの精神と創価の人間主義の哲学とのハーモニーを堪能できる、珠玉の一書である。