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2016年11月

〈小説「新・人間革命」〉 源流 五十一を読んだ感想と決意 島幸弘

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山本伸一は、「人類の平和のために、ナラヤン先生の思想をお聞きし、世界に紹介したいと思って
やってまいりました」と会見の趣旨を伝えた。
「私の思想など、決してそのような大それたものではありません。私が信じているのは永遠にわた
る真理を説いた釈尊の思想です」この言葉には、インドに脈打つ精神の源流とは何かが、明確に示
されていた。
 
ナラヤンは、彼が師と仰ぐマハトマ・ガンジーとは「亡くなった妻を通して知り合いました」と言う。
「この建物は、その妻が建てたもので、ここを使って、女性が社会福祉のために貢献できるように教育
を行っております。また、子どもの育成のために、幼稚園としても使っています。できる限り、妻の遺
志を継ぐように努力しているんです」
 
会談場所を仕切るカーテンも粗末なものであった。まさに可能な限り、すべてを民衆に、社会に捧げて
いるのだ。
信念が本物かどうかは、身近なところに、私生活にこそ、如実に表れるものだ。
彼は、何度となく獄中生活を過ごしている。伸一は、今日が自分の恩師である戸田城聖の誕生日にあた
ることを伝え、創価学会の初代会長・牧口常三郎は軍部政府の弾圧によって獄死し、第二代会長の戸田
も、二年間、投獄されたことを述べた。そしてナラヤンに、獄中で得たものは何かを尋ねた。
 
彼は、じっと伸一を見詰め、口を開いた。
「私は、あなたが、そういう目に遭わないことを望みます」
「ありがたいお言葉です。私も短期間でしたが、無実の罪で投獄されました」
 氏は頷き、机の上に置いてあった本を手にした。本のタイトルは『獄中記』。氏が獄中体験を綴った
手記だ。初版は秘密出版され、後に日の目を見た本である。そこに署名し、インド人の著名なジャーナ
リストが書いたという自身の伝記とともに伸一に贈った。そのなかに質問の回答があるのであろう。

源流 五十一を読んだ感想と決意 島幸弘

うそか誠か?その人の行動をしばらく静観すればよくわかるものである。何を言ったかではなく、どのような行動をとったか?その人の人間性、信念がわかるものである。表と裏のある人、言っている事とやっていることが違う人はたくさんいる。しかし有言実行の人は稀である。自分の信念に生きたければ自分自身の行動にきおつけていきたいものだ。凡夫の生命は都合よいように解釈する傾向があるものだ、こころして日々生きたいものだ。