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2017年4月

家具調中古仏壇627 ツートン桜彫刻 発売いたします!

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厨子型高級中古仏壇628発売いたします!金剛堂定価250万

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創価学会仏壇専門店桜梅桃李.comより発売いたします、会場拠点用本黒檀厨子型電動仏壇628 高級金剛堂製仏壇 国産徳島製 定価2,571,050円創価学会仏壇 57本黒檀尾長鳥。

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〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十七を読んだ感想と決意 島幸弘

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蔵林龍臣は七十一歳であり、五人の子どもたちも、広宣流布の庭で活躍していた。この日も、アメリカに永住している四男以外は元気に集い、孫も含め、賑やかに山本伸一と峯子を迎えてくれた。蔵林は、伸一を床の間の前に案内した。
 「こちらにどうぞ!」
 「それはいけません。人生の大先輩である蔵林さんが、お座りになってください」
 一瞬、蔵林は、メガネの奥の目に困惑の色を浮かべた。しかし、伸一の強い勧めに、床の間を背にして座った。
 部屋にある衝立の書も見事であった。黒光りした柱や意匠を凝らした欄間が、風格を感じさせた。
 伸一が、家の歴史について尋ねると、「実は、わが家にはこんな言い伝えがありまして」と言いながら、伝承を語り始めた。
 ――昔、ある冬の夜のことである。庄屋の彦左衛門が、ため池に落ちて凍えるキツネを助け上げ、体を湯で拭いて乾かし、山へ帰した。キツネは、嬉しそうに「コン、コン」と鳴きながら消えていった。翌朝、家に二羽のキジが置いてあった。雪の上には、点々とキツネの足跡が続いていた。
 「恩返しにやってきたというわけです」
 伸一が、「人間も見習わなければいけませんね」と応えると、側にいた人たちは、真剣な顔で頷いた。忘恩の徒が暗躍し、学会員をいじめ、苦しめている時だけに、皆、恩に報いることの大切さを、強く感じていたのであろう。戸田城聖の事業が破綻した時にも、それまで、さんざん戸田の世話になり、大恩を受けながら、手のひらを返すように、悪口し、恨み、憎んで、去っていった者もいた。「忘恩は明瞭この上もない不正」(注=2面)とは、哲人ソクラテスの箴言である。
日蓮大聖人は、老狐や白亀が恩に報いた故事をあげ、「畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや」(御書二九三ページ)と、人として報恩の誠に生きることの大切さを強調されている。報恩は人間の生き方の基である。
小説『新・人間革命』の引用文献
注 クセノフォーン著『ソークラテースの思い出』佐々木理訳、岩波書店
 
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十七を読んだ感想と決意 島幸弘
報恩の人生か?忘恩の人生となるか?すべては自分自身の瞬間の命の所作である。私も過去20年にも及ぶ父との確執があった。しかし報恩抄の先生のご指導を拝した時、自分自身が仏法者として父に対して感情的な判断で正邪を計るか?それとも仏法で判断するのか?私は報恩を選び父に対して心安らかになった体験があります。

 

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十六を読んだ感想と決意 島幸弘

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山本伸一は、石塚勝夫に言った。
 「お父さん、お母さんを、生涯、大切にするんですよ。父母の恩に報いることから、人間の道は始まります。報恩の心を忘れない人が、真の仏法者なんです」
 さらに、個人会館を提供してくれていることへの感謝を伝えながら、日ごろ、心すべき点についても語っていった。
 「ともかく近隣に迷惑をかけないよう、会合の中心者ともよく連携し、駐車、駐輪、話し声など、細かく気を配っていくことが大事です。大変でしょうが、周囲のお宅には足しげくあいさつに伺い、『何かあったら、すぐにおっしゃってください』と、意思の疎通を図っていくことが大切です。
 近隣の方々が、快く協力し、応援してくださるようになれば、それ自体が広宣流布の姿なんです。個人会場は、広布の民衆城です。そこに、堅固な信頼の石垣を築くことが、学会を盤石にしていくことにつながります」
 伸一は、それから、自宅の隣にある個人会館を訪問した。一階は、石塚の営む建築電気工事会社の事務所になっており、二階が三十畳ほどの会場であった。そこには、佐久本部の支部幹部ら地元の代表が集っていた。伸一は、一緒に勤行し、ここでも懇談のひとときをもった。
 彼は、佐久の同志に、句を詠んで贈った。
 「忘れまじ 佐久の幸ある 瞳かな」
 「佐久の友 今日はいかにと 祈る日日」
    
 石塚宅から伸一が向かったのは、蔵林龍臣の家であった。蔵林家は江戸初期から庄屋を務めた旧家であり、母屋は築三百五十年で、地元では「鶯館」と呼ばれているという。
 主の龍臣は、家の前で和傘を差して立ち、伸一と峯子を迎えた。
 「約束を果たしに来ましたよ」
 伸一は、こう言って笑顔を向けた。
 蔵林は、六年前に東京で行われた本部幹部会の折、自宅が江戸時代からの旧家であることを伝え、訪問を要請したのである。

 

 〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十六を読んだ感想と決意 島幸弘

広宣流布の姿とは、地域、近隣の方々の私共創価学会員の姿をとおしてみて頂く事、そして常識的な行動・生活により理解していただける様に配慮を行う事である。また池田先生は6年前の約束をきちんと果たす。仏法者とは報恩感謝の生き方を心からできるものであると再認識しました。私らしく桜梅桃李の人生をおくってまいります。

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十五を読んだ感想と決意 島幸弘

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昼前から降りだした雨は、次第に雨脚が強くなっていた。
 山本伸一は、佐久市の功労者宅を訪問するため、長野研修道場を出発した。
 雨のなか、翌日の記念撮影のために、青年たちが県道沿いの空き地で草刈りをしていた。
 伸一は、同行していた幹部に言った。
 「皆が風邪をひかないように、作業が終わったら、研修道場の風呂を使えるようにしてください。泥も汗も流して温まってもらおう」
 大事な“創価の宝”の青年たちである。泥まみれになって作業をしてもらっているだけでも申し訳ないのに、そのうえ風邪などひかせては絶対にならないとの強い思いがあった。
 研修道場を発って五十分ほどで、佐久市の石塚勝夫の家に着いた。石塚は四十過ぎの壮年で、佐久本部の本部長をしていた。
 彼は、感無量の面持ちで、「先生! わが家においでくださり、ありがとうございます」と言って、伸一の手を握り締めた。
 石塚の父親は背広を着て、母親は着物に羽織姿で、丁重に一行を迎えた。
 伸一は、研修道場に役員として来ていた石塚と語り合う機会があった。その時、彼が個人会館を提供してくれていると聞き、御礼に伺おうと思ったのである。
 広宣流布を進めるうえで、個人会場が担う役割は大きい。各地域に大きな会館が造られても、支部や地区の日常活動の拠点や座談会場等となるのは、個人会場をはじめ、会員の皆さんのお宅である。そこは、現代における荘厳なる仏法の会座となる。
 伸一たちは、石塚の自宅の居間に通された。懇談が始まった。彼の父親は、ちょうど、今日が八十歳の誕生日であるという。
 伸一は、「お祝いに一句、お贈りしましょう」と言うと、壁に掛けてあった日めくりカレンダーに視線を注いだ。
 「そこに、お書きしてよろしいでしょうか」
 カレンダーを外してもらい、老夫妻の健康と長寿を祈りつつ、日付の横にこう認めた。
 「あな嬉し 八十翁の 金の顔」

 〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十五を読んだ感想と決意 島幸弘

池田先生のまごころからの激励を思えば思うほど、慈悲あふれる配慮、行動に感動を禁じ得ない。私もそうなりたい!そうありたい!その慈悲深い人格になれるように祈って行動して行こう!

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十四を読んだ感想と決意 島幸弘

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山本伸一は、入会三十二周年となる八月二十四日を、長野研修道場で迎えた。新しい決意で出発を誓い、真剣に勤行した。
 昼過ぎには、青年たちと自転車で周辺を回った。戸田城聖が最後の夏を過ごした地を巡ることで、在りし日の恩師を偲びたかったのである。
伸一が研修道場に帰って来ると、ちょうど教育部(後の教育本部)の青年教育者の代表が、研修会に参加するため、バスで到着したところであった。
 メンバーは、バスの中で、「山本先生が研修道場に滞在中です」と聞かされ、喜びが弾けた。皆、研修道場の玄関前に並び、満面の笑みで伸一を迎えた。
 「皆さん、ありがとう! お会いできて嬉しい。では、一緒に記念撮影をしましょう!」
 彼は、メンバーと共にカメラに納まった。
 「私はこの通り元気です! 皆さんも創価の誇りを胸に、わが使命の道を、元気に勝ち進んでいってください。ともかく、何があっても、絶対に退転しないことです。この一点を深く心に刻んでください。広布の道を踏み外していく人を見るのが、私はいちばん辛いし、胸が痛むんです」
 この日の夕刻も、伸一は、地元の同志の家を訪問し、集った人たちと懇談した。
 翌二十五日午前、教育部のメンバーと研修道場の庭でテニスをし、激励を重ねた。
 コートは、研修会に来た人たちの思い出になるように、地元メンバーが急ごしらえしたものであった。
 このあと、伸一は、皆と一緒に勤行し、出発するメンバーを拍手で見送った。
 彼は、制約のあるなかで、どうすれば同志を励まし、勇気づけることができるか、祈りに祈り、智慧を絞った。御聖訓には「信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし」(御書一〇七二ページ)と仰せである。
 広宣流布への強き一念と祈りがあるかぎり、いっさいの障壁を打ち砕き、必ず勝利の道を切り開いていくことができるのだ。

 〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十四を読んだ感想と決意 島幸弘

自分自身の境遇は自分自身で決めて作り出している。頑固頭の自分と決別する勇気をもって、素直になることが一番だ。いつまでも難しい顔をしてわかっているような勘違いをして行くと自分自身が望んでいない現実がそこに現れる。無作の三身と言われる本当の自分自身の生命状態になるための信心である。素直な心は安心で穏やかで人にやさしく自分自身にも優しくなれるのだ。

 

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十三を読んだ感想と決意 島幸弘

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本伸一の心からの願いは、皆が強盛に信心を貫き、幸福になることだけであった。
 退転・反逆者や宗門僧は、創価の師弟を分断しようと、伸一が会合で指導したり、「聖教新聞」に登場したりできないように陰で画策を進めてきた。その逼塞した状況のなかで、暗い空気がつくられていた。
 伸一は、大きな会合への出席を制約されれば、家庭訪問、個人指導に奔走した。話をするなというのであれば、和歌や俳句を詠み、ピアノを弾いて激励した。
 何ものも、広宣流布への不屈の魂を抑え込むことなどできない。
 長野研修道場に集っていた人たちに、伸一は提案した。
 「もし、よろしければ、二十六日の日曜日にでも、ここにいらっしゃる皆さんと記念撮影したいと思いますが、いかがでしょうか。
 また、ほかにも参加したいとおっしゃる方がいれば、遠慮なくいらしてください」
 参加者から大歓声がわき起こった。長野の同志が願い続けていたことであった。その知らせは、瞬く間に全県下を駆け巡った。
 県幹部たちは、果たして何人が集って来るのかわからなかった。もし、二千人、三千人と詰めかけても、混乱することのないよう、青年部が中心となって、全力で受け入れの準備にあたった。スムーズな撮影が行われるように、撮影台も三台つくることにした。
 地域ごとに到着時刻も決めた。貸し切りバスで来るという地域もあった。
 自家用車で来る人も多いにちがいない。駐車スペースの不足が懸念されたことから、研修道場の前を通る県道脇の空き地を使わせてもらうよう、土地の所有者と交渉した。了承してもらったが、雑草が生い茂り、そのままでは使用できない。
 「よし、男子部で草刈りをしよう」――皆、意気盛んであった。
 今、この時に、師と共に会員を励ますために働けることが嬉しかった。「師弟共戦」の自覚と行動があるところに歓喜が湧く。

 〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十三を読んだ感想と決意 島幸弘

「師弟共戦」とは、この状況であるならば師匠はどのようなお心・考えでこの難局を打ち勝っていくのだろうか・・私たち創価学会員は世界広宣流布を目的とした団体の一員である。自分自身がこの信仰をとおして実証を示しながら生きていく事に価値がある。自分の人生こそが師弟共戦の生き様であるなら、どんな事も乗り越えそして所願満足の人生を送っていく事ができる!

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十二を読んだ感想と決意 島幸弘

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田森寅夫は、歯を食いしばりながら信心を続けていくと、学校に給食のパンを卸せるようになり、また、外国人客も増えていった。さらに、大手の洋菓子店へも卸すことになり、彼の店は、軽井沢を代表する老舗のベーカリーとして評判になっていった。
 彼は、商売で実証を示すだけでなく、町の発展にも力を尽くし、地域の人びとのために献身した。そうした姿に、学会への誤解や偏見は氷解し、多くの人たちが理解者となったのである。
 山本伸一は、長野研修道場で田森夫妻と話し合うなかで、翌日、田森の店の二階にある喫茶室で、地域のメンバーの代表を招いて懇談会を開くことにしたのである。
 その席で伸一は、一九五七年(昭和三十二年)の夏、軽井沢に滞在中の戸田城聖のもとへ駆けつけた折に、恩師が語っていた言葉を紹介した。
 「戸田先生は、山紫水明なこの地を愛され、『将来、ここで夏季研修会を開きたいな』としみじみと話しておられた。ここに研修道場ができ、恩師の構想実現へ、また一歩、前進することができました。
 やがて、長野研修道場には、全国、いや全世界の同志の代表が集うようになり、いわば、広宣流布の電源の地となっていくでしょう。それだけに、この長野県に、世界模範の創価学会を創り上げてください。私も、全力で応援します」
 この日の夜、研修道場では、地元の軽井沢・中軽井沢支部合同幹部会が行われていた。
 会合の終了間際、会場に姿を現した伸一は、共に勤行した。そして、ピアノに向かい、「うれしいひなまつり」や「月の沙漠」などを次々に演奏して励ました。皆の喜びは爆発し、会場は沸き返った。
 同志は、伸一の姿を瞼に焼きつけ、“創価の師弟の大道を誇らかに歩もう”と、決意を新たにするのであった。
 いかなる権威、権力をもってしても、師弟の心の絆を断つことなど断じてできない。

 〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十二を読んだ感想と決意 島幸弘

信心は理屈ではない、まして観念などではない!

大聖人は「日蓮、仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず。また、道理・証文よりも現証にはすぎず」(1468㌻)と仰せです。私たちの創価学会の信心は実証を重んじています。

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十一を読んだ感想と決意 島幸弘

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二十一日夜の懇談の折、山本伸一は、軽井沢支部の初代支部長・婦人部長を務めた田森寅夫と妻のタミとも語り合った。
 寅夫は、一流ホテルで修業を積んだパン職人で、心臓病で苦しんでいたタミが信心し、元気になっていく姿を目の当たりにして、一九五五年(昭和三十年)に子どもたちと一緒に入会した。念願であった店舗を購入できたことなどから、信心への確信を強くし、歓喜を胸に弘教に励んでいった。
 しかし、周囲には、学会に偏見をいだき、彼が信心することを快く思わぬ人たちが多くいた。客足も遠のいていった。
 頭を抱え込む田森たちに、学会の先輩は、確信をもって訴え、指導した。
 「日蓮大聖人は、『此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず』(御書一〇八七ページ)と断言されている。あなたたちが、敢然と広宣流布に立ち上がったから、障魔が競い起こったんです。御書に仰せの通りではないですか。
 したがって、このまま、果敢に信心を貫いていくならば、幸福境涯を築けることは間違いない。だから決して退いてはいけません」
 当時の学会員は、大なり小なり、こうした事態に直面した。そのなかで同志は、ますます学会活動に闘魂を燃やしていった。そして、御書を拝しては、互いに励まし合ってきたのである。田森は思った。
 「大聖人は『大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(同一四四八ページ)と言われている。大変な事態になればなるほど、強盛な信心を奮い起こして、ますます喜び勇んで前進していこう。今が正念場だ!」
 学会活動は御書と共にあり、生活のなかに教学があった。そこに学会の崩れぬ強さがある。思えば、それは、第二代会長の戸田城聖が、『日蓮大聖人御書全集』の刊行を成し遂げたからこそ可能となったのである。さらに、これによって、日蓮仏法の正しい法理が、広く人びとの生き方の規範として確立されるという、未曾有の歴史が開かれたのである。

 〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十一を読んだ感想と決意 島幸弘

創価学会は御書根本・題目根本・池田先生のご指導根本である。そしてすべては信心即生活である。私たち凡夫は何かあるとすぐにどうしたら良いのかアタフタしてしまう。その時まずはご本尊の前に座り、どんとご本尊を拝しお題目を朗々とあげていけばよい事だ。まずは題目、何が何でも題目、自分自身が右往左往している感情の支配をそこで切り落とし題目根本・御書根本・先生のご指導根本に自分自身の信心を切り返し、切り返し正しい信心の判断ができるよう矯正して、信心根本の境涯を開き行くことだ!

家を建て替えるのだが、現在使っている仏壇をどうしたら良いのか?解決方法はありませんか?

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「この度家を建て替えることになりました。(写真は参考)大きな仏壇ですので、一時アパート暮らしをするためにどこか保管するか新築時に新しいもの日に変えるか考えているところです。予算もないので良い方法があれば教えて頂きたいのですが」

よく貸しコンテナとかありますが、そちらではいかがでしょうか?そのほかの家財も預かっていただけるのではありませんか?

「大きくなると毎月2万とか3万になりませんでしょうか?」その辺は業者でないのでご自身でお調べくださいませ。お仏壇はどれぐらいたってるのでしょう?「30年前にはなります」「新築で壁紙も新しくなるとどうしても仏壇の経年劣化がみられ、新築なのに見劣りしてしまい。アンバランスな事にもなるのではないでしょうか?」ご予算がないのは皆さん同じだと思います。ご自宅を建て替える時は新たな仏壇(新品・中古ではなく)をお考えいただく事も充分あるのではないでしょうか?ご自身は新築にご本尊様は後回しに、そうなっても当然かもしれませんが、せっかくの時ですから、買い替えも考えたらよろしいのではありませんか?当方では新たな仏壇をご契約いただければ、今までの仏壇を引取、アパート住まいの時は小型に仏壇をお貸することも可能です。まずはご自身のご本尊様に対する気持ちを考え、そして次に計算して一番お得な方法を考えることをお勧めいたします。