2017年4月
創価学会 厨子型収納仏壇 中古仏壇 621を購入のお客様より感謝メールを頂戴しました。
桜梅桃李 島幸弘様
家具調電動中古仏壇625:発売後数時間で売約になりました!
この度は東京都のお客様にご注文頂きました。中古仏壇は1点ものです。その時当店の商品ページに掲載されますが、たまたまのお客様、また以前より注目していて、掲載した瞬間にすぐ決めて頂ける方と中古仏壇は当店ではとても人気があります。
おかげさまで仏壇のメンテナンスの技術も上がってきています。機械、電気関係、塗装などの補修など、またメンテナンスするたびに仏壇の構造についても認識が深くなってまいりました。
今後とも日本一の創価学会中古仏壇店として、お客様のご要望にお応えできるよう更なるサービスを向上してまいります。
創価学会仏壇についての問題などございました時にはお気軽にお電話又はメールを頂ければ解決のためのアドナイスなどできます。
世界広布新時代第25回本部幹部会への池田先生のメッセージ
一、日本全国、全世界の創価家族と、今年も晴れやかに、輝き光る「我らの五月三日」を祝賀することができ、これほど、うれしいことはありません。
55カ国・地域のリーダーの皆さん方、桜舞う花の都・大東京へ、本当にようこそ、お越しくださいました。
偉大なる求道の一人一人と固い心の握手を交わしつつ、題目を送っております。皆で熱烈に大歓迎しましょう!(大拍手)
きょうは聖教新聞の配達員大会であり、一番お世話になっている「無冠の友」の皆さんに、心から感謝申し上げます。
聖教新聞の創刊号の1面を飾ったのは、戸田先生の執筆による論陣「信念とは何ぞや?」でした。聖教新聞は「生命尊厳」の揺るぎなき信念を掲げた言論であり、その配達に当たってくださる皆さんは、究極の信念の闘士であります。
一、忘れ得ぬマンデラ元大統領が、27年半もの獄中闘争を貫き通した、心の支えは何であったか。
それは、お母さんが「自分の信念の正しさを信じ、信念のために闘いなさい」(長田雅子訳『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』明石書店)と、最後の最後まで書き送ってくれた手紙であった。この母の励ましこそが、尽きることのない「誇り」と「喜び」の源泉になったというのであります。
信念に生き抜く母たちの励ましほど、尊く強い正義の光はありません。我ら創価家族が、何があろうと、広宣流布という最極の信念の大道を明るく毅然と前進できるのも、太陽の母たちがいるからであります。
5月3日「創価学会母の日」を前に、世界一の婦人部の皆さん方に、感謝と讃嘆の大拍手を送りたいと思うが、どうだろうか!(大拍手)
一、我らの信念は、御本仏・日蓮大聖人に直結する大信念であります。
大聖人が、武蔵国、すなわち、ここ大東京の先達である池上兄弟に送られた御聖訓を一緒に心肝に染めたい。
それは、池上兄弟が二度目の勘当という苦難の真っ只中で頂いたお手紙です。
当時、社会的生命の圧殺にも等しい勘当の難を、兄弟は、ひとたびは乗り越えたものの、再び、より厳しい迫害に襲われました。
病気の再発や、事業の度重なる逆境など、人生には何度も越えねばならない困難がある。いわんや、広宣流布の途上にあっては、「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ」(御書202ページ)と仰せの通りに、険しい使命の難関が打ち続くことは、もとより覚悟の上である。その時こそ、まことの信心が試される勝負の時といってよい。全て、皆が永遠に仏になりゆくための仏道修行だからである。
大聖人は、池上兄弟に厳然と仰せになられました。
「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(同1091ページ)と。
兄弟は、この御指導のままに一歩も退かず、勇んで前に進み抜いた。魔に付け入る隙を与えない団結で、夫人たちも一丸となって戦い抜いた。
そして、ついに「冬は必ず春となる」(同1253ページ)との勝利を迎える。それは、勘当が解けるだけではなく、猛反対であった父親が入信し、見事なる「一家和楽」を勝ち開くまでに至ったのであります。
「難を乗り越える信心」の実証は、眼前の苦境を打開するのみにとどまらず、周囲の仏法への理解を一変させ、国土世間までも劇的に変えていくことができる。これが「賢者」の大歓喜の逆転勝利なのであります。
やがて、池上家の人々は大聖人をお迎えすることができ、大聖人は万年まで託されるが如く、最後に「立正安国論」の講義をなされました。
不思議にも、わが学会は、御本仏が魂魄を留められた大東京を本陣として、「立正安国」の旗を高く掲げて誕生したのであります。
一、60年前の7月、大阪事件の弾圧の渦中に炎の東京大会を行ってくれた歴史も、私と妻の命から離れることはありません。雷雨の中の大阪大会も、わが胸奥に不滅の輝きを放っています。誉れ高き「ああ感激の同志あり」の劇です。
あの日あの時、戸田先生は関西本部で私に言われました。
「社会の不幸に目をつぶり、宗教の世界に閉じこもり、安穏として、ただ題目を唱えているだけだとしたら、大聖人の立正安国の御精神に反する。
この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていくなかにこそ仏法の実践がある」
「君が先頭となり、大難と戦うことで、君だけでなく、本末究竟して、みんなの一生成仏の道が開かれることになる」と。
民衆の幸福のため、社会の安定のため、世界の平和のため、我らはいよいよ「賢者はよろこび」と戦い進むのだ。そして、信念の対話を勇敢に広げ、地涌の若き賢者を聡明に育みながら、人類に立ちはだかる、ありとあらゆる試練を断じて勝ち越えていく「立正安国の大連帯」を築き上げていこうではないか!
一、大聖人は池上兄弟や四条金吾夫妻など愛弟子の勝利を、「何よりも爽快なり」(同1175ページ、趣意)と喜ばれました。「仏法は勝負」であるゆえに、最後は正しい信心が必ず勝つと示し切ることが、妙法の無限の功力の証明であり、未来へ贈る希望の光なのです。
世界広宣流布の壮大な未来へ、何ものも恐れぬ「感激の同志」のスクラムで、一人一人の「人間革命の凱歌」を、我ら「東京の凱歌」を、そして「師弟の凱歌」を轟かせゆくことを共々に決意しあって、私のメッセージといたします。
全国、全世界の同志の皆さん、本当にありがとう! 皆、お元気で!(大拍手
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 二十を読んだ感想と決意 島幸弘
三台の撮影台を使って写真撮影が行われたが、長野研修道場は長蛇の列が途切れることはなかった。飯山、長野、上田から、穂高、松本から、塩尻、諏訪から、飯田、伊那から、続々と同志は集って来た。山本伸一は、記念撮影が終わるたび、皆に声をかけ、語り合い、何十人、何百人もの人と握手を交わした。
記念撮影も終盤に入った時、日焼けした精悍な顔の青年が、感極まった声で語った。「先生! ありがとうございます! 私たち男子部は、断じて戦い、勝って、先生にお応えしていきます」
伸一は、にっこり微笑むと、力を込めて語り始めた。
「そうだ。師匠が表に出て動けないならば、師に代わって立ち上がるのが弟子です。私と会えなければ元気が出ない、勇気も湧かないというのであれば、真の師弟ではない。師をしのぐ果敢な実践をもって、広宣流布の未曾有の上げ潮をつくっていくんです。
私が君たちを指導・激励し、全力を注いで育成してきたのは、こうした時のためです。
今こそ、『私たちに任せてください! 弟子の戦いを見てください!』と胸を張り、私に代わって同志を励まし、元気づけていくのが師弟だ! 君たち一人ひとりが山本伸一なんだよ! 私は、肝心な時に力を発揮できないような弱虫を育ててきた覚えはありません。今こそ君たちが、学会を、それぞれの地域を担っていくんだ。その重要な時に感傷的になって、力を出せないことほど、情けない話はありません。
それが、今の私の思いだ。魂の叫びです。頼んだよ!」
そこにいた青年たちの瞳が、決意に燃え輝いた。唇を嚙み締める人もいた。拳を握り締める人もいた。
戸田城聖は、一九五四年(昭和二十九年)十月、彼のもとに集った一万人の青年に訴えた。
「吾人は、前途多難に対して奮起を望むものである」(注)と。
小説『新・人間革命』の引用文献
注 「青年諸君に告ぐ」(『戸田城聖全集4』所収)聖教新聞社
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 二十を読んだ感想と決意 島幸弘
いざという時に師弟共戦の思いで立ち上がる!そんな弟子を育ててこられた、今がその時ではないのか!師の思いを我が使命と命の底からほとばしる情熱で我が地域を広布の模範地域に革命して行こう!我が地域こそ仏国土にして行こう!
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十九を読んだ感想と決意 島幸弘
長野研修道場には、三台の撮影台が設置されていた。
午後一時前、山本伸一は、「さあ、戦いの開始だ!」と峯子に言うと、ポロシャツ姿で皆の待っている研修道場の前庭に飛び出していった。
「お待ちしていました。ようこそおいでくださいました。二十一世紀への新しい出発をしましょう!」
参加者から歓声があがった。額に深い皺が刻まれた老婦人が、目を潤ませて語った。
「先生! 新聞でも先生のお姿を拝見できないものですから、心配で、心配で、寂しくて、ずーっと祈ってきました。でも、お元気なので安心しました。嬉しいです」
伸一は、この老婦人を抱きかかえるようにして、励ましの言葉をかけた。
「おばあちゃん、ありがとう!
私は、この通り元気ですよ。おばあちゃんがお元気ならば、私も元気です。私も、おばあちゃんのお顔を心に焼き付けて、毎日、お題目を送ります。だから、私たちは、いつも一緒ですよ。来世も一緒です。
うんと長生きしてください。ますます元気で、もっと、もっと幸せになってください。それ自体が、広宣流布の力になります。同志の希望になります」
八十代半ばだという、別の老婦人には、力強く、こう語った。
「百歳まで生き抜いてください。いや、二十一世紀まで生きて、広宣流布の未来を見届けてください。学会は、さらに大発展します。世界に大きく広がります。私は今、そのための戦いを開始したんです」
また、壮年には断固たる口調で宣言した。
「学会の正義は、必ずや明確になります。まだ、宗門僧による理不尽な攻撃や、一部の週刊誌による無責任な批判が続いていますが、そんなことで心が揺らげば、必ず後悔します。日蓮大聖人の仰せのままに広宣流布してきたのは学会しかありません。この厳たる事実を絶対に見失わないことです。戦おう!」
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十九を読んだ感想と決意 島幸弘
池田先生はできるだけの多くの会員さんにお会いして心配しないように、安心に信心して幸福になっていただきたいとの思いで寸かを惜しんで振舞われている。人生は瞬間の出来事で配慮できるかどうかの判断と俊敏な行動が問われる事が日々あります。しっかりとお題目をあげ切り瞬時に仏の境涯の振る舞いができるように信心根本で今日も邁進していきます!
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十八を読んだ感想と決意 島幸弘
蔵林家では、主の龍臣と妻の芳乃の孫たち十人が、琴やハーモニカ、横笛の演奏、合唱などで、山本伸一たちを歓迎した。
子どもから孫へと信心が受け継がれ、すくすくと育っている未来っ子の姿が微笑ましかった。仏法が、地域へ、社会へと広まり、そして子どもたちへ、未来へと継承されていってこそ、広宣流布の流れが創られていく。
やがて雨も小降りになった。伸一は、蔵林龍臣と腕を組みながら庭を散策した。少し、はにかみながら、「ありがたい。人生の最高の思い出です」と繰り返す蔵林に言った。
「お父さんの人生は大勝利です。子どもさんも、お孫さんも、皆、立派に育っている。しかし、信心には終わりはありません。命ある限り、同志のため、地域のため、広布のために戦い抜いてください。大事なのは、総仕上げの時を迎えるこれからです。明日へ、未来へ、意気盛んに前進していってください」
蔵林は、伸一の顔をのぞき込むように見ては、何度も、何度も頷くのであった。
後に、伸一は、深い感謝の思いを託して、一家に句を贈っている。
「なつかしき 佐久に家あり 銀の城」
二十六日は、長野研修道場での記念撮影の日である。「希望する方は、全員、参加してください」との連絡を聞いて、長野全県から同志が研修道場に集って来た。
前日の雨は上がり、木々を吹き渡る風がさわやかであった。メンバーは、昼前から続々と研修道場に到着した。伸一が、ほとんど「聖教新聞」にも登場しなくなってから四カ月近くになっていた。皆、ひと目でも伸一と会いたかった。そして、広宣流布への誓いを新たにしたかったのである。
学会の強さは、伸一が会員一人ひとりと結んできた師弟の糸と、同志の糸によって縒り上げられた、団結の絆にこそある。
「力は、健全な人格と強固な団結から生まれる」(注)とは、韓民族独立の父・安昌浩の言葉である。
小説『新・人間革命』の引用文献
注 安昌浩著『島山安昌浩論説集』乙酉文化社(ハングル)
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十八を読んだ感想と決意 島幸弘
広宣流布と形ではなく、仏法、信心が継承されて世界の人々が幸福になっていく流れである。私一人からどのように広がっていくのか?私は男子部であるときに多くの友人に仏法対話をしてきました。中でも現在の家内に信心の話をした時の思いは格別でした。もちろん毎回勇気が必要でしたが家内の場合は結婚したいと思っていましたので、心の奥底まで本当にしびれるような思いとその時の婦人部の方のかかわりに今でも感謝⒮ています。あれから36年が経ち家族全員で創価の一家和楽を築け、そして一昨年長女が結婚、昨年孫ができ私から3代目、初代の父から4代目になります。
創価の流れをしっかりと継承していく流れをこれからも懸命に受け継げるように自身の信心をさらに深化させてまいります。
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