
「なぜ、題目が上がらないのか?」——その壁の正体と突破口
「思うように題目が上がらない…」
「御本尊の前に座っても、雑念ばかりが心をよぎる…」
「祈れども祈れども、生命の奥底からの歓喜が湧いてこない…」
「御本尊の前に座っても、雑念ばかりが心をよぎる…」
「祈れども祈れども、生命の奥底からの歓喜が湧いてこない…」
40年以上にわたり仏壇と向き合い、数多くの同志の皆様の苦闘と勝利のドラマに触れてきた私自身、この壁に幾度となくぶつかってきました。だからこそ、今、この苦しみの中にいる方の気持ちが痛いほど分かります。
しかし、まず、あなたに伝えたいことがあります。
その苦悶は、あなたが真剣に信心と向き合い、自身の人間革命に挑んでいる何よりの証拠です。これは、あなたが次なる境涯へ飛翔するための「産みの苦しみ」なのです。
1.祈りが「お願い」になっていないか?
本来、私たちの祈りとは「こうしてみせます」という“誓い(誓願)”であるはずです。御本尊に誓いを立てる時、生命のエンジンに火が灯ります。
「必ずこの病を乗り越え、広宣流布の戦いを起こします」
「この経済苦を勝ち越え、勝利の実証を示します」
2.悩みに「喰われて」いないか?
「この悩みをどうしよう」ではなく、「この悩みを乗り越えた先にある、広々とした境涯から、今の自分を励まそう」と。題目は自身の境涯を高めるロケットなのです。
3.「魔」の働きを見破る
「題目をあげるのが億劫だ」「やっても無駄ではないか」
これらの一念こそ「魔」の働きです。正体を見破り、「断じて負けるものか!」と強盛な一念で向き合う時、魔は退散します。
【結論】 すべては「決意」から始まる
「題目が上がりません。苦しいです。
しかし、私は断じて負けません」
「今日、この瞬間から、新しく出発します」
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